小さくても頼られるタイプなのさ
遠目にも威容の明らかな魔城「髑髏杯に血を呷る宴」城。
それを頂く山と、その裾に広がる平野。
大きく開けた野に鈍い音が轟く。
激しい音を伴う激突の中心から、握った拳はそのままにのけ反るようにして離れる人影がふたつ。
かたや波打つ桃色の長髪を尾と引いたドレス姿のデーモン女。
対するその逆側は、真っ直ぐな黒髪を肩辺りで切りそろえたデーモン。
深い青に金糸刺繍で飾った燕尾服にズボンと男物の装いである。が、引き締まりながらも細身でかっちりとした礼装越しにも丸みを主張する体は女のそれ。
踵で地を削りながら間合いを開けた両者は、まるで強い風にしなった枝が戻る様に反った体をはね返す。
そうしてにらみ合う頬に赤いあざを刻んだ美女二人。
艶めいた美貌を憤怒に燃やして、血の混じったつばを吐くのは当代魔王キュベレー。
この時代の魔族最強の存在と殴り合ってなお、まったく表情を歪めることなく睨み返すのは、こちらも当代大公第七位ファイドラ。
「今日という今日はショタの元へ行かせん! この場で叩き潰してくれるッ!」
「元よりキュベレー様の許しを乞うつもりなどない。ただ貴女を越えてその先へ!」
「ぬかせぇえッ!!」
叫び、踏み込み、また同時に打ち込まれる拳。
技術など二の次の、しかし恐ろしい力と速さに任せて行われる拳でのぶつかり合い。
並みの生き物であれば、その一撃で骨格が砕けて死に至るであろう拳の行き先は断固として相手の顔面。
両者ともにデーモン女として美しく整った顔。それを互いに顔だけでデヴィル向けに仕立て上げようと言わんばかりに執拗に頭部へ叩き込む。
そんな二頭の雌虎のぶつかり合いを眺めるのは、緑髪赤眼のデーモンの少年。
猛獣二頭と比較すれば小さな雄猫にも見える彼であるが、手頃な高さの岩に腰かけて半ズボンの足を組み、正面で繰り広げられる衝突を平然と眺めている。
むろんそのように悠々と見ていられるのは、少年が殴り合う彼女らに比肩する怪物だからに他ならない。
そう。誰あろう七大大公が一人、ショテラニーユである。
「まだルールを守ってるぶん、平和的か」
自分を賞品として殴り合うふたりを眺めて、ショテラニーユはため息混じりにぽつりと。
脳筋にも程がある殴り合いに、平和的などという言葉はそぐわないように見える。が、魔術が使われていないだけまだマシなのは確かなのである。
力こそが地位を定める魔族同士である。だがその競い合いにおいて重視されるのはあくまでも魔術であり、主として比べ合う力は魔力である。
そのため、剣術をはじめとした肉体的な戦闘技術の評価はどうしても一段低くなる。
つまり魔術を封じた上での戦いというのは見世物、競技的な扱いとなってしまうのである。
よって美女ふたりが繰り広げる魔術を用いない殴り合いは、どれだけ激しくなろうと地位に絡むことのないスポーツの範疇を出ない。
こうしてショテラニーユを奪い合う争いを、殺し合いから競技レベルにまで抑えたのは賞品であるショタ大公その人。
あたら大公に欠員を出すべきではないと、命までを奪い合うことのない勝負をふたりに提案したのである。
もっとも、魔王と末席とはいえ大公。その魔力の衝突に城が巻き込まれないように、というのも偽りない本音であるのだが。
それでカードなどではなく拳闘を両者一致で選ぶ辺り、仲が良いと言うべきか例外無く脳筋と言うべきか。
そうして眺めている間にもキュベレーのアッパーがファイドラのあごをとらえる。しかし一歩も引かずにのけ反った上体を戻しながらの拳が女王の頬を叩く。
「くふふ。でもいいよね、ああいうの。楽しそうでうらやましいよ」
そんな自分との一時を争う殴り合いに対して、ショテラニーユは含み笑いをひとつ。
口の端をキュッと持ち上げ、血飛沫の飛び鈍い音の響く戦いを楽しむショタ大公。
魔術の使用を縛るルールありきとはいえ、遠慮も手加減も何もない勝負。
それを楽しみ羨むあたり、ショテラニーユもまた脳筋魔族の一員に変わりないということか。
そうしてショテラニーユが殴り合いを眺めていると、ふと上空に大きな影が過ぎる。
「ん? 誰のかな?」
自分の城へ向かって飛ぶ騎竜を見上げてショテラニーユはぽつりと呟く。
するとその声を聞きつけてか、飛竜は羽ばたき大きく旋回。ショテラニーユへ向けて降下し始める。
そのまま竜はショテラニーユを賭けた戦いの場からほど近くに着地。そしてその背の鞍から巨体がひとつ飛びおりる。
「兄さん、助けて!」
ショテラニーユを兄と呼び、重い足音を響かせ走る巨体。
一歩一歩、地を踏む度に地鳴りを響かせるのは象の足。
象足の走りに引きずられる尾は長く太い鰐のもの。
丸太の様なゴリラの腕の振りに合わせて、分厚い脂肪を揺らすトドの体。その背には広げて威嚇する程度にしか使えなさそうな蝙蝠の羽根が一対。
しかしその巨体の上に乗っかった顔は、金髪青眼の美しく整ったデーモンのそれである。
「アコマニ、どうしたのさ?」
顔だけがデーモンで、首から下は屈強な合成獣。
見るからにデヴィルであるアコマニに、親しげに迎えるショテラニーユ。
かたや幼げなデーモンでかたや巨体のデヴィル。
明らかに異種族であるこの二人が、アコマニがショテラニーユを呼んだように実の兄弟なのかというと、それこそがまさか。
