空の蒼さについて考えよう
蒼巳君たちが帰ったのを見計らい、私は下の階に降りた。
蒼巳君のおかげで予定よりも早く両手を直すことが出来た。自動的に直るものではあったが、それでも少しでも早く倉梨を安心させることが出来るのであれば、やはり私は蒼巳君に感謝するべきだったかもしれない。
倉梨はリビングにいた。
「お姉ちゃん!大丈夫なの!」
私の姿を確認すると一目散に私に駆け寄り私の安否を気遣ってくれた。
良い妹だ。
私は自分の両手が直ったことと、倉梨を安心させることを兼ねて、その頭を優しく撫でた。
「えへへ」
くすぐったそうに、そしてちょっと恥ずかしそうに倉梨が笑った。
そうして、遠い昔、私は同じようにお兄ちゃんに撫でられた記憶を思い出した。
お兄ちゃん……たった一人の、私のお兄ちゃん。
もう会うことが叶わない、私のお兄ちゃん。
その記憶が褪せていったとしても、私は決して忘れない。
両親が忘れ去り、倉梨は覚えていなくとも、私だけはお兄ちゃんの存在を忘れずに覚えている。
お兄ちゃんの存在こそが、間違いなく今の私の大部分を形成しているのだから。
両親は共働きであった。
それは私の物心がつく前からそうで、自然と夕飯は私と倉梨が順番で作ることになっていた。
昨日の夕飯は私が作ったので今日は倉梨の番なのだけれど、心配をかけてしまった償いと、これまた両手がちゃんと動くことをアピールするためにその役を私はかって出た。
冷蔵庫に残っていたもので適当に献立を決める。
妙な口癖と妙な行動力で友人から若干変な奴と思われている私だが(自分で言うか?)、こう見えても良いお嫁さん候補No1なのである。
友達のお弁当から推測するに、お弁当ランキングでは私が一番で、次がよっちゃん。最後にやっちゃんである。もっともやっちゃんの昼食はいつも購買のパンなので、必然的にこのランキングは私とよっちゃんの一騎打ちになるのだけれど。
「ねえねえ、お姉ちゃん」
炒め物を作っているときに倉梨が話しかけてきた。
「何よ、倉梨」
「蒼巳さんって格好いいよね」
「おぉっと!」
ずっこけそうになるところを何とか踏ん張って止めた。
倉梨の顔を伺うと、恋する乙女の顔をしていた。
いや、蒼巳君の容姿は決して悪くはないが、倉梨。年の差を考えてくれ。
「お姉ちゃん、蒼巳さんと同じ学校に通ってたんだね。いいなぁ、いいなぁ」
「クラスは違うからそんなに接点はないんよ」
もっとも、蒼巳君はボランティアで傷を治してくれることで有名で学校では知らぬ者はいないほどの有名人であるが。
逆に私は一般人。
部活動にも所属していない私には、蒼巳君との接点は皆無であった。
よっちゃんは頻繁に怪我を治してもらっているようだが。
「蒼巳さんね、お姉ちゃんのことを相談したら迷わずにお姉ちゃんの症状を看てくれるって言ってくれたんだよ。格好よかったなぁ。あとパズルゲームも得意だし」
前半はともかく、パズルゲームが得意な男性に惚れる心理は私には到底理解できなかった。
「私も大きくなったらお姉ちゃんと一緒の高校に通おうかな」
いやいやいや!倉梨が高校に入る頃には私も蒼巳君もとっくに卒業しているから。
もしかすると留年し続けて残っている可能性もあるにはあるのだけれど、ゼロに等しい可能性である。
しかし恋する妹の夢を壊すことなんて私には出来ず、「いいんじゃないん」とか曖昧な相づちを打ってしまった。私のバカ。ここは勇気を持って、妹の行く道を正してやるべきだろう。
「蒼巳さん、彼女いるのかなぁ?紅糸さんとやけに仲良かったけれど、そういう関係なのかなぁ?」
「いやいや、あの二人はそう言う関係じゃないんよ」
「そうなの?よかったぁ」
一時期、蒼巳君と紅糸さんが付き合っているという噂が流れた(私も自分のクラスに流した)。
紅糸さんは『孤高の美少女』と呼ばれるほど他人と接することを拒んだ人物であった。蒼巳君と同じぐらい、否、それ以上に紅糸さんは有名人だった。
誰にも付き合わず、誰の意見にも左右されない。一人で全て完結している世界。それが『孤高の美少女』……紅糸紬という人物であった。
けれどある時期から紅糸さんは蒼巳君とよく一緒にいるようになった。理由は知らない。理由は知らないが、理由は知らないからこそ、私たち他人は彼らが付き合い始めたと勘違いしてしまったのであった。
よくよく観測してみれば、ただ単に友達付き合いをしているだけだった。
いつも一緒にいるけれど、恋人らしいことは一切ない。
普通の友人関係である。私は男女間の友情は存在しないと考える人間であったが、あの二人に関しては例外と捉えても良いかもしれない。
しかしながら、だからこそ思う。
何故紅糸さんは蒼巳君を友人に選んだのか?
