他人の振り見て自分を省みるとして、それが活かされるかは別
「はい『奪爵』であります」
どやあ。と、パルシオネが鼻息を吹き出すその前には、完全に決着のついた遊戯盤がある。
それを対面に座るサーベルタイガーの顔をしたデヴィルは苦々しげににらみつける。
「ぐぬ! ぬぬ、ぐぅ……ま、参りました!」
そのまま、美しく木目の出たテーブルへ爪を立てんばかりの勢いで、前のめりに打開の手が無いかと探り続けていたが、やがて打つ手無しであると認めて引き下がる。
「はい。それでは決着でありますね。こちらは成人全員に振る舞っている参加賞であります」
パルシオネの合図にしたがって、ユークバックがサーベルタイガーに差し出したのは酒のボトルとグラスであった。
そのグラスには、既にボトルの中身と同じ果実酒が味見をどうぞとばかりに注がれている。
「うむ。かたじけない」
サーベルタイガーは参加賞を受け取るや否や、グラスを牙のはみ出した口につけて一気にあおる。
「うむ。旨い! しかし、さすがに強いな」
「酒の事でありますか?」
「何をバカな。酔いもしない酒に強いなどと言うものかよ。貴殿の腕前の話だ、男爵よ」
パルシオネの冗談に、サーベルタイガーは苦笑する。
「ワシもそれなりにこのゲームには自信があったが、まさか二十手もいかぬうちに負けてしまうとはな……このような催しをするだけのことはある」
そう言ってサーベルタイガーが目をやったのはパルシオネ男爵屋敷の正門だ。
ポンチ絵タヌキの紋章旗が掲げられた門には、合わせて掲げられた旗がある。
その旗にはこうある。
「求む、挑戦者! 『奪爵』勝負受付中!」と。
この文言のとおり、現在パルシオネの男爵屋敷では、大祭に合わせた細やかな催しとして、奪爵遊戯の勝負会が開かれているのだ。
「まあ、真剣に勝負に来たのは今のところ貴方だけなのでありますが」
「そうなのか?」
「はい。しかし、皆を集めて騒いでもらう名目でありましたから、十分でありますよ」
そう言ってパルシオネは前庭に向けて目を細める。
その一角ではある者がテーブルに並んだ料理や酒に舌鼓を打ち、別の場所では楽器を趣味にした者たちによる楽団が音楽を奏で、それに合わせて踊るものたちが。
そしてまた別の場所では、茂みの中へアザラシ顔の男を連れ込もうとするカラスと黒ジャガーの女が――。
「……ってコラーッ!? そう言うのは専用の部屋を用意したからソコでするように言ったでありますでしょうがーッ!?」
「ひえええッ」
主人の雷を受けて、カップルはそそくさと逃げるように場所を変える。
「……お見苦しいところを見せてしまったであります」
その動きを見えなくなるまで見張って、パルシオネは鼻息をひとつ。挑戦者にお詫びする。
「いや、ワシは構わんが。あれくらい別によくある事だろう?」
「子どもも来てるのでありますよ? さすがに外の、目につくところでも好きにして良しとはできないでありますよ」
パルシオネが言うように、屋敷に集まっているのは大人ばかりではない。彼らの子どもたちも大勢連れられて来ている。
パルシオネとしては、そこを無視することなどできる訳がない。
「……ずいぶんと、細かいことまで気にするものだな」
だが返ってきたのは肩をすくめて横に振るわれるサーベルタイガーの頭、という反応であった。
「パルちゃーん!」
そこで投げかけられた高い声にパルシオネが振り向けば、手を振り駆け寄るフェブルウスの姿があった。
「フェブくん!」
そんな男の子をパルシオネは手を振り返して迎える。
「ふむ。ではワシは食事をつまみにでも行くとしようか」
「ああ、申し訳ないであります」
そう言って席を立つサーベルタイガーを、パルシオネはあわてて見送る。
「構わんよ。機会があればまた一局お相手願いたいものだ」
「はい、是非に……ああ、それと、ボトルの酒はこの場では空けないで欲しいであります。味見用とは別にして、酔えるように仕掛けがしてありますので」
そして忘れぬように、土産に渡した参加賞への注意も添える。
仕掛けというのは、軽い酩酊状態を起こす呪詛だ。
出会って屋敷近くに誘い、保護した混血の呪術師モリー・レイに呪いの力を借りてのものである。
「ほほう? それは面白いな」
酔える酒と聞いて、太い牙のはみ出た口を愉快げにつり上げるサーベルタイガー。
