吸血領主の噂
「ただいま」
そう言ってアルは宿屋に入る。初めは照れくさかったこの挨拶も、ここ数日で繰り返すうちに「家に帰ってきた」という実感とともに言えるようになった。
そしていつも通り、宿屋の中ではリンドウが待っている。
ただし、いつもと違って、その表情は険しげだ。
「もう、アルちゃん遅いわよ。暗くなる前に帰ってくるように言ったじゃないの」
窓の外は夕焼け色。人通りもすっかりなくなっている。
「ごめんなさい。でも、今日はいつもより沢山穫れたんだ」
そう言って誇らしげに戦利品ーー薬草や木の実ーーの入ったバックパックを見せる。対してリンドウは呆れたように「あなたって子は……」とため息をついた。
「日が落ちたら、領主様が血を吸いに来るのよ。家の中までは入ってこないけど、外を出歩いていると襲われちゃうわ」
それは、アルが初めてこの宿に泊まった晩にリンドウから聞かされたことだ。
町外れの古城に住む吸血領主。夜霧とともに現れ、女は城にさらい男はその場で干からびるまで血を吸われるのだそうだ。
「そ、そんな子供だまし……」
「本当のことよ。だからこそ、この町では物価が高くなっているんだから」
それを言われるとアルも返す言葉が無い。初めに見かけた宿屋、リンドウと出会った道具屋、なるほど脅威が身近にあるからこその価格設定だったというわけだ。
そして裏を返せば「彼」の手によって多くの住民や冒険者が命を落としているということだ。もしも帰ってくる途中で出遭ってしまっていたらと想像し、アルの背中を汗が伝う。
ーーそんなアルの様子を見て、リンドウがクスリと笑う。
「反省したみたいね。ほらほら、ごはんできているから早く入って」
その一言で、アルの表情が綻んだ。
「今日はなに? リンドウさんのごはん美味しいから楽しみだな」
「ミートパイよ。さっきの木の実を使わせてもらえればジュースも加えられるわ」
「じゃあお願いします」
アルは採集した木苺の入った皮袋をリンドウに手渡す。受け取る寸前、リンドウはアルのダガーを見て、言った。
「ずいぶんボロボロになったわね。ついでにダガーも研いであげるわよ」
リンドウに指摘され、アルも自身のダガーに目を落とす。何を切るにもこの一本で済ませていたせいか、確かに刃こぼれしていた。
「そんな、悪いよ。ただでさえ宿泊費を取ってきた素材でそのまま受け取ってもらっているのに」
しかも先ほどのように渡した素材がそのまま食事として戻ってくるのも多々あるのだ。アルとしてはこれ以上リンドウの厚意に甘えるわけにはいかなかった。
「何言ってるの。武器は冒険者の魂なんだから大事にしなくちゃ」
「魂って、いくらなんでもそれは言いすぎじゃ」
「いいえ、武器一つで生死を分かつことだってあるんだからね。それに切れ味が落ちて帰る時間が遅くなるのは許さないわよ」
その後何だかんだと渋るアルだったが、結局はリンドウの熱意に負けてダガーを預けることになった。
「任せて、明日の出発までに以前より切れ味よくしてあげるわ」
明らかに張り切っているリンドウ。対してアルは困惑気味だ。
切れ味がよくなっても大した物を切る訳じゃないけどなあ、という言葉を飲み込んだ結果、「お、お手柔らかに」と言うので精一杯だった。