他の誰でもなく蒼巳君を選んだ理由……それはやはり紅糸さんにしかわからない。
「あぅー。でもしまじ○うのお姉さんとも仲が良さそうだったなぁ。あのお姉さんとはどうなのかなぁ?」
残念ながらあの虎顔のメイドさんのことは本当に全く情報がないので、何も言うことは出来ない。
どうして蒼巳君と紅糸さんはあのような怪しい人と知り合いなのだろうか?
気になりはしたけれど、解きたい謎ではないのでスルー。
でも本当にあの集団は何だったのだろうか?
蒼巳君と紅糸さんは解る。学校でもよく一緒にいるから。けれどあの二人は全く見たことがない。少なくとも私の学校の生徒ではない。
片や虎顔メイド、片やチンピラ。
蒼巳君と紅糸さんが付き合うにはあまりにも常軌から逸している人物たちである。
そういえば……チンピラの人、『空』と蒼巳君は呼んでいた?
空?いや、まさか……空というのは今ではそんな珍しい名ではない。だからきっと別人である。
別人であると思うのだけれど、確認は必要だ。
「そういえば、倉梨」
「何、お姉ちゃん?」
「あの柄の悪そうなお兄さんの名前なんて言うのん?あの人だけちゃんとした自己紹介されてなくてさん」
「空さんだよ」
「出来ればフルネームで」
「えっとね……澄渡空さん。変わった名前だよね。あと空さんは一番ゲームが下手だったよ」
倉梨からその名を聞いた瞬間、私の思考は停止した。
否、一つのことしか考えられなくなった。
『ようやく見つけた』と。
「蒼巳君。お話があります」
翌日の休み時間。敬語でありながら珍しく険しい顔をしながら識桜が僕に話しかけてきた。
僕は識桜が険しい顔をしている理由について何となく検討はついていた。
「な、何でしょうか?識桜さん」
検討がついていたので、多少噛んでしまったし、更にはいつもは識桜に対して使用しない敬語で僕も応えてしまったりした。
「その様子だと、私のお話は検討がついているようですね。検討がついているようですが、一応はっきり言います。紅糸さんのことです」
「やっぱり紅糸さんのことですね」
僕はため息を深くついて、そして紅糸さんの席の方に目を向けた。
紅糸さんの最近の休み時間の過ごし方は、用もないのに僕の席へと向かってきて、そして実のない会話を繰り広げるというのが常になっていた。
けれど今日の紅糸さんは違った。
現在の紅糸さんは、机に額をピッタリとつけて微動だにしていなかった。絶対に今の紅糸さんの額は赤くなっていると考えるのは余計なことである。
紅糸さんは朝からずっとあの様子であった。
今朝、僕が目が覚めるよりも早く紅糸さんは部屋を出ていき、僕が学校に着いたら既にこの状態だった。
まるで置物のように全く動かない。
先生が何度か注意したが動かず、強硬手段に訴えようとした教師には常人では腰を抜かしてしまうであろう殺気をぶつけて対応していた。
クラスメイトだっておかしいと思って当然である。
そして、紅糸さんと仲が良い僕に原因があると考えるのはまさしく必然である。
事実紅糸さんがこうなってしまった原因は僕にあった。
「あんな紅糸さん、初めてみたよ」
「僕だって初めてみたさ」
「蒼巳君。紅糸さんと喧嘩中なの?」
「喧嘩中ってわけではないんだけどね」
喧嘩したわけではない。
おそらく紅糸さんはただ拗ねているだけだ。
しかし識桜にはどう説明したものか……
「識桜。識桜の得意なことって何?」
「え?私の得意なこと?えーと、えーと……勉強はそこまで得意じゃないし、運動も人並み(以下)だし」
今ちっちゃな声で以下と言ったな。
何だかそれを指摘するのは可哀想なので、僕はそれが聞こえなかったことにした。