そうして足取りも軽く対局机から離れていくサーベルタイガーに代わる形でフェブルウスが駆け寄る。
「パルちゃん! きょうはおやしきなんだね!?」
「はい。いらっしゃいでありますよフェブくん。お祭りとはいえわたしも遊び歩いてばかりもいられないでありますからね」
「うあーむにぷにー」
抱き着いてくる男の子を受け止めて肉球でほっぺたをサンドイッチにする。
「いつも弟の事、ありがとうございます」
そうしてじゃれ合っているところへ、不意に投げかけられる女性の声がある。
「いえいえそんな……わたしも好きでやってることでありますから……と、あなたは……?」
見知った相手のように対応していたパルシオネであった。が、声をかけてきた相手の顔に馴染みがないことに気づく。
いやしかし、まったく知らぬ顔というわけでもない。
「……ああ、先輩の娘さんのおひとりの!?」
「はい。次女のケレーアリアです」
お察しのとおり。と名乗り、柔らかく腰を折るケレーアリア。
クレタレアの娘との言葉どおり、赤茶色の髪は母と弟にそっくりで、柔和な美貌もまた母親によく似ている。
「これはご丁寧に。はじめまして、パルシオネであります」
「ええ。両親に、きょうだいからもお話はうかがっております。なんでもフェブルウスの妻候補筆頭だとか」
「えへへー」
ケレーアリアの微笑みながらの言葉に、フェブルウスが肉球の間ではにかみ笑う。
対するパルシオネとしては、曖昧な笑みを返すしかない。
パルシオネとしても望むところであるが、フェブルウスの成人までは、分からない話だからだ。
「しかし、珍しいでありますね。先輩や、ミケーネ嬢ではなく、ケレーアリア殿が、だなんて」
「ええ。独り立ちしたからには一領民ですから。ここ百年は母の城に立ち寄るのは……半年に一度くらいでしたか」
「それは……先輩も寂しがるのでは?」
母譲りの柔和な風貌に反した、割り切り線引きのはっきりした物言い。
パルシオネはそれに苦笑しつつ、遠慮がちに尋ねる。
「まあ、文句は言われますね。度々泊まりに来てはお決まりのように……」
「ははは……まぁ、そう言わずに……」
思い出して疲れたように言うケレーアリアに、パルシオネは苦笑を深くしてなだめる。
魔族にとっても、親というものはいつまでも健在であるとは限らない。
パルシオネにとっても、生みの親は物心つく前に喪われた存在だ。
パルシオネとしてはクレタレア個人と親しいので、つい母の側に立ってしまうのであるが。
「もちろん。さっきはああ言いましたが、私だって家族と疎遠になりたいわけではありませんから……」
ケレーアリアはそう言って微笑むと、ふと視線を巡らせる。
が、その動きはある一点を見据えて止まり、瞬きもせず石のように固まってしまう。
「ケレーアリア……殿? どうされたのでありますか?」
「お姉さま?」
「パルシオネ男爵……あれは?」
ケレーアリアが震える声で指さす先には、ソバ粉を詰めた袋が積み重ねられている。
「ああ。ウチの領地の特産品であるソバ粉でありますよ」
「パルちゃんがつくってくれたガレットの元の?」
「はい、そうでありますよ。今日も用意してありますので、いま持ってこさせるでありますよ」
「やったー! パルちゃんのおかし大スキー!」
「いやそんなことより! いえ、それはそれでいいのですが……」
ばんざいする弟に被せ気味のケレーアリアの言葉に、パルシオネとフェブルウスは揃って首をひねる。
「コホン……あのソバ粉、『奪爵』で男爵に勝てばいただける、と?」
「まあ、そのつもりではありますね。でもこちらが支払いに用意した景品は、参加賞以外は動いてないでありますので、アレも配っちゃおうかと思ってるのであり……」
「タダで配るだなんてとんでもない!」
言葉を遮り、グンと顔を寄せるケレーアリア。
パルシオネはその勢いに思わず目を見開いて身を引く。
「……し、失礼しました……しかし、製粉したものはタダで配るつもり、とおっしゃるのなら、ゲームに勝てたら種か苗を貰いたい……といっても?」
再びの咳払いを挟んで、取り繕いながらの問い。
それにパルシオネは戸惑いながらも首を縦に振る。
「ええ。その条件でよいのでありましたら」
「いよっしゃあッ! 男爵領の特産物ゲット!」
了解するや否やの力強いガッツポーズ!