デーモンとデヴィルのハーフというものも存在しないわけではないが、ショテラニーユとアコマニの二名の場合は義兄弟なのである。
ただ、どこぞの花園で生まれた時は違っても死ぬときは同じ、などと誓うようなものとはまた違う。
単純にショテラニーユの養母がアコマニの実の母であり、成年前の数十年を共に過ごした間柄という話である。
幼子が両親を討たれて失い、そして他に身寄りが無ければ、親が生前親しくしていた者が引き取る。魔族にとってはそれなりにありふれた話である。
「お前から助けてー、なんて珍しいじゃない。なにがあったの?」
そうして兄弟同然に育てられたアコマニの突然の来訪に、ショテラニーユは弟の巨体と殴り合いとに交互に眼をやる。
しかしキュベレーとファイドラの殴り合いは、飛び込んできたアコマニによって中断。ふたりとも顔に刻まれた痛々しい拳の痕をそのままにショテラニーユ達の元へ近づいてくる。
「アコマニ伯か。伯自身が身内とは言え大公の元に単身で転がり込むとはよほどのことと見えるが?」
さすがに執心の相手の身内は把握しているのか、キュベレーが名を呼び声をかける。
その斜め後ろについたファイドラは殴られた顎骨が歪んでいるのか、無言のままショテラニーユとその義弟を眺めている。
「こ、これはキュベレー陛下にファイドラ閣下!? 失礼いたしました!」
対してアコマニは、慌てて胸の前で腕を交差。手のひらを相手に向ける新式敬礼を王と大公へ向ける。
「よい。それよりも伯の火急の用とはいったい……?」
「そちらはともかく、キュベレー様にファイドラも、我が城の医療班に治させますので、治療を受けてきてください」
畏まるアコマニに話の続きを促すキュベレー女王。その傍らではファイドラも、無言のまま好奇に目を輝かせる。
ショタ大公は顔面の打撲と骨折を放置しようとするふたりに待ったをかける。
「それでアコマニ、一時を争う話ならキュベレー様たちには行ってもらって、ここですぐに聞くけど?」
そして城へ向けて魔術での発光信号を送りながら、義弟へ振り返る。
緊急性に加え、直属の大公の同盟者と全魔族の主君にも聞いて欲しくない内容なのかと暗に問う言葉。
それにアコマニは貴公子然とした顔を横に振る。
「急ぎなのは確かですが問題ありません。詳しくは城で話を。陛下もファイドラ閣下も関心がおありのようですし」
「そ、なら行こうか」
聞かせても問題無し。女王とよその大公の前ということもあり、公的な言葉づかいでのアコマニの答え。
ショテラニーユは自分の意思を充分に読み取ったそれを受けると、おのれの城へ足を向ける。
そしてショタ大公の言う通り、場所は移って城の中。
応接間に入ったショテラニーユたちはひとつのテーブルを囲んで腰を落ち着ける。
「それで? なにがあったのさ」
対面に座るアコマニに促すショタ大公。
その右手側にはキュベレー女王。逆にはファイドラが医療魔術の使い手をそれぞれに従えて座っている。
一人は身内であり直属の大公とはいえ、現魔族の上位八名の内三名の固まったこの状況。
それに兄に促されたアコマニは、トドの体を軽く膨らませて息をひとつ。体の緊張をほどほどに逃がしてから口を開く。
「実は、無理やりに結婚させられそうなのです」
「はぁ?」
ほとほと困り果てたと言わんばかりに眉を歪めての言葉。その内容にショタ大公は目を見開いて首をひねる。
これが未成年で幼いころの義弟の口から出た言葉であれば、ショテラニーユも即刻うなづき、アコマニと無理に結ばれようという者を切り刻んでいただろう。
だが意に沿わぬ結婚の解決を義兄に頼んだのは、成年を迎えて爵位を持つに至った一人前の魔族だ。
己の意思、己の望みは自身の力で正面から貫くべし。
これがデーモンもデヴィルもなく、魔族全体に通じる美徳である。
力が至らないのならば、その場は潔く粛々と結果を受け入れるべきなのだ。
そして力を蓄え、堂々と覆すのが本道である。
それをすでに独り立ちしたものが身内の力を傘にきて結果を突っぱねようというのは、いささか情けない話である。
「アコマニお前さあ、結婚って言ったってこれで五人目じゃない? 一人は増えるくらい今さらでしょ?」
ため息混じりに言うショテラニーユ。キュベレーとファイドラもまた同じ心境なのか、揃って繰り返しうなづく。
だがアコマニはそんな返事は分かりきっていたのか、深々とうなづく。
「これが通常の縁談で、正面から決闘した上での結果なら、兄さんにこんな風に話はしません」
「……どういうこと?」
普通ではないというニュアンスを匂わせるアコマニの言葉。
ショタ大公は義弟の苦しげなそれに、片眉を跳ね上げて詳しいところを尋ねる。
「相手の父は大公副司令官の公爵で、この縁談に応じなければ、公爵が力で以てねじ伏せると……」
「へえ? で、その公爵はなんて? 当然娘自身の力を示すようにしつけたんだよね?」
「その逆に、娘のためならと張り切って後ろについて……」
「ふぅん。そうかそうか……なかなか笑えることをしてくれるじゃないか」
先に身内の威光を盾に迫っているのは相手方。しかも親である公爵も面だって威圧に出てきている。
それを聞いたショテラニーユはゆらりと席を立ち上がる。
「ぶち壊すのは任せろ」
そして短く義弟に告げると、その両手からバリバリと魔力の雷をほとばしらせる。
大義名分を得た身内への情は、もはやはばかるものは何もないのだ。