分野は違えど研究って興味深い
「それで……テッサリオ、殿でありましたか? ダフネ殿の父殿の?」
「いかにも……ダフネの父親、テッサリオです。先ほどは興奮していたとはいえ、失礼をいたしました男爵」
術式による小さな明かりの中。
飛び出すなり切りかかり怒鳴りつけたのとは打って変わって、青黒い髪の男、テッサリオは丁寧な所作で出合い頭の非礼を詫びる。
爵位を持たぬしがない料理人に過ぎないテッサリオの行いは、即手討ちに、むしろ切りかかったところで返り討ちに滅されていたとしてもおかしくないものだ。
「良いのでありますよ。わたしも研究に夢中になっている時には周りが見えなくなっていることがよくあるでありますし、気にしていないであります」
「かたじけない」
しかしパルシオネは、テッサリオの丁寧な謝罪に笑って理解と許しの言葉を返す。
それにテッサリオはもう一度深く頭を下げて感謝を示す。
それまで黙って見守っていたダフネは、父が許されたことに胸をなでおろし、口を開く。
「ホントに気をつけてよお父さん! 寛大な爵位持ちのパルシオネ男爵だったからよかったものの、もし迷子だったり、普通の有爵者様方だったらどうなってたことか……」
「わたしだったからよかったって……」
ダフネの言い方には引っかかるものがあるが、パルシオネとしても分からない話でもない。
挑戦したでも何でもないのに血が流れるとというのは笑って流せるような事態ではない。
ましてや幼子に万一のことがあるというのは悲劇である。パルシオネとしても子どもの犠牲というのは許容できるものではない。
しかし当のテッサリオは娘の心配を鼻で笑う。
「仮に迷ったとしても、こんな時間のこんな場所に子ども一人でうろつかせる筈があるものかよ」
「今の時間とか場所とかがどうこうじゃなくて! いつでもの話をしてるのよ!」
くだらない取り越し苦労だとのぞんざいな扱いに、ダフネは父に食ってかかる。
「だいたいお父さんはいっつもいっつも滅茶苦茶なのよ! さっきのだって声もかけずにいきなり切りかかるのがあるッ!? 一声かければ済むだけの話だったのにそれを……」
「まあまあまあ、ダフネ殿。過ぎたことでありますし。ここは一まず置いておいて……」
どんどんと熱を上げていくダフネに、パルシオネは割って入ってとりなす。するとダフネは父にぶつけようと吸い込んでいた息を吐き出して、渋々とうなづく。
「それにしても、テッサリオ殿は料理人と聞いているでありますが、一人で何を? 察するに狩りのようでありますが?」
場の空気を変えようとパルシオネが話を向けると、テッサリオはいかにもとうなづく。
「お察しのとおりです男爵。この辺りに生息する魔獣を狙っております。夜行性で光を嫌う性質の獣でして……」
「なるほどそれでたき火が邪魔だと……しかし、料理人が手ずから狩るということは、食べるのでありますよね? 魔獣は門外でありますが、このあたりで美味、珍味なる魔獣などおりましたか?」
テッサリオの説明を受けて、パルシオネは首をひねる。
野営経験もあり、野外料理に多少の心得のあるパルシオネは、美味しく食べれる野草や獣の知識もいくらかは備えている。
しかしそんなインテリデヴィルの知識をもってしても、わざわざ料理人が狩りにくるほどの食材に心当たりは無かった。
「まさかお父さん、またアレの料理を試す気なの?」
そうして首を傾け、頭の中であれも違うこれも違うと検索を続けるパルシオネの横で、ダフネが父に尋ねる。
問いかけるその顔は苦虫を噛み潰したかのようで、うんざりとした気持ちが満面に現れている。
「無論だ! 今度こそ必ず上手くいく! ちょうどいいからお前にも味見してもらうぞ!」
「イヤよ! そう言って美味しくしあがった試しなんかないじゃないの!?」
「……というと、テッサリオ殿の獲物を知っているのでありますか、ダフネ殿?」
「……魔獣ラバドラゴ……と言えばわかりますか?」
「え? ……ラバドラゴって、え? アレを食べる……ので、ありますか?」
ありえない。
信じられない。
何かの間違いでは?
