まっすぐ行ってぶっ飛ばす!
魔王領内に聳える峻険な山。
岩のむき出しな山肌に毒々しい色の水が泡立ち、野生の魔獣どもが身の程知らずにも吠え猛る。
そんな山を目標に、翼を広げて進む一頭の竜がいる。
「先輩には話が行ってるんでありますよね!?」
空を行く竜の手綱を握るパルシオネが、背に掴まったレオナールに声をかける。
「は、はい! 伯爵城の侍従さんが伝えに行ってくれてます」
「で、ミケーネ嬢は一人で追っかけて行っちゃたんでありますね?」
「そうです! 俺と一緒にパルシオネ男爵と合流してから追いかけようとは言ったんですが……」
「それは仕方ないことでありますよ。この状況で冷静でいられるようだったら、正気でないか、偽物かと疑うところであります」
筋金入りのブラコンであるところのミケーネが、フェブルウスが拉致されたという状況で突っ走るのは仕方のない事だと、パルシオネは動じない。
「それにしても、さすがですね男爵。フェブルウスの大事を知らされても、冷静に考えを巡らせることができるなんて」
そんなパルシオネに、背中のレオナールが肉球が机に叩きつけられたときはどうなるものかと思ったと、安堵の息をつく。
「え? 怒ってるでありますよ?」
「え?」
しかしパルシオネからの返事に、レオナールはぎょっと目と口を開く。
「いやあ、この怒りはちょっと……ここしばらくは、貴重な遺跡やら史料をないがしろにしてる奴らにしか感じていないほどに深く、大きいものでありますよ?」
言葉と顔はにこやかながら、アナグマの手が握る革の手綱がギチギチと軋み音を上げている。
「ひぇえ……」
丹田あたりから、はらわたを煮えたぎらせるエネルギーを解き放ちそうなパルシオネの様子に、レオナールがたまらずに震える。
「ああっと、申し訳ないであります。心配しないでも、ぶつける相手は下手人だけに定めてるでありますから。しっかり掴まっていてほしいでありますよ」
「は、はい……」
怯えて離れかけたレオナールに、パルシオネは手放さないように注意して、改めて正面を見る。
「さて、見えてきたでありますよ……アレがやらかした子爵の城でありますね」
そうしてパルシオネは山の中腹にたたずむ城を見据えてギラリとその目を輝かせる。
「では行くでありますよ。ちゃんと掴まってて欲しいであります!」
「へ?」
何をするつもりかとレオナールが把握するよりも早く、パルシオネは竜の上から飛び降りる。
「え、えぇええええええええッ!?」
レオナールの悲鳴を尾と引いて、ふたりは地面へ向けて真っ逆さまに。
しかしパルシオネとて何も考えずに飛び降りなどするわけもない。
飛行術を発動したパルシオネは、尻尾から放つ突風を推進力に城へ向かう。
そうして風を纏ったパルシオネは、レオナールを抱えて子爵城へ降り立ち、大きく息を吸い込む。
「アリバム! お前が拐かした、フェブルウスくんを返してもらいにきたであります!」
術式で拡大した怒鳴り声を叩きつければ、番兵は腰を抜かしてひっくり返り、石造りの城壁もビリビリと震える。
声にぶん殴られての震えが治まると、城門が重々しく開かれる。
「ふん。バカみたいにでかい声で、誰かと思えばパルシオネ男爵か……貴様に用はないぞ?」
城門からゆっくりとした足取りで現れたのはデーモンの男だった。
中肉中背で険しい目付きをした子爵は、招かれざる客へ不快げな目を向けたまま、腰を抜かした番兵へ炎を投げる。
しかしその炎を、パルシオネは水の槍で射抜いて消す。
これにアリバムの眼が、強まった不快感でさらに歪む。
「キサマ……ッ!」
「そっちには無くともこっちにはあるであります! フェブルウスくんを返すであります! それにミケーネ嬢も、ここに来ているはずであります!」
しかしパルシオネはまるで怯まず、フェブルウスたち姉弟を返せと重ねて要求する。
「ふん。キサマのものではなかろうが?」
「今のところ、フェブルウスくんはわたしの弟子であります! それに、親しい上官の家族を心配することの何がおかしいでありますか!?」
男爵位でありながら、子爵相手に怯むことなく主張をぶつけるパルシオネに、アリバムは舌打ちを一つ。そして城へ向けて合図を送る。