それにはパルシオネも、実の弟であるフェブルウスも引いた。実際に二、三歩と後退りするくらいに引いた。
「は! いや、その、たびたび失礼しました! 私普段は農家をしていまして、それで手をつけていない作物の事になると、つい……」
熱くなってしまった事に、ケレーアリアは恥じ入り縮こまる。
その様子に、パルシオネは一気に親しみを感じて笑みを浮かべる。
「そういうことでありましたか」
歴史と農業。
分野はまるで違えども、その追求に回りが見えなくなるほどに熱くなってしまうのは、パルシオネもまるきりに同じだからだ。
「しかし特産物とは言っても、わたしの預かっている土地は痩せたところが多くて、ただ他に育つものがないだけ、というのが実態なのでありますが……」
「やせてる?」
「畑に向いてる土でないということであります。魔術で干渉するにも限界があるでありますからね。なので、わたしがそういう土地でも平気で育つ植物を、資料から調べて作るように推奨したのでありますよ」
「なお素晴らしい作物じゃないですか!? たぎってきたぁああッ!!」
フェブルウスへ向けての解説を聞いて、姉の方がまた熱くなる。
「痩せて荒れた土地でも充分に育つ……農地としては見放されていた土地を救う、まさに救荒作物! 農地を塗り替える作物だわ!!」
そうしてもっともっとと、ケレーアリアはひとりで熱を上げていく。
「そういえばお母さまがね、パルちゃん見てるとケレー姉さまがかぶるって言ってたよ」
「え?! まあ、語りに入っちゃってる時は近い風かもでありますが……ええ……」
農業への思いのまま瞳を輝かすケレーアリア。
自分にかぶるというその姿に、パルシオネは自分はここまでいってるか、と苦笑する。
「というわけで一勝負願います! 私が勝ったら苗を一山分けていただきますからね!?」
「あ、はい」
ぐいぐいとゲームを申し込むケレーアリアの勢いには、パルシオネとしても受けて立つしかない。
「さあ始めましょう、私もこのゲームには自信がありますからね!」
ケレーアリアは返事を聞くやいそいそと席に着き駒を並べ始める。
「フェブくんのことは良いのでありますか?」
保護者として同行しているはずの幼い弟を置いてけぼりにした彼女の行動に、パルシオネは呆れ交じりにこぼす。
「だいじょうぶだよ。ぼくパルちゃんとお姉さまの勝負見てるから」
「そうでありますか? じゃあおやつを用意させるでありますから、見ていて欲しいでありますよ」
「はーい」
そうしてフェブルウスが甘いガレットをかじりながら見守る中始まった『奪爵』勝負。
「ううっ……勝てない……!」
「……あの、苗ならウチでの農業奉仕でいくらか融通するようにするでありますから……」
「ありがたい申し出です。が、それはそれとしてもう一勝負!」
「あぅう……」
いくら繰り返しても勝てないケレーアリアから、どこまでも泣きの一回を申し込まれ続けるという結果になるのであった。




