殴り合い程度で奪い競うのは仲のいい証拠です
「今日という今日こそは、許さない! お前の顔面をカエルのようにしてくれる!」
「おのれ、やって見るがいい! 貴様の方こそアザでクモの顔みたいにしてやるぞ!」
整えられた庭木の並ぶ芝生の上。流れる音楽に乗っての歌うような脅し文句の直後に、着飾った二人のデーモンの女が同時に拳を互いの顔面に叩き込む。
鈍い打撃音に大小の太鼓の音が当てられて、激しいリズムを共に刻む。
「土の味を噛み締めるがいい!」
「一生分の鉄の味を馳走してやる!」
激しさを増す打撃の中、女たちは音を外し始めた歌もぶつけあう。
「ああーやめてー俺のために争わないでおくれー」
髪を掴んでは頭突きを叩き込み、お返しとばかりに引っかき、怯んだところに肘をぶつける。
そんな獣もかくやとばかりの、激しく容赦ない取っ組み合いの横で、デーモンの優男が歌っている。
「なんだか一本調子の歌ね」
「ぼうよみー」
自分を巡って美女二人が相争う様を嘆く優男の歌を、ミケーネとフェブルウスの姉弟がストレートにこき下ろす。
「いやいや、これは実は今の状況に酔って楽しんでいて、嘆いているのも形だけっていうのを表現したなかなかに見事な演技でありますよ?」
しかしパルシオネの評は姉弟のとは逆に、むしろ高度な演技であるというものであった。
「そうなの?」
「そうなのでありますよ。むしろこの役でいま情感たっぷりに嘆きの歌をうたわれたら、分かってないって興ざめものでありますよ。まあ、他の場面の演技も見てみないと、役者としてのホントのところは分からないのでありますが」
そんなやり取りをする彼らがいるのは、格闘オペラ舞台がよく見える客席の一つである。
しかし舞台とは言っても、その配置は奥の壁際ではなく広大な空間の中央である。
それも舞台の形は円形で、それを取り囲む形に客席が広く間を開けて配されているのだ。
真上から見れば大きな島を、その周りで海面から顔を出した岩がまばらに取り囲んでいる形になるだろうか。
客席の間に大きく空間を取っているのは、芝居を大人しく座って見ていられるのが少数派だからである。
好みの音楽や踊りの場面で一緒に踊り出したりするのはまだ大人しくかわいい方で、盛り上がり方によっては乱闘に発展したり、する場合も少なくない。
事実、パルシオネらの着いた客席のはるか後ろからは、舞台からのものとは違う、鈍い打撃音がちらほらと上がっている。
濡れ場がある芝居の場合には、それに煽られておっぱじめてしまうカップルも多い。というか、ダンスをしていた男女がそのままどこぞに姿を隠して、などという場合もままある。
ちなみに、同じ客席にいるはずの姉弟の両親については、お察しください。
そんなこんなで、客が演劇鑑賞以外に興じても対応できるように、この劇場の客席配置はなされているのである。
「ああ! しかしこんな弱い俺を! こんなにも強く美しい女たちが殴りあい奪い合う様はなんと愉快なものかッ!」
「うん、やっぱりわざとああいう歌い方してたんでありますね」
勢いよく本心のところを歌い上げる優男の演技を受けて、パルシオネは自分の見立てが正しかったことにどやっと鼻息をひとつ。
「お詳しいんですね、男爵」
「そんな爵位だけで呼ぶなんて寂しいでありますよ。昔みたいに、パルちゃんで良いでありますよ? どうしても気になるなら、パルちゃん男爵とか?」
「いえ、私ももう成人まで間もないので」
「そうでありますか? 本当にミケーネ嬢はしっかりものでありますね。あはは……」
気安く接しようとするもつれないミケーネに、パルシオネはすごすごと引き下がる。
そして小さく咳払いを挟んで、改めて口を開く。
「……それで、詳しいかって話でありますが、この劇の元になった話を知ってるのでありますよ。ちょうどこの、恋をめぐっての殴りあいが、いつ頃から見られるようになったのかを調べてたことがあったので」
「なんでそんなこと調べてたの?」
「わたしの研究してる、昔の大公さまの逸話に似たような話があったから……でありますね。繋がりがあるのか気になったのでありますよ」
「それでそれで? なにか、かんけいはあったの?」
「ショテラニーユ様を渡す渡さないでのキュベレー様とファイドラ様の拳闘。それが最初か、というのははっきりと言えないのであります。ありますが、そういう話が目立つようになり始めたのは、当時の大物二人の殴り合い話からのようでありますよ?」
「へえ! そうなんだ!」
「むふふ。フェブくんも興味が出てきたでありますか? いいことでありますよ。色んなことに興味をもって、手を広げていくっていうのは」
パルシオネがそう言いながら肉球で頭をぷにぷにとすれば、フェブルウスはふにゃりと顔を緩める。
「……ンンッ! それでは、この先がどうなるのか、聞けば教えて下さるのですか?」
そんな二人の間に、ミケーネが咳ばらいをして割り込む。
「んー……それはまあ、舞台向けの調整はかかってるにしても、大まかな流れは答えられるでありますよ」
釘を刺すようなその視線に、パルシオネは苦笑交じりにフェブルウスから手を放す。
「でも、それは秘密であります」
ブラコンには素直に配慮したものの、しかし先の展開の解説についてはウインク交じりにお断りする。
「な、なぜ!?」
「なぜってネタ晴らししたら面白くないでありますよね? 役者の皆さんにも失礼でありますし」
「くっ……それは、そうですが……」
「舞台で語られないところなどが気になったら、ミケーネ嬢も自分で調べてみるといいでありますよ? せっかくお母さまが司書なのでありますし」
「え、ええ……参考にさせてもらいます」
パルシオネがてへぺろっと放った言葉に、ミケーネは渋々といった風ながらうなづく。
それにパルシオネは笑みを返して、舞台をアナグマの爪で指す。
「ほら、そろそろ場面が変わりそうでありますよ。ここの仕掛けは面白いでありますよ」
パルシオネの言葉を合図としたかのように、舞台の上では女デーモンの殴りあいに幕が降りる。
同時に、互いの顔面に渾身の拳を叩き込み、また同時に膝をつくダブルノックアウトであった。
「いいぞぉおおおおお」
「よくやった! よくやった!」
「お見事! 見事な殴り合いでしたわぁあッ!!」
この死力を振り絞っての殴り合いの結末に、観衆からは大いに歓声があがる。
「ああー、また決着はつかなかったー。俺はいったいどーしたらー」
一塊になって倒れる二人を称え音楽をかき消すほどの盛り上がりの中、優男はやはりわざとらしく嘆き歌う。
「ふっざけんあぁあああッ!」
「引っ込めー!」
「こンのクズ男がぁあああッ!!」
それに演劇を見ていた観客からは大ブーイングが巻き起こる。
「うわぁ。やっぱりとんでもないことになっちゃったであります」
その勢いに怯んで尻尾を握りにくるフェブルウスを受け止めて、苦笑する。
このままでは観客の中で特に血の気の多い連中が舞台に殴り込みをかけかねない。
「ほおーう。女の争いに挟まれてどうにもならんと苦しいか」
そこで不意に野太い声が劇場に響き、舞台の上に深い霧が立ち込め始める。
「おおッ!? これはいったい、どうしたことだと!?」
突然起こった霧と不穏な音楽に、戸惑う優男と観客たち。
そのざわつきの中、霧の中で大きな影が揺れる。
その影は視線を巡らせる優男の背後で、ずるり、ずるりと弄ぶようにうごめく。
「ワシならば、その板挟みから助け出してやれるぞ?」
その声とともに霧を割って現れたのは、大柄なデヴィルだ。
その頭は蝙蝠のもので、首から下の上半身はワニだ。
下半身は熊で、その尻から伸びた赤と青の蛇の尾が二つ、音を立てて這いずっている。
「いいえ、侯爵様。あなた様の手を煩わせるわけにはまいりません」
そんな舞台映えするデヴィル美男の誘いを、優男は歌声を震わせて遠慮する。
それはそうだろう。優男の役としては、板挟みそのものはむしろ楽しんでいるのだから。
「なにも遠慮することはない。ワシらがお主の力になりたいのだ。ワシら夫婦の物になる。それにハイと答えるだけで、お前はあの女どもから解放されるのだ」
しかしコウモリ顔の侯爵様は優男に絡みつくようにして、自分の手を取るように誘う。
「勘弁してくれぇえ! 俺には、デヴィルでも男でもかまわないなんて趣味はなああああいッ!!」
そんな状態でのスポットライトを受けての魂の叫びに、観客からは「ざまあ」の声がちらほらと。
「ええい、ごちゃごちゃとうるさい! お主はどの道ワシと妻とに愛でられるのだ!」
「い・やーだぁあああッ!?」
しかし、力の差からはっきりと逆らわない優男の態度に業を煮やしたコウモリ侯爵は、もがく優男共々に霧に消える。
その後程なくして、虚空から現れた水が、倒れたままの女たちに降り注ぐ。
「なにがッ!?」
「ああッ!? 彼がいないッ!?」
アザだらけの顔と、水浸しの髪とを振り回していた彼女らは、程なく自分たちが奪い合っていた優男が居なくなっていることに気づく。
「私たちでない誰かが連れ去ったということ!?」
「そんなのは許せない! 探さなくては!」
いま自分たちがすべきことを歌い上げた女たちは、ぼこぼこの顔面を見合わせて、拳と拳を重ねてうなづく。
続いて走り出した彼女たちが舞台を降りるや否や、舞台上に作られていた庭の景色が崩れて消える。
「これは?」
「なにこれ、なにこれ?」
「むふふん。これがこの舞台最大の仕掛けであります。ここには幻術を補助、強化する仕掛けがされてるのでありますよ」
溶ける景色に驚くミケーネとフェブルウスに、パルシオネは得意げに解説をする。
この舞台は幻術をかけることで、その上に精緻な景色を作り出す。
出来上がった景色は本来映し出されるはずだったものよりも微に入り、細に入ったものとなる。
加えて全方位、どこから見ても役者に重なることはなく、観劇の妨げにならないようになっている。
それにより、幻術の使い手さえいれば、舞台ひとつであらゆる演劇の舞台を賄うことができるというわけだ。
「……ただ、幻術の通じない類の瞳には通じないのでありますが……それはともかく、ここで少し休憩しようと思うであります。フェブくんもお腹空いたのではありませんか?」
「うん。なにか食べたいな」
「そうでありますよね。では二人とも行くでありますか」
「いいんですか? すぐ次の場面に入りそうですけれど」
この部屋最外周にある食べ物のテーブルに向かおうとするパルシオネに、ミケーネが舞台を指さし尋ねる。
たしかにミケーネが言う通り、舞台の上では新たな場面に合わせた、石造りの部屋が生み出されようとしている。
「……これから始まるのが、デーモンの男をデヴィルの男女が蹂躙する場面なのでありますよ。いかがわしい意味で」
「すぐに行きましょうそうしましょうさあフェブはお姉さまと手を繋いで行きましょうね」
パルシオネが主義を曲げて、エグすぎる場面が待ち受けることを耳打ち。するとミケーネは息継ぎを忘れるほどに焦って弟の手を引く。
「ねえパルちゃん。げん術? ってけっこうすごいんだね。僕ずっと、お庭を部屋の中につくったのかと思っちゃった」
守ろうと急ぐミケーネの足に引っ張られながら、フェブルウスはパルシオネに振り返って、幻術の評価が改まったことを話す。
「そうでありますね。たがが幻と侮る者は多いでありますが、なかなかにバカにできないモノなのでありますよ」
「でも、幻術を使う間があったら、その分攻めの術を増やした方がいいのでは?」
「うーん……そういう考えもあるではありますが……」
補助に手を割くよりもその分殴ろう。
そんなミケーネの魔族にありがちな脳筋思考に、パルシオネはどうしたものかと苦笑する。
「ぬおうッ!? そこに見えるはパルシオネ男爵ッ!?」
しかしタヌキの耳に届いた聞き覚えのある野太く猪突猛進な声に、その苦笑が強ばる。
「パルちゃん、この声って……」
「ああ、気のせいでは無かったのでありますね」
フェブルウスにも聞こえた以上は空耳、思い違いのはずもないと、パルシオネは諦めてうなだれる。
「このような場所で会うとはまさに運命! さあ俺と婚姻と爵位をかけた勝負を……」
「一冊の書にさえ勝てないのはおとといおいで、であります」
時と場をわきまえない言葉を皆まで言わせずに、パルシオネは術式を発動。
しかしそれは破壊力をもった物ではない。
ただ一冊の本の幻を呼び出す術式だ。
しかしその幻術を受けたシカ角イノシシは、その場に倒れて大いびきをたてはじめる。
「自分で開発しておいてなんですが、ちょっと引くくらいの効き目でありますね」
「すっごーい! 今のなに? 今のなに?」
「本を開くと眠くなるとか言う、かわいそうな魔族対策に作った幻術でありますよ。覿面すぎてわたしがびっくり……って、ミケーネ嬢?」
苦笑混じりにフェブルウスに解説していた途中で、パルシオネはミケーネが倒れていることに気づく。
「なにが……って、寝てる、でありますか?」
どうしたのかと慌てて調べてみるも、ミケーネはただ安らかに寝息を立てているだけであった。
「お姉さまもね、本を読むとねむくてしょうがないんだ、って言ってたよ」
「おぉう、なんてことでありますか」
こうしてパルシオネは、ミケーネを背負って移動しなくてはならない羽目になったのであった。