するとそれを受けて、窓から投げ出されるものがある。
「ミケーネ嬢!?」
投げ出された鎖に縛られたミケーネを見て、パルシオネはその着地点に滑り込んで受け止める。
パルシオネは受け止めるや、すぐに魔術でミケーネを戒める鎖を切って解放する。
解き放たれたミケーネは息をしているものの、彼女の体には幾つものアザや刀傷、火傷が刻まれている。
「姉までは必要無いのでな。望み通りに返してやる」
「アリバム! キサマ子どもに何て仕打ちをするのでありますかッ!?」
「見た目も実力も、もう成人同然だったからな。少しばかり厳しい稽古になってしまった。そもそも、クレタレアさえ呼び寄せれば小僧は返してやるというのに、聞く耳を持たないからそう言うことになる」
アリバムが呆れたように言い放ったその一言に、パルシオネのタヌキ耳が動く。
「先輩を、軍団長を呼び寄せる? それで拉致するなどと、なんのつもりでありますか?」
「知れたこと。余興だよ。俺があの女の爵位と身柄を手に入れる戦いの、ちょいとばかり趣向を凝らした挑戦状だ」
そう言ってアリバムは、口の両端をいびつに吊り上げる。
「あの女、俺がいくら声をかけてもなびきやしないで、あんな筋肉ダルマとの間にポコポコと! だから大事な男との間にこさえたガキをエサに釣り上げて、爵位ごとにいただいちまうのさ!」
「だったらフェブくん巻き込まず、堂々と挑戦すれば良いことであります! まさか子どもを人質に使うつもりでありますか!?」
「バカを抜かせ! そんな勝ち方してなんになる!? 俺が欲しいのはクレタレアで、ガキに興味は無いんだよ! ガキなんぞ放り出そうが、どっかで誰かが育てるだろうが」
「そう……でありますか」
その身勝手な言い分に、パルシオネは低く抑えた声を返す。
そしてミケーネに耳打ちしつつ、レオナールに預けると、アリバムとの間合いを一歩詰める。
「ではもうひとつ余興はいかが? であります」
「なに?」
「クレタレア伯の前座として、わたしの相手もしてもらいたいのでありますよ」
「なんだと?」
パルシオネの申し出に、アリバムは訝しげに顔を歪める。
だがやはりパルシオネはそれに構うことなく、じりじりと間合いを狭めつつ、ミケーネたちの前からずれる。
「あいにくとクレタレア伯の到着はまだのようでありますし、それまでの時間潰しでありますよ……それともまさか、子どもは痛めつけられても、男爵を相手にしては自信が無いと?」
挑発の言葉に合わせての大きな一歩。
同時にアリバムが炎を放つ。
対するパルシオネは腕を一振り。風を起こし迫る炎を逆巻かせる。
「なんだと!?」
放った自分に大蛇となって牙向く炎を、アリバムはさらなる炎で叩き潰す。
「この程度なのでありますか? 男爵ごときに返されるような実力で、よくもまあ伯爵閣下に挑もうなどと思えるものであります」
さらに挑発を重ねるパルシオネに、アリバムは炎の後ろから雷撃を放つ。が、炎を貫き迸る稲妻も、パルシオネが足踏みして呼び出した岩壁にぶつかり霧散する。
「男爵風情がぁあ!」
「その男爵風情に軽くあしらわれているのが、いまのアリバム子爵閣下なのでありますが?」
「キサマがぁ!」
放たれる術のことごとくを防ぎ、あるいは反転させ、パルシオネは子爵をあおる。
その間にパルシオネは、レオナールとミケーネが城の前からいなくなっていることを横目で確かめ、うなづく。
「もしかして子爵閣下。この程度で全力なのでありますか? この程度で、子に手を出されたママ伯爵をどうにかできるつもりだったのでありますか?」
「このタヌキが! 相手をしてやっていれば好き放題にィッ!」
再びパルシオネは火炎を反転させて挑発。
するとアリバムは三層五十五式で生み出した火球を振り回して返って来たものを迎撃、吸収させてより大きなものに育てて掲げる。
「もう絶対に許さんッ! 消し炭にしてやるッ!!」
「……許さんのは、わたしの方であります……!」
さんざんの挑発にいきり立ち跳ぶアリバムを睨んで、パルシオネもまた三層術による土砂を放つ。
「その程度でなぁッ!」
そんなパルシオネの放った土の術にアリバムは哄笑し、抱えた炎の大玉を振りかぶる。
