ショタ大公の日常
木々の鬱蒼と繁る山林。
その幹や枝葉の隙間から見えるのは巨大な城。
黒々と分厚く堅牢な城壁。
破るに困難を極めるであろうその威容は、挑む者の心を難敵への闘争心に昂ぶらせるであろう。
そのような城壁の奥。赤黒い尖塔をいくつもそそり立たせた彼の城。この黒い城こそ、魔族の歴史にその名を轟かせる大公城が一つ、「髑髏杯に血を呷る宴城」である。
「むぅおおおおおおお!!」
その名城に臨む山林が雄叫びに揺れる。
否、揺れるばかりではない。
鈍い音を立てて折れゆく木々が、周囲のものを巻き込みなぎ倒されていく。
その破壊と咆哮の中心には一頭の象が。
しかし象と表したがそれだけでは正確さを欠く。
その象は丸太のような二本足で立ち、黒地に金糸で飾った服を着ているのだ。
そして体のサイズそのものも、実際の象よりは随分とコンパクトである。
象人間とも呼ぶべきこのデヴィルは、長い鼻と太い両手足を振り回し、力任せに周囲の木々をへし折っていく。
景気の良い破壊の痕跡は、彼の背後に足跡のように森に刻まれている。
その巨躯から予想できる怪力。
しかしその単純なつながりと同じか、それ以上にシンプルなその容貌は、デヴィルの感覚としては非常に劣悪な容姿である。
服の下がどうなっているのかを見て取ることは出来ないので絶対にとは言えない。
だが見える範囲で断ずる限り、容貌についてひどく苦労してきたことは予想できる。
「むぅん!!」
そして一際強く四股を踏むように両足を踏み締めると、かざした両手の先に術式を展開。
たちまちに組み立てられていくそれは四層八十五式。それが左右の手それぞれに一つずつの二陣。
「受けてみよ!」
長い鼻を振り上げての野太い宣言。それを引き金に術式が稲妻と炎へと変わる。
森を貪り飲み込もうと、大顎を開く二色の魔術。
だがその瞬間。光が二筋、魔術を真っ向から射抜く。
「んなぁ!?」
八十五式もの魔術を薄布のように貫いて、象の肌を切り裂く光。
そして一拍の間を置いて、象の肌が血を噴いて開き、二つの魔術もあえなく散り消える。
肩まで赤く裂けた両腕をぶら下げ、たたらを踏む象男。
「くふふ……大公位を狙うだけあって中々の魔力だったよ」
そこへ含み笑いと共に現れる小さな影。
悠然とした歩みで木陰から出てきたのは、見るからに成人前の少年。
輝くエメラルドグリーンの髪。
大きく幼い目に収まった赤の輝き。
小さな体を包むマントの首元は「アネモネに柄を飾られた刺突両手剣」の紋章を模った留め金が抑えている。
そして揺れ踊るマントの裾からは、半ズボンから伸びた白い足が覗いている。
「けれどこのボクに挑むのは無謀だね」
言いながら小さなデーモンの少年は、指を空に滑らせて笑みを深める。
対する象のデヴィルは血の滴る両腕をぶら下げたまま後退りする。
「ぐ、うぅ……さすがは七大大公が一人ショテラニーユ閣下……その小さな体のどこにこれほどの力を……」
象のデヴィルは長い鼻の下からくぐもったうめきを溢しながら、ジリジリとショテラニーユ大公との距離を取る。
両者の背丈には倍以上の差があり、並べば体格的には大人と子ども以上の差を感じさせられる。
が、戦闘能力で見ればその差は完全に逆転している。
「ふふふ……でもせっかく挑んできたんだから、早々にあきらめたりせずにもっと向かってきたらどうだい?」
微笑を浮かべ、悠々と歩むショテラニーユ。
その迫力に圧されるように、象のデヴィルは血の滴る腕をぶら下げたままさらに後退り。
しかし立ち向かおうにも、すでに象の両腕は深く傷ついて動かせそうにもない。
