#0 A.D.20XX
<そこのきれいなお嬢さん。よければワタクシとお茶でもいかがデスか?>
さんさんと日差しのあたる夏の真昼。
公園の木陰で涼んでいた沙良は不意に声をかけられた。
百舌野沙良、十四歳。悩みは一向に伸びない一四〇センチの身長。
同年代の女の子たちと比べても背が小さく、顔立ちの幼さもあって、今日みたいに私服で出かけた日曜日なんかは小学生にも間違われる。
そんな自分にナンパ? と思って声の主の方を振り向き、相手の顔を見てくすりと笑った。
「悪いけど私、待ち合わせしてるところだから」
<おや、そうデシたか>
「そもそもお茶飲めるの? ロボットなのに」
<飲むのは無理デスが、淹れるのはできマスよ>
沙良に声をかけてきたのは、ドラム缶のようなロボットだった。
身長は一五〇センチほど。頭頂部分の液晶モニターに、「〇」と「□」の図形で描かれた簡素な顔が表示されている。
角ばった部分はまるでなく、胴体は衝撃吸収プラスチックでできた円筒形、腕は蛇腹のロボットアームで、足は底面についた球状ローラーと、全体的にデザインが丸っこい。
機種の名前はロボット・ブロス。通称、ロブロ。高度な人工知能と愛嬌のある姿で市民の心を掴み、いまや世界中に数百万台の兄弟を持っている近代都市の新たな住人だ。
<先ほどからおひとりでおられるようデシたから、お声をかけさせていただきマシた。ワタクシ、半自動販売機になってマスので、紅茶もコーヒーも淹れられマスよ>
言われて見ると、沙良に声をかけてきたこのロブロは、カップ式自販機の機能があるらしい。
背中には材料をストックしておくリュック状のパーツが備わり、お腹にはお金の投入口とドリンクの入ったカップを取り出すポケットがある。
<ワタクシの淹れるコーヒー、この近辺では中々の評判なのデス。今なら『あつ~い夏を乗りきるフェア』で、アイスは割引価格で提供してマス。お得デスよ>
ロブロはえっへん、と腰(と思われる部分)に手を当てて、タッチパネルになっている顔のモニターにメニューを表示した。
カフェオレ、エスプレッソ、アメリカン、ロブロのオリジナルブレンド、なんてものまである。
「んー、それじゃあ、このカフェオレでも……」
「さっちゃーん!」
ロブロのタッチパネルに触れようとしたところで、後ろから聞こえた声に手を止めた。
さっちゃん。沙良の小さいころからのあだ名だ。
響きがちょっと子供っぽいのが嫌で、中学からの友達にはこのあだ名で呼ばないようにしてもらっている。
今でも呼んでいるのは、小さいころからの幼馴染だけだ。
「おーい、さっちゃーん!」
大きく手を振りながら走ってきたのは豪寺晴。
沙良ほどでないにしろ、十四歳にしてはあどけなく、またこの歳の男子には珍しく前髪をヘアピンで留めているのもあり、男子と女子のボーダーのような印象を受ける。
その顔に男らしさが滲んでくるには、もうしばらく成長を待つ必要がありそうだ。
そんな晴は、よほど急いで来たのだろう、ぜいぜいと息を切らして、小さなおでこに玉の汗を浮かべている。
「ごめーん、遅くなっちゃって……」
「はーるーくーんー?」
沙良はずかずかと詰め寄って、腕を伸ばして背伸びして、手首の腕時計を鼻先に突き付ける。
「あのねー、今日は何時に待ち合わせか覚えてるー?」
「え? えっと……十時……」
「でしょー? それでねー、今は何時だかわかるー?」
「……じゅ、十二時です……」
「でしょー? 約束した時間からねー、どのくらい遅れたかわかるー?」
「……に、二時間……」
「でしょー? なーんだー、わかってるじゃーん」
あはははー、と沙良は朗らかに笑うが、目だけは冷たさを増していって、晴はとても笑えない。
この時点で既に、晴は沙良の圧力に負けて涙目になりだしていたが、それでも一応、恐る恐る聞いてみる。
「……さっちゃん、ひょっとして、怒ってる……?」
「あたりまえでしょ?」
沙良は笑った。優しく微笑んだ。なのにその顔に空恐ろしさを感じて、晴は「ひぃ」と悲鳴を漏らした。
「だいたい晴くんは!」
畳みかけるように沙良が声を荒げた。
「朝はいつも寝坊するし! 学校の宿題とか忘れてくるし! 方向音痴ですぐ迷子になるしーっ!」
「あうぅ……」
「本っ当にいい加減にしてよね! 中学二年生にもなったら、もうちょっとしっかりしなさいっ!」
「はい、ごめんなさぃ……」
叱られた晴は涙目でしょぼくれてしまったが、そのくらいで沙良のふくれっ面は収まらない。
見かねたロブロが「まあまあ」と仲裁に割って入らなければ、さらに叱責が飛んでいただろう。
<お嬢さん、そう熱くならないで。そちらの坊ちゃんも汗だくデスし、冷たいお飲み物でクールダウンされては? おふたり様向けのドリンクもありマスよ>
「ふたり向けって……うえぇ?」
ロブロのモニターを一面使って表示された商品を見て、晴が顔を赤らめた。
ひとつのカップにストローが二本、ハートマークを描くようにカーブして差さったドリンク。
見た目からしてカップル向けのメニューだ。
<お気に召しませんデシたか? お二人とも、とてもお似合いだと思うのデスが>
小首をかしげているのだろうか。ロブロの身体がちょっぴり斜めに傾く。
「お似合いって、そんな、えへへ……」
「私たち、ただの幼馴染だから。付き合ってるとかじゃないよ」
お世辞であろうがお似合いと言われて内心すごく嬉しい晴は顔を赤くして照れるが、当の沙良は眉ひとつ動かさず否定する。
照れ隠しだ、と思うには、その表情は真顔すぎた。
「私はカフェオレにするけど、晴くんはなに飲む?」
「あ、じゃあ同じやつ……」
<カフェオレ二つ、一八〇円になりマス。……二時間も待ってくれるのデスから、希望はありマス。応援しマスよ>
「……ありがと……」
がっくり落ちた晴の肩に手を置いてロブロが励ます。
沙良だけがよくわかっていない様子で、お財布ケータイをロブロのお腹のカードリーダーにかざしていた。
<……おや?>
ロブロが冷たいカフェオレを紙カップに注いでいると、そのモニター・フェイスに「緊急速報」のテロップが出た。
町中どこでも見かけるロブロには、街頭広告などの他、こうした臨時ニュースもキャッチする役割がある。
流れていくニュース速報の字幕はこうだった。
『午前九時三十分、横浜市みなとみらい周辺で大規模なロボットテロが発生。死者二十名以上、けが人五十名以上。テロはすでに鎮圧されましたが、現場はなおも警戒中――……』
<最近は物騒になりマシたね。この間もテロがありマシたし>
ニュースが終わるとロブロは画面表示を元に戻し、カフェオレを二人に手渡して踵を返す。
<お二人も、お気をつけてくださいね。何かあったときは最寄りの避難所へ。それでは>
「うん、またねー!」
ぱたぱたと手を振って去っていくロブロに、晴は同様に大きく手を振り返して見送るが、隣の沙良はちょっと恥ずかしそうだ。
こういう子供っぽいところ、いつになったら直るのかなぁ、なんて思いながらカフェオレに口をつける。
冷たいカフェオレは甘くて口当たりもよく、いくらでも飲めそうなくらい美味しくて、二人ともすぐに飲み干してしまった。
「晴くん。さっきニュースが出てたけど、遅刻したのって、あれのせい?」
「……うん。さっちゃん、心配させたくないから、言わない方がいいかなーって……」
ばつの悪そうに頬をかく晴に、沙良はそれこそ言ってくれればと思ったが、余計な負担をかけたくないという気持ちを無下にしたくもなくて口をつぐむ。
そんな心中を察したかはわからないが、気にしないで、と晴が言う。
「それより、これからどうしよっか、遅れちゃったけど、予定通り買い物行く? あ、先にお昼の方が――」
晴の言いかけた言葉は、最後まで続かなかった。突然に響いた、耳をつんざくような大音響に遮られたせいだ。
音のした方角、街の中心の方からは黒煙が立ち上っていた。
* * *
晴たちが遠くから耳にしたのは、砲声だった。
ビル街に挟まれた道路上で火を噴いたのは、口径二五〇ミリ、重さ六トンにもなる巨大な滑空砲。
それを抱えるのは身長十メートルもの鉄の巨人、軍用戦闘ロボット『ツィーゲル』だ。
耐弾性を高めるために装甲は厚く盛られ、手足や胴体が太く恰幅のよい体形だが、不格好にはなっておらず、むしろ力強さを感じさせる。
それが八機。巨人の二個小隊が、すでに次弾を装填された砲を構えて、標的を探す。
ツィーゲル達の電子頭脳はロブロと違って寡黙だ。彼らの発する言葉は第三者に傍受されないよう、暗号化されてやり取りされる。
だからツィーゲル小隊の真横、高さ八十メートルはあろう高層ビルが横倒しに崩れてきた時、彼らがどんな叫びを上げたかはわからない。
不意を打たれた鉄巨人たちは為す術なく押しつぶされ、まだビルに取り残されていた人々もろとも、瓦礫の下敷きとなった。
そして、いまだ人のうめき声の聞こえるその瓦礫の山を、上から巨大な足が踏みにじる。
巻き上がる粉塵の中にいたのは、巨大な、とてつもなく巨大な影だ。
今しがた倒れたビルよりなお大きい。ゆうに一〇〇メートルを越す巨影が、悠然と動き出す。
立ち込める煙の中から現れたその姿は、まるで恐竜のようだった。
牙を持ち、爪を持ち、背びれを揺らし、長い尻尾を引きずっている。
爬虫類に似た冷たい目をぎらりと光らせるそれは、生物ではない。
機械だ。超合金の身体に電子の頭脳、一滴の血も通わない無慈悲な殺戮ロボットだ。
世界を支配するために生み出された、機械仕掛けのモンスター。
その名を、機械竜!