だが次の瞬間、勝利を確信したアリバムを旋風が飲み込む。
パルシオネが三層七十五の竜巻を間髪置かずに放ったのだ。
暴風は炎と共にアリバムを振り回し、さらに一緒に大量に含んだ土砂がその体に容赦なく叩きつけていく。
だがそれだけでは終わらない。
岩がぶつかり舞う嵐の中へ、パルシオネはさらに二層術で生み出した水を注ぐ。
空中に作り上げられた濁流は、まるで巨大な怪物が咀嚼するようにデーモン男の体をもみくちゃにしていく。
やがてパルシオネが三枚を一つに合わせた術式を解除。するとずぶ濡れに白目を向いたアリバムが宙に投げ出される。
「まだであります!」
きりもみ宙を舞うずたぼろのそれに、パルシオネはだめ押しとばかりに稲妻を放つ。湿った石に乱反射した電撃は、まるで網のようにアリバムを包む。
「ごふぁあ!?」
この電撃でアリバムは意識を取り戻し、息を吹き返す。
そうして目を覚ましたデーモン男は、べしゃりと城の前の地面に大の字に落ちる。
パルシオネはそんな、無様に這いつくばりうめくアリバムに背を向けて、城内へ探しに行こうと足を踏み出す。
「……おのれがぁ……慈悲をかけた、つもりか……」
そんな尻尾を揺らし歩くパルシオネの背中へ、アリバムは伏せたままに手を伸ばす。
その手のひらには、弱々しくも確かに一陣の術式が紡ぎ出されようとしている。
しかしパルシオネは振り返りもせず、城内に向かって歩いていく。
「その、甘さが……命取りに……」
「アリバム子爵。わたしはあなたにかける慈悲など持ち合わせて無いであります」
一矢報いようと術式を向けるアリバムの声を受けて、パルシオネが思い出したように訂正の言葉を投げる。
「あらぁ?」
その直後、ふわりとした声が流れ、赤茶色の風が走る。
「おごぅふッ!?」
風、クレタレアに蹴り飛ばされたアリバムはまた枯れ葉のように宙へ。
そしてそれを迎えるように、城から飛び出すモノがある。
「ウゥリャアッ!!」
「ゲブッ?!」
アリバムの背骨を殴り打ち返したのは、デーモン男に痛め付けられていたミケーネである。
「ミケーネ嬢、思う存分にやっちゃうでありますよ」
「はい! お母様直伝のぉおッ!!」
ミケーネは、自分に華を持たせてくれたパルシオネと母への感謝を込めてうなづくや、拳を構えて一気にアリバムとの間合いを詰める。
「ウゥリャリャリャリャリャァアアアッ!!」
暴風雨じみて降り注ぐ鉄拳の数々は、その一打一打が男の肉体に深く沈み、鈍い音をビートと刻む。
「うあっがっばぁああッ!?」
そうしてアリバムが悲鳴と打撃音を上げる楽器と化している中、パルシオネはレオナールから、気を失ったフェブルウスを受け取る。
腕の中のフェブルウスは眠らされているだけで、怪我もなく無事であるようだ。
それにパルシオネが安堵の息を吐いていると、クレタレアが隣に。
「ごめんなさいね、パルちゃん。私狙いの挑戦者だったのに巻き込んでしまったりして……」
申し訳なさそうにため息を吐くクレタレアに、パルシオネは首を横に振る。
「良いのでありますよ。むしろわたしの方こそ、いらぬ手を出してしまったのではないかと心配なくらいなのであります」
「そんな。パルちゃんのおかげで、ミケーネもほら、あんなに元気に……」
そうクレタレアが目を向けた先では、アリバムへ拳とともに術式を叩きこんでいるミケーネの姿がある。
いくら魔族が頑丈であるとはいえ、まだ傷跡も痛々しいほどであるのに、たくましいものである。
「ええ。はい。ミケーネ嬢がすぐに動ける程度でよかったであります」
その暴れっぷりにパルシオネは軽く引きつつもうなづく。
「でも、ミケーネに譲ってくれたみたいだけど、本当に良かったの? 実際にアリバム子爵を倒したのはパルちゃんなんだから、子爵位を手に入れることもできたのに……」
「そっちはそれこそ、ミケーネ嬢が動けなければ、大人しく前座として先輩の到着を待つつもりでありましたので……」
「本当に……?」
「いいんでありますよ。わたしは今の屋敷も男爵位の身軽さも気に入っているのでありますから」
言いながらパルシオネが改めて目をやった先では、ミケーネが母直伝の、掴みかかりからの零距離術式をぶちかましていたのであった。