決着も明らかなこの挑戦に、ショテラニーユはため息とともに首を横に。
そして戦いの終止符を打つべく、ゆらりと片手を持ち上げる。
だがその瞬間、象の瞳に鋭い光が。
続けて間髪入れずに伸びた鼻が、ショテラニーユの襟首を掴む。
「勝ち誇るには早かったようだな大公閣下ッ!」
その鼻先にはすでに完成間近の術式が一陣。
百式として構築された渾身の魔術は、ショテラニーユの首元ゼロ距離で今まさに発動の時を迎える。
だが臨界の直前、突然に象の鼻先に満ちた力が霧散する。
残るは発動を待つばかりの術式をなぜ止めたのか。
どうして目前の勝利を手放して石のように動かないのか。
「遅いんだよな」
その答えはショテラニーユの指さす先。象の額に空いた風穴にあった。
後頭部にまで抜けた穴。そこから粘りのある血が流れ出ると、象は目を白く剥いてその巨躯を傾ける。
マントの襟を掴んだ鼻をそのまま、覆い被さろうとしてくる象の躯。ショテラニーユはそれに柳眉をひそめ、虫を払うように手を扇がせる。
するとたちまちに作られた術式が風を生み、象のデヴィルを吹き飛ばす。
地響きを立て、仰向けに倒れる象男の躯。
ショテラニーユはそれを戦いの埃を叩き落としながら眺めてため息を一つ。
「せっかく百式を組める魔力は持ってて、奥の手としてもまあまあだったのに。術式の組み立ても発動も遅すぎる」
今回の挑戦者の実力をそう評して、小柄な大公はため息を重ねつつかぶりを振る。
とは言っても、術式構築の速度でショテラニーユと比較するのは酷である。
同時代における魔族最速。瞬きの間に百式一陣を作るとまで表されるショテラニーユにかかっては、大抵の相手はあくびをする余裕さえあるだろう。
やがてショテラニーユは風の魔術と合わせて跳躍。
上昇気流に小さな体を空高くまで運ばせると、指笛を吹く。
それに従って一頭の飛竜が接近。浮遊術で宙に留まるショテラニーユの下へ滑り込む。
そうして空に待機させていた騎竜と合流。
手綱を握ったショテラニーユは、そのまますぐ目の前に建つ居城へ向かう。
まるで血に染まった槍のように赤黒い尖塔の並ぶ中、ショテラニーユの騎竜は発着場として広く平たく設えられた屋上に降りる。
迎えの家臣団を遠巻きに、竜は首を降ろして伏せの姿勢に。
そのまま彫像となってしまったかのように微動だにしない騎竜からショテラニーユが飛び降りると、家臣たちは踵を鳴らして敬礼。
「挑戦に堂々と勝利しての御帰り、誠に喜ばしく!」
自身の制定した敬礼での迎えに、ショテラニーユは中性的な美貌を笑みに和らげる。
「うん。出迎え御苦労」
一糸乱れぬ畏敬の姿勢を見せた家臣らを笑みのまま労って、ショテラニーユは足を動かす。
その靴音を合図に、屋上に出ていた家臣はそれぞれに割り振られた仕事に取りかかる。
「侯爵様相手にしては随分と時間をかけられましたが、今回の挑戦者は楽しめましたか?」
その中で一人、燕尾服を来たデヴィルがショテラニーユに話を振る。
「いいや、ダハーク。今回も変わりなく、力ばかりのノロマだったよ」
「さようでございますか」
ダハークと呼ばれたデヴィルは、苦笑を浮かべてそのコブラ頭を縦に振る。
その額には虫の単眼が三つ。
首から下のシルエットは全体的に人のそれ。
しかし腕は人のものに加えて白いカマキリのがもう一対。
さらに足はダチョウ。ズボン越しにもみてとれる関節からして、腿から下すべてがそうなのだろう。
「それで? 今日の謁見、来客はあの挑戦者だけ?」
デヴィルとしては優れた容姿と言えるこの城付き家令に、ショテラニーユは歩みを止めずに尋ねる。
ダハークは主の足に追い付かぬよう、長い足を小刻みに左斜め後ろの位置をキープして従い歩いている。