「えっと、うーんと……あっ。お箸でお豆を摘むのが得意だよ!」
「考えに考え抜いた上でその特技って、とても悲しいものがあるよ!」
「それでその私のお箸でお豆を摘む特技がどうかしたの?」
う、うーん。
僕は識桜に現状をわかりやすく説明するために、識桜にそのイメージを掴んでもらおうと比喩させてみようと考えたのだけれど、失敗だったかもしれない。
いや、まだ始めたばかりだ。失敗だと決めつけるのはいささか早計であろう。
「その特技を識桜は誰にも負けることのない特技だと自負しているとしよう」
「えっ、私そんな特技を誰にも負けないなんて自負していないよ」
確かに、自負していたら非常に悲しいものがある。
「仮定の話。あくまでも仮の話だよ。それでそのお箸でお豆を摘む特技を他の人に破られたら、どう感じる?」
「別に、『あっ、私よりも上手にお箸でお豆を摘める人がいるんだ』って思うだけだよ。多分」
「ですよねー」
明らかに例えが悪すぎた。
何故に識桜は得意なことを訊ねて『お箸でお豆を摘むこと』などと答えてしまうのだろうか?
おかげで説明が余計に困難になってしまったじゃないか。
もっとあるだろう。識桜にだって得意なこと。
よし!代わりに僕が考えてやろう。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………
い、否!今は識桜の得意なことなんて考えている場合ではない!
昨日僕と紅糸さんに何があったのか、出来るだけわかりやすく(素直に全て説明しても到底わかりやすくないから)説明することが今行うべき最優先事項である!
決して識桜の得意そうなことが浮かばなかったわけではないのであしからず!
「識桜。イメージ。とりあえず壮大にイメージしてみることが大事だ」
「イメージ?」
「そう、イメージ。識桜、君はお豆摘みの世界王者だ」
「そんな世界王者になっても何にも嬉しくないよ、蒼巳君」
「いや、今イメージしている世界ではお豆を綺麗に早く摘める者はとても尊敬されるんだ。こちらの世界では頭が良かったり、運動能力が高い者が尊敬されるけれど、イメージの世界ではお豆を摘める者こそが崇め奉られるんだ」
「何と!」
「その世界で識桜はお豆摘みの世界王者だ。その存在は神にも匹敵すると言っても過言ではないだろう」
「私が神!私凄い」
「更に、識桜は初代王者で、更に更に世界大会で五連覇を成し遂げた無敗の王者だった。皆が識桜を尊敬していたし、識桜も皆の期待を裏切らないよう、日々その業を研鑽していた。識桜は世界王者であったが、決して努力を怠らない、正に皆の手本になるような素晴らしい王者であった」
「私偉い!凄い上に偉い!」
「そうして識桜は今年もお豆摘みの世界大会に今年も参加した。無敗の王者である識桜は当然のように決勝まで足を運んだ」
「流石私!今年も私が王者だね!」
「……いや」
「え?」
「識桜は決勝の相手に負けてしまったんだ」
「ど、どうして!?私、無敗の世界王者で、それに努力も怠っていなかったって……」
「そう、識桜の実力は申し分なかった」
「だったら!」
「ただ……ただ決勝の相手は識桜以上の実力を持っていた。ただそれだけの理由。しかしとても単純な理由。強いほうが勝つ。勝負の世界では当然のことだ」
「そんな……」
「哀れ識桜。今まで崇め奉られてきたけれど、それは勝利あってのことだったんだ。一度の敗北によって、識桜の地位は崩れさり、そして……」
「そ、そして。どうなったの?」
「そこからは僕の口からはとても……」
「いったいイメージの世界の私に何が!?」
……果てさて、何の話だったか?