そんな思いのまま、愕然とパルシオネは聞き返す。
だがダフネは苦々しい顔で首を縦に振る。
「……喜んで試食してるのは父だけです」
自分は好き好んでではない、と主張するダフネではあるが、無理矢理にせよ食べさせられたことがあるのは間違いないようである。
パルシオネとダフネの二人に、ここまでのゲテモノ扱いを受けるラバドラゴとはどんな魔獣なのか。
一言で言えばオオトカゲである。
全長は成体で2メートルから3メートルほどの巨大な爬虫類だ。
しかし、ただ大きめなだけのトカゲというわけではない。
その表皮は分厚く、まるでゴムのように弾力性に富んでいるのだ。
さらに体に比して長く大きな前肢にはまた高い柔軟性と伸縮性を持った皮膜があり、頻度は少ないがこれを利用した滑空さえするのだ。
加えて、その牙と吐息には麻痺性の毒素が含まれている。
そのトカゲの域を逸した能力ゆえに、リザード、ではなくドラゴと呼ばれているのだ。
ここまで挙げただけで食用に適さない要素は山のようにある。
しかし、魔族にとって何よりも問題なのは、単純に不味いということだ。
皮膚が厚く弾力性に富むと述べたが、ゴム質なのは筋肉もで、魔族の顎をもってしても噛み切り難い弾力を持っている。おまけにそのにおいまでゴムで、焼けば余計にひどくなるのだ。
間違っても食べようなどと思われるような魔獣ではない。
「ふん。不味いと知れている。だから食べられる方法を探すのだ! ありふれた料理を作るだけなどつまらん!」
ドン引きする娘とパルシオネを前に、テッサリオは鼻息も荒く吐き捨てる。
「誰もが包丁を置くような食材を、誰も聞いたことの無い調理法でしあげ、誰も口にしたことの無い味に仕上げる! それが俺がこの包丁と共に目指す有り様なのだ!」
「……そう言うのは、食べれるのができるまでは一人でやっててよね……」
自分の包丁を抜いて、熱く語るテッサリオ。だが娘からのコメントは冷ややかなものであった。
そんな父娘のやり取りに苦笑しつつ、パルシオネはテッサリオの出した刃に目をつける。
「……その包丁が、テッサリオ殿がお持ちだという魔包丁でありますか?」
「いかにも。折れた魔剣を打ち直したという、いかなる食材も易々と捌く刃です。しかし、これがなにか?」
なるほどテッサリオが言うとおり、肉厚の刃は竜の鱗にも刃こぼれしなさそうな力強さを感じる。
基であった魔剣も、相当に巨大な、それこそ鉄塊と見紛うような大剣であったのだろう。見事な肉切り包丁である。
「そうそう! お父さん、それパルシオネ男爵に見せてあげてくれない? 男爵が探してる魔包丁セットの一本かも知れないし……」
「いえ、ダフネ殿。テッサリオ殿のは、ショコララムスとは違うようでありますよ」
しかしパルシオネは自分の探し物とは違うと、ダフネの言葉を遮る。
「え?」
「拵えの様式がまるで違うのでありますよ。それはまあ、菓子メインの料理人でも、こういう大包丁を使う場合はあったかもでありますが、テッサリオ殿のは、千八百年くらい前によく見られた様式でありますから。少なくとも、それより何千年も昔に作られたショコララムスの一振りでは無いであります」
「そう、なんですか……」
パルシオネの見立てに、ダフネはしゅんとしょげてしまう。
「で、ありますが、もしよければ見せていただいてもかまいませんか? わたしにとっては大変貴重な、歴史ある道具には違いありませんので」
「む、ううむ……男爵が、そうおっしゃるのなら……」
にこやかに詳しく見たい、そして詳細な情報を頂戴したいと申し出るパルシオネに、テッサリオは苦し気に呻きつつ、両手で大包丁を差し出す。
片膝を着いて断腸の思いで献上するかのようなその様子に、パルシオネは自分の発言の迂闊さに気づく。
「あ、いや! 違うであります! 違うのでありますよ! 爵位を傘に着て強引に取り上げようとかそういうのじゃないのであります! 良ければちょっと触らせてもらえないかと尋ねただけなのであります!」
爵位持ちが無爵の者に「良いもの持ってるじゃないか」などと言えば、普通は力を盾に取り上げようとしていると思われるものだ。
慌ててそうではないと取り繕うパルシオネに、テッサリオはひざまずいたまま、訝し気に顔を上げる。
「で、では……大切な仕事道具であるので、遠慮してほしいというのも?」
「であれば、残念ではありますが、仕方ないでありますね」
その質問に、パルシオネは苦笑しつつも、テッサリオの気持ちを尊重して要求を通すと宣言する。
それを受けてテッサリオはかすかに呻く。だがすぐに立ち上がると、改めて持ち手をパルシオネへ向ける。
「分かりました。どうぞ」
「良い、のでありますか?」
おずおずと尋ねるパルシオネに、テッサリオははっきりとうなづいて見せる。
「本当に力づくに奪うつもりならば、もう有無を言わさずに取り上げていることでしょう。どうぞ、ご覧ください」
「ありがとうであります。時間は取らせないでありますから」
テッサリオの信用に感謝を述べて、パルシオネはいつものメモ用紙の束を片手に包丁に触れる。
するといつもの通りテッサリオの魔包丁の情報が紙束に自動書記されて、またパルシオネの歴史資料を豊かにする。
「うんうん。やはり私の見立てで間違いなかったようでありますね。蒼の剣と打ち合い断ち切られた大剣の切っ先を打ち直した肉切り包丁でありますよ」
パルシオネは包丁を返すと、出てきた情報が自分の知識での鑑定どおり、持ち主の知っているとおりの内容であったことに、内心胸を撫で下ろす。
「もう、良いのですか?」
「もちろんでありますよ。わたしは手に触れなければならないでありますが、触れさえできればすぐに終わるでありますから」
戸惑い受け取るテッサリオに、パルシオネは時間は取らせないと言ったでありますよね。と、にこやかに。
「むふふ……また貴重な史料が手に入ったであります。むふふ」
そうして、情報の書き込まれた紙束をしまったカバンを愛しげに撫でさする。
「それでは用事も済みましたし、退散しましょうか?」
それを受けてダフネは、早々に帰るように勧める。
よほど父の試作品を食べさせられるのが嫌なのだろう。
「いえ、もう少しここにいるつもりでありますよ?」
だがしかし、パルシオネはまだだと首を横に振る。
「う゛え゛?」
「新しいレシピの試作、研究、面白そうであります! お邪魔でなければ、見学させてもらいたいであります!」
「う゛え゛え゛!?」
分野は違えど研究者としての心をくすぐられたパルシオネの言葉に、ダフネからは濁った声が上がるのであった。