「先触れがあったのはそのとおりですが、旦那様がそれはもうじっくりと戦っている間に訪ねてこられた方がいらっしゃいます」
「なにか含みがある言い方するじゃないか」
来客の知らせに添えた家令の一言に、ショテラニーユは眉をはねあげてダハークへ振り返る。
すると高い位置にあるコブラ顔は広い口を薄く開く。
「含むだなどと滅相もない。術式構築ばかりが早いちんちくりんの旦那様への親しみを全力で表現しているまででございますよ」
「お前さあ……まあいいや、いつものことだし」
「いい加減なほどに寛大な主で助かっております」
滑らかに皮肉を吐き出すコブラの舌にため息をついて、ショテラニーユは正面へ向き直る。
「で、客って誰? どこに待たせてるのさ」
「魔王陛下です。陛下が望まれましたので、この先の謁見の間にて」
「は?」
ダハークの答えを聞き終えると同時に、大扉が自ら割れるように開く。
「おお、ショタ。挑戦を受けている最中であったいうので、ここで待っておったぞ」
そうショテラニーユを迎えたのは艶やかな女の声。
声の主は城主であるショテラニーユの椅子に。
持ち主が座れば、横並びに二つ尻を並べてなお余りある広々としたそれに頬杖ついてゆったりと腰かけるドレス姿のデーモン美女。
クセのあるピンク色の長い髪をうねらせたその美女の両隣りには身綺麗な侍従が侍り、杯を酒で満たしたり、つまみを差し出したりしている。
そうしてすっかりとくつろいでいる様子の美女は、黒いドレスのすそから伸びる白く細い足を組み直して、ショテラニーユへ向ける切れ長の目を細める。
「ようこそキュベレー陛下……ボクの城にわざわざ来てくださったのにお待たせしてしまってすみません」
対するショテラニーユは浅く腰を折っての礼で返す。
「よい。余とお前との仲ではないか、なあショタよ?」
「ありがとうございます」
頭を下げるショテラニーユに答えながら、ふっくらとした艶のある唇をほころばす美女。
なにを隠そう彼女こそが、ショテラニーユら魔族七大大公の上に立つ当代の魔王である。
彼女の先ほどから使うショタという呼び名はショテラニーユの愛称であり、親しいものにしか許していないものだ。
自分より上位の相手であってもそれは例外では無く、大公位に上る以前には軽々しく使った上位者を抹殺している。
この呼び名を使ってショテラニーユが訂正もなく応対している辺り、魔王との間には確かな親しさが見える。
ただ、本人の与り知らぬところ、歓声に紛れるようなところなどでは密かに「ショタちゃま」などと呼ばれてもいるのだが。
さておき、魔王キュベレーは艶然とした笑みをそのままに、侍従の侍る椅子を下りて入口へ向かい歩き出す。
その主君の動きに応じて、ショテラニーユもまた揃え止めていた足を進ませる。
そうして互いに歩み寄る中、キュベレーはショテラニーユとダハークとを交互に流し見る。
「ダハーク、ここはいいよ。キュベレー様はボクに任せて、自分の仕事をしておいで」
「かしこまりました、旦那様」
城主の指示を受けてダハークは敬礼。侍従らと共に二人を残して謁見の間を後にする。
そして扉が閉じられるや否や、キュベレーはハイヒールの足音も高く小柄な大公へ駆け寄る。
「なんなの!? なんなのだそのズボンは!? ショタの生足、生足が!」
半ズボンによって惜しげもなくさらされた、無駄毛一本もないショテラニーユの足。
それにキュベレーは鼻息も荒く、皿のように見開いた目を釘付けにする。
形の良い鼻は昂ぶるままに穴を広々と大きくして。
まなじりが裂けんばかりに開かれた目にも、血が充ちて赤い筋が浮かぶ。
その有り様には、先ほどショテラニーユらを迎えた時の妖艶とした美貌は影も形もなく吹き飛んでいる。
やがてその鼻は興奮の限界を超えたのか、息吹に加えて血を流し出す。
この様子から察せられるとおり、この時代の魔族を統べるキュベレー女王は少年愛嗜好の持ち主である。
なお誤解の無いように付け加えておくが、ショテラニーユ大公はその地位を得る前にきちんと成年を迎えている大人である。
魔族としては魔術を研く傾向が集束、凝縮、高速化と珍しい傾向にあり、力量も地位にふさわしい。
しかし未成年にて大公位を得る特例に届くほど特異ではない。
要は少年愛者に対して決定的に訴えかけるのは、その幼い外見だけでしかない。
だが永遠の少年として完成した容姿からすれば、実年齢など些細な話だと見る者も多い。
事実、キュベレー女王は年齢関係なくショテラニーユに魅了されている。
「それで、呼びだすでもなくボクの城にいらしたのはなんの御用で?」
「お前の姿を見たくなったからに決まっているでしょう? ほかに何の理由が必要だと?」
足をガン見するキュベレーに苦笑交じりに尋ねるが、明かされた理由は公的なところの何一つない私用全開。
それにショテラニーユは湧いて出るままにため息をひとつ。
しかし対する魔王陛下はまるで気にした様子もなくショテラニーユの腿を撫でている。
「ああ……なんと素晴らしい衣服なのだ……ショタよ、これはやはり余のために作らせたのか?」
鼻血を拭き取りもせず恍惚の顔でショタの太ももを堪能するキュベレー。
それにショテラニーユは上質なハンカチで主君の鼻をから垂れる血を拭き取しながら首を横に。
「まさか。ファイドラが作らせたからって渡されたんですよ」
「ファイドラだと……? あの女が!?」
半ズボンをデザインして強引にプレゼントしたという女の名。それを聞いたとたんに、キュベレーの顔色が変わる。
上機嫌にショテラニーユの足を愛でていた手が止まり、柳眉がつり上がってピンクの髪も燃え上がるように。
「あやつめ! 余のショタに性懲りもなく擦り寄っているか!」
魔王が敵視するファイドラとは、ショテラニーユと同じ七大公の女デーモンである。
もっとも、彼女は昇格したばかりであるため大公としての序列は最下位なのであるが。
そしてキュベレー女王の言葉通り、彼女もまた筋金入りの少年愛嗜好の持ち主である。
ショテラニーユの存在が無ければ同好の士として共存する事もできただろう。
しかし奪い合いになっていては、どちらかが敗れるか、あるいは共有する事で折り合いをつけるか。
どのような形にせよ決着がつかなくては、同じ嗜好もかえって衝突を激しいものへと煽るだけになる。
キュベレー女王が、自分の物をかすめ取ろうと、少なくとも本人にとってはそういう認識の相手への敵意に燃えている中、不意に響くノックの音。
「失礼します旦那様。御来客がいらっしゃるそうです」
その音にキュベレーがその身を強張らせ、居住まいを整える。が、ノックをしたダハークは扉を挟んだまま、主人への用件を告げる。
「今度は誰が来るって?」
「ファイドラ大公閣下です」
「ファイドラぁあッ!?」
訪れる予定の客人の名を聞くや否や、キュベレー女王は一度は落ち着いた髪を再び逆立てる。
そして怒りに火のついた勢いそのまま、キュベレーは部屋を飛び出す。
その余りのタイミングの悪さにショテラニーユは堪らず額を抑えて天井を仰ぐ。
「やめてー……ボクのために争わないでー……」
気を落ち着けるためにおどけて呟く。だがその声は、この後の大魔族二人の諍いをとりなす疲労の前払いに重く沈んでいる。