あぁ、そうだ。紅糸さんがあんなになっている理由を識桜にわかりやすく説明するため、紅糸さんを識桜に置き換えてみて説明をしていたのだった。
果たして、それはうまくいったのだろうか?
非常に微妙なところではあるが、感情移入は出来ただろう。
「と、まあそんなことが昨日、僕と紅糸さんとの間にあってね」
「お豆摘みの熱く激しいバトルが繰り広げられていたの!?」
何にもわかってくれていない識桜であった。
「それはあくまでも喩えだよ。でも結果的には変わらないかもしれないけれど」
「今まで積み上げてきた地位を崩されて路上生活者に!?」
そこまで僕はイメージさせていないんだけど。
識桜はどうやら豊かな想像力をお持ちのようであった。
「とにかく、紅糸さんが得意としているものがあって、それを僕と紅糸さんで勝負したんだけれど、自信満々だった紅糸さんは意外や意外、僕に破れてしまい、現在に至るというわけ」
埒があかなかったので、識桜に簡潔に昨日起こったことを話した。
……というか、最初からこの説明をすればよかったのではないだろうか?と考えてしまったが、過ぎたことを嘆いても仕方がないことだ。
「成る程。紅糸さんがああなってしまった理由は理解したよ。よっぽどショックだったんだろうね。蒼巳君に負けたこと」
「大分天狗になっていたからね」
前に空との対戦によって勝利の味を占めていたせいか、紅糸さんの鼻はとても伸びていたのであった。
それを僕が容赦なく叩き折った。
生々堂々の勝負であったので僕が責められる謂われはないのだけれど、あの時の紅糸さんは見るに耐えない状態であった。
……今もその状態が続いているのだけれど。
「うーん、どうやら私から言えることはひとつだけのようだね」
識桜にはこれまた珍しく、真面目な顔をしながら言った。
「蒼巳君。紅糸さんとちゃんと話してあげて」
「……いや、別に僕は悪いことをしたわけじゃないし」
「紅糸さんに謝って、とは私は言っていないよ。ただ会話をしてあげて。謝るにせよ、慰めるにせよ、励ますにせよ、不敵な態度をとるにせよ、とにかく会話をしなければ伝わらないよ。紅糸さんの気持ちも、蒼巳君の気持ちも」
「……」
「目を見て、顔を見て、逃げずに向かい合って会話して、それで紅糸さんをいつもの紅糸さんに戻してよ。それはきっと蒼巳君にしかできないことだから」
いやはや、流石僕の一番の古くからの友人である。
決めるところはきちんと決めてくれる。
「わかってはいたよ。それしか方法がないって。でも僕は優柔不断でどうしようもない性格だから、動くことが出来なかったんだ」
それを、識桜は背中を押してくれた。
押してもらったのだから、もうやるしかない。
「蒼巳君は優しいからね。紅糸さんをこれ以上傷つけるかもしれないから動けなかったんでしょ?」
「……そんな優しさは本当の優しさじゃないよ」
傷つくのは嫌だ……だから他人と接しない。
傷つけるのも嫌だ……だから他人と関係を持たない。
そんなものはただの逃げであった。
僕はそれを重々理解している。
しかし重々理解しているからといって、それが行動に伴ってくるかというとそれは別の話だ。
僕はずっと、今までずっと選択を間違ってきた。
今度こそ間違えないようにと心に誓い、僕は紅糸さんに近づいた。
「ミナギン、空は何で青いか知っているか?」
話をするなら誰にも聞かれることのない屋上がいいだろうということで、僕らは学校の屋上にやってきた。
屋上でしばらく無言の時が経ち、紅糸さんの心とはまるで正反対のような晴れやかな空をずっと見続けていた紅糸さんは、突然そう言った。
「いや、知らないよ」
「私は知っている。以前に気になることがあって調べたことがあったんだ」