瓦礫の下から、辛うじて動けるツィーゲルが這い出し、機械竜の背中に砲の照準を合わせ、発砲。
音速で放たれた砲弾は吸い込まれるように直撃したが、悲しいかな小動もせず、装甲は掠り傷ひとつない。
超合金の身体を持つ機械竜からすれば、二五〇ミリ榴弾砲など、冷や水を浴びせられるのと大差ない。
いらぬ怒りを買っただけだ。
ふり向いた機械竜の吐き出す高熱レーザーの息吹が、鉄巨人たちを街の一画もろとも蒸発させた。
* * *
すでに街のパニックは頂点に達していた。
鉄筋のビルは積み木同然に蹴散らされ、自動車が木の葉のように宙を舞う。そんな中では人の命など、どれほど軽く吹き飛んでゆくか。
逃れられるかはわからない、だが少しでも破壊の中心より離れようと、誰もかれもが我先にと駆け出していく。
機械竜こそは、まさしく破壊の化身だ。圧倒的な暴力そのものだ。
しかし、立ち向かうものはいる。この場に、ただ一人だけいる。
荒れ狂う鋼の怪物に背を向けることなく、真っ直ぐに見据える少年。
豪寺晴だけは、機械竜に立ち向かえる。
「さっちゃん、早く逃げて。俺、行かなくちゃ」
「晴くん……!」
悲痛な声を上げて止めようとする沙良の手を、晴が両手でぎゅっと握った。
気持ちの沈んだ人を前にしたとき、晴がよくやるクセだった。
「大丈夫だよ」
それは言葉といっしょにぬくもりや感触を伝えることで、相手を安心させようとしているのかもしれなかったが、はっきり言って反則だと沙良は思った。
ただでさえ気持ちの弱っているときに、こんな風に真っ直ぐな瞳で見据えてくる晴は、相手に有無を言わさせない。
だから晴がもう一度、大丈夫、と屈託なくにっこり笑ったときは、それは本当に大丈夫なんだと思うことができた。
「絶対に大丈夫。だって、無敵の味方がついてるんだから!」
沙良から手を離して、晴は駆け出した。目の前の敵に、機械竜に向かって。
不安はある。恐怖もある。けど、それは自分ひとりで背負っているものじゃないから、駆ける足に重さはなく、むしろ軽やかだった。
晴はひとりではない。何よりも頼りになる、最大の味方がついている。
「行くよ、レックス!」
左腕を構えて、その手首に巻かれた腕時計型デバイスに、REXブレスに叫ぶ。
「レックス! フォトン・コンバート!!」
瞬間、REXブレスから青き光が走る。光子の力、フォトンエネルギーの洪水が奔る。
怒涛の勢いで溢れる光は銀河のように逆巻いて、強まる光はその中心に巨大なる姿を造り上げる。
隆々と力強い腕を、足を、尾を、巨体を。蒼き光を宿す、黒鉄の機械竜を!
<GAAAAAAA!!>
大地を揺るがし、大空に雄叫びを上げて仁王立ちするその姿は、勇ましかった。
黒塗りの装甲に浮かび上がる青白い光子のラインは、まるで血管のように張り巡り、逞しい体つきをことさら強調している。
その身体は超合金。不朽不壊のディアマンチウム。
その心臓は超機関。無尽無限のフォトンリアクター。
科学が作りし生ける伝説。地上最強のスーパーロボット。
その名を、レックス!
<光子状態からの転換完了。全機能、異常なし...来たぞ、晴>
低く落ち着いたレックスの声は、晴の頭上一〇〇メートルからではなく、手首のREXブレスから響いていた。
スーパーロボット・レックスは、マスターからの命令がなければ自分の意思でさえ指一本動かせない。
そして少年・豪寺晴こそ、そのマスターであり、この世でただひとりレックスを操ることのできる人間だった。
「街が壊れちゃうから必殺技は禁止! なるべくパンチとかキックでやっつけよう!」
<敵の能力が不明なまま行動を制限するのは危険だ>
「だいじょーぶ! レックスなら絶対に負けないから!」
<マスターの希望なら善処する>
理屈になっていない、子供らしい信頼だった。
しかし全幅の信頼だった。
機械の竜は、厳粛な声でそれに応える。
「行っけぇっ! レックス!!」
<了解>
鉄の拳を握りしめて、レックスが吼えた。鬨の声、勇気の雄叫びを上げた。
それが戦いのゴングだった。
* * *
そして戦いが始まった。
いや、本当はもっと前から、すでに始まっていたのだ。
晴が生まれるよりも、レックスが生まれるよりも、ずっとずっと前から。
しかし、この物語は少年とドラゴンの物語。
すべては彼らの出会いからしか語り始めることはできないのだ。
少し長めのプロローグ。作品の世界観を伝えられていたら幸いです。
次回から本編の第1話が始まります。お楽しみに!