朝食
ぱちり。ベッドの上で目を覚ましたアルは上体を起こした後、んん、と伸びをする。階下からは脂のとろけたような香りが漂ってきており、つられて腹の虫がぐぅぅと主張をしだした。
「いい匂い。ベーコンかな」
アルはベッドから下りると、部屋の窓に近寄る。しばらく快晴続きだった空は今日鼠色に曇っており、町並みも薄ぼんやりと霞みがかっていた。
「雨が降りそうだし、どうしよう。採集はやめてリンドウさんのお手伝いさせてもらおうかな」
と言っても現在宿泊客はアルのみで、だいたいの仕事はリンドウ一人でこなしてしまう。せめて力仕事を手伝おうとしたこともあったが、腕力もリンドウに負けていると判明してからは「お客さんはゆっくりしていてね」とたしなめられる始末だ。アルが「美女相手に負けた」と言って落ち込んでいたとき、当のリンドウは黙って微笑んでいたせいで余計に敗北感を味わったものだ。
「おはようございます。……わぁ」
一階に降りたアルはテーブルの上の料理に目を奪われた。予想通り、カリカリの焦げ目をつけたベーコンに半熟の目玉焼きを乗せたベーコンエッグ。ほんのり色づいたお手製のパン。湯気を立てている琥珀色のオニオンスープ。それから新鮮な野菜を使った彩りサラダ。メニューはシンプルだが、リンドウが味に妥協しないことはこの数日間で身にしみて理解していた。
「おはよう。ちょうど呼びに行こうと思っていたところよ」
そう言ってリンドウは紅茶を淹れながらアルに笑いかける。手渡されたティーカップの中で、甘いベージュ色が揺れていた。冷めないうちに早く食べて、と促される。
「いただきます」
席についたアルはティーカップをテーブルに置くと、パンを掴んでそのままかじりついた。頬張るたびに小麦の味と香りが口いっぱいに広がる。
「そうだアルちゃん、ダガー仕上がったわよ。今日も採集に行くの?」
パンをちょうど飲み込んだあたりで、ティーカップを持ったリンドウがアルに問う。いつも通り、リンドウもこれから朝食のようだ。
「そのことなんだけど、今日は天気が悪いからリンドウさんのお手伝いをするよ」
「気にしなくていいのに」
リンドウはアルの向かいの席に座り、ティーカップに口を付ける。
「でも、そうね。外には行かない方がいいわ。天気が悪いなら、領主様が来るかもしれないから」
「領主様って、昨日言っていた?」
夜になるまでなら大丈夫ではないのかと聞くと、「太陽が出ていないときは遭遇してしまうかもしれない」と返された。場合によっては、夜より、日中霧が出ているときの方が遭遇しやすい、とも。
「霧……さっき見たとき、出ていたかも……」
「だ、大丈夫よ。領主様は、招かれない限りは他人の家に入れないから」
リンドウなりに励ましているつもりなのだろう。つまり、ヘタに外に出なければいい、ということかと納得する。
「それで、お手伝いね。申し訳ないけど、やってもらいたいことってあまりないのよね」
言いながらリンドウはサラダに手を着ける。そして、思いついたように、「武器の使い方、教えてあげましょうか?」と言い出した。
「使えるの?」
驚くアルに、リンドウは部屋の周囲を見渡した。
「ええ。椅子とテーブルを動かせばそれくらいのスペースはできるわ」
「そうじゃなくて、武器」
「ああ、そっちの方ね。大丈夫よ、こう見えて昔は冒険者だったの」
宿屋をやる前の話だけれどアルちゃんよりは強いわよ、と軽く言ってのけるリンドウ。ここでアルは、そういえば初めて彼女と会ったときに店主がそんなことを言っていたなと思い出す。
「無理にとは言わないけれど、戦い方を覚えておけば護身になるし、仕事の幅も広がるわ」
「それ、じゃあ」
今後も吸血領主がいるこの町で仕事をしていくなら。ーーリンドウがいるこの町に居続けるなら。
「お言葉に甘えて。お願いします」
アルはリンドウの言葉に承諾した。




