名付けられた子
「招いてくれてありがとう」最後に聞いた言葉がまだ耳に残っている。
開けなければよかった。リンドウさんを巻き込んでしまった。領主のことは、しっかり聞いていたつもりだったのに。
「名前は?」
誰かが優しく問いかけてくる。
視界は、まだ暗いままだ。
目を覚ますのも、唇を動かすことすら億劫で、だけど答えなければならない気がして声を出す。
「あ……ぅ」
でもやっぱり、出せたのは声にならないうなり声。
誰かがもう一度、「名前は?」と問いかける。
名前。
ちゃんと、名前はあるのに。
もう一度答えようとして、初めて尋ねられた場面が脳裏に浮かんだ。
今はもう顔も思い出せない冒険者のお兄さんから、同じように尋ねられたのだ。
☆
その少女には何も無かった。家無く親無く居場所無く、名前なんて物も無い。
ただ毎日、生きていくために精一杯だった。
「ひじょうしょく、いかがですか。やくそうもありますよ」
そう言って彼女は通りがかった冒険者に声をかける。
舌足らずの口調に、がりがりのちっぽけな体躯。見るからに年端もいかぬ子供だった。その上、町のはずれで貧相な道具を並べて物売りに身を投じている姿はあまりにも哀れだ。
「いかがですか」
少女はもう一度冒険者に声をかける。差し出した薬草と少女を一瞥して、冒険者は黙って顔を背けた。
ーーまたか。少女は嘆息をもらす。
薬草はしなびて駄目になる寸前、元々冒険者たちの採集からあぶれたものをこうして売ろうとしているのだから買い手がつかないのはある種必然のようなものだ。それでも彼女はこうするしかなかった。弱い少女には、こんなものしか手に入れられないのだから。
「ねえお嬢さん、槍斧を持った目つき悪いおっさんが通らなかった?」
赤い髪色の男が少女に話しかけてくる。服装を見るに彼も冒険者なのだろう、背中に巨大な剣を背負っていた。
「うーん……。明け方からいますけどみてないです」
「明け方! そんなに早くから?」
赤髪の男は驚いていたが、少女にとっては至って普通の活動パターンだ。夜明け前に起きて町の外で採集し、日中は物売りで日が落ちれば雨風がしのげる場所で眠る。ずうっとその繰り返し。
もし狩りの一つでもできたなら余裕もあっただろう。もし手に職があるならば違った暮らしもできただろう。ただ、少女はそうならなかっただけだ。
ぐぅぅぅ。
その時ちょうどよくというか、少女の腹の虫が大きく鳴いた。
「ご飯、食べてないの?」
「……うりものならあります」
そう言って少女は今朝採った果物ーーさっきまで「非常食」という名目で売っていたものだーーを指さす。
それは男の目に瑞々しく見えた。……が、いくらなんでもこれだけで空腹を満たすわけにはいかないだろう。少女の姿を見るに、食事すら満足に摂っていないことは明白だ。
「そうだなあ。捜すのも疲れたし、隣で休ませてもらえるかな」
「どうぞ」
少女に断る理由はない。広げたござを少し移動して、男のために場所を空ける。
「ありがとう。はい」そう言って男は鞄から携行食糧を取り出し、少女に差し出した。「情報料。連れが来ていないことが分かったから、無駄足を踏まずにすんだ」
「……みていなかったと言っただけです」
少女は男からの施しを拒否する。が、視線は携行食糧から逸らせないままだ。
「なら食事中話し相手になってよ、一人で食べるのは味気なくて仕方ない。これはその間お嬢さんの仕事を邪魔するお詫びということでどうだろう?」
どうやら彼は何としてでも少女と食事したいらしい。とうとう根負けした少女は、男から携行食糧を受け取った。
「良かった。実は、旅の資金はあらかた連れが持っているから、報酬は現金がいいとか言われないかとヒヤヒヤしてて」
どこかズレた心配をする男に、クスリと少女が微笑んだ。
「お兄さんはどこからきたの?」
「霧の街ーーここよりずっと遠くから。そこで連れに誘われて、冒険者見習いをしながら自分探しをしているんだ。お嬢さんは外の世界に憧れない?」
「私にはムリですよ。おおきな剣なんて持てないから」
少女の言葉はその幼さにに見合わないほど諦観に満ちていた。これまでの生活が、彼女の人生観を狭く固めてしまったのだろう。
暗い雰囲気を察して、男は話題を変える。
「お嬢さん……というのも呼びにくいね。名前は?」
「孤児とか、みなしごとか」
「それは名前じゃない」
即座に訂正を入れるも、少女はどこがおかしいのかわかっていないようだ。
「あと、外の人にはちびすけといわれることもあります」
「多少はマシになったけど、なんだかなあ」
わずかに考え込んだあと、男は地面にRindoと何か書き始めた。
「これがボクの名前。ここから……」くるりと“Rin”に丸をつける。「はい、綴り覚えて。アール、アイ、エヌ」
「……これは」
少女はパチパチと目を瞬かせながら男の顔を仰ぎ見る。
「きみの名前。代わりに、残ったボクの名前は『ドゥ』とかそんな風になるけど」
そして男は懐からダガーを取り出す。大人の男が片手で使えるくらいのーー大きくも重くもない武器だ。
「餞別だ。きみはこれを売って物売りの資金にしてもいいし、これを武器にして冒険者を目指すのもいい。……できれば冒険者になってくれると嬉しいんだけどね」
最後に付け足した言葉は男の本心のようだが、あくまでも少女の選択に任せるといった調子で押し付けがましさは感じられない。
「だめ。もらえない。ごはんだけでじゅうぶん……」
「なら、お嬢さんが大きくなって返せるようになったらでいいよ。美人道具屋になるか美人冒険者になるか、今から楽しみだ」
どうやら男の中では少女が美人に成長するのは決定事項らしい。
「さて、そろそろ連れを捜さないと。一緒に食べてくれてありがとう」
そう言って男は立ち上がる。礼を言うのはこちらの方だと言いかけるが、少女がそう言っても男はきっとはぐらかすだろう。だからーー
「またあえる?」
少女が問うと、男はにっこりと微笑んだ。
「またね」
☆
冒険者のお兄さんはそう言ってくれたから。自分もあのようになりたいと思ったから。私はその日からーー
過去話。
アルちゃんの名前はこの通り「Rin」とつけられたのですが、文字読めない子なので「アールアイエヌ」だと思っています。そして字も「R」までしか覚えてません。冒険者のお兄さんがちゃんと名前で呼ばなかったのが悪いね。