「へえ。それじゃあどうして空は青いの」
「忘れた」
「………」
忘れたなら知っているって発言しないでもらいたい。
それに正確な物言いをするならば、そこは『知っていた』だろう。
「忘れたが、書籍で調べたときひどく科学的な説明で綴られていたことは記憶している。レイリー散乱だかなんだか、私たちが到底知ることのない単語で説明され、それでも空が青いというその現象を証明してみせたのだろう。私は愕然とした。私が知らないところで、知らない単語で、知らない知識で、全てが知らないもので、私のよく知っている空が青いという事象を証明してしまったことに。井の中の蛙とは少し違うが、でも世界の広さを見せつけられたという点では同じだ。そういう気分に陥った」
「……」
「昨日、ミナギンに負けたときも同じ気分だった」
重い……出だしからいきなり重すぎる。
識桜は、謝るにせよ、慰めるにせよ、励ますにせよ、不敵な態度をとるにせよ、とにかく会話をしろと言ったが、この状況では僕は単語を紡ぎ出すことすら困難であった。
紅糸さんが落ち込んでいるとはわかっていたけれど、まさかこれほどとは、思いも寄らなかった。
「なぁ、ミナギン?」
「な、何かな、紅糸さん?」
紅糸さんの悲壮な目と僕の困惑に満ちた目が交差する。
「私は、何の為に生まれてきたんだ?」
「重いよ!」
パズルゲームに負けて、自分の生まれてきた意味を考え始めた少女がここにいた。
凄いところまで行き着いたな。
「紅糸さん……少なくとも君はゲームに勝つために生まれてきたんじゃないだろう?」
「それじゃあ、何のために私は生まれてきたんだ?」
知らないよ。
生まれてきた意味など、そんなものはいくら探したって見つかりっこない。
何故ならそんなものは存在しないから。
少なくとも僕はそう考えなければ、今まで保たなかった。
しかし、今の紅糸さんはどうやら自分が生まれてきた意味を欲しているようだった。
そんなものはこっちから願い下げをしたい僕とは対照的に。
仕方がない。
嘘も方便。僕が紅糸さんに生まれてきた意味を教えることにしよう。
「紅糸さん……君の目標は何だった?」
「……うな?」
「世界征服、するんじゃなかったの?」
「おっ、おぉ……うな!」
紅糸さんのその反応は完璧に忘れている人のそれであった。
最近めっきり世界征服らしいことをしていないから、もくろんでいる本人ですらそのことを忘却してしまったらしい。
この物語の題名『世界征服をしよう』なのだが、こんなんでいいのだろうか?
「だったら紅糸さんは『世界征服をするために生まれてきた』んじゃないの?」
「うな!そうだった!そうだ私は『世界征服をするために生まれてきた』んだった!そうだ!」
「決してゲームで勝つ為に生まれてきたわけではないということを、しっかり心に留めておいてもらいたいよ」
「うな!で、でも世界征服をもくろむ者としては一度の敗北すら納得がいかないわけで……」
「僕は紅糸さんの味方だよ」
「うな?」
「あの時誓ったでしょ?僕は紅糸さんの世界征服に協力するって。あの時から僕らは仲間で味方だ。だから昨日のゲームも味方同士の遊びだから紅糸さんの敗北ではないよ」
自分で展開させておいてなんだが、なんて強引な論理展開なのだろうか?
こんなものに騙されるのはきっと子供ぐらいなのだが……
「うな!そうか!じゃあ昨日のあれは私の負けじゃないんだな!」
精神年齢が残念な紅糸さんもまんまと騙されてしまった。
何か紅糸さんを扱うのが慣れてきた僕であった。
「そうならそうと早く教えてくれ、ミナギン。てっきり私の常勝無敗という肩書きに傷が付いたのかと思ってしまったぞ」
「ははは、いやだなぁ。紅糸さんはいつでも常勝無敗さ。紅糸さんが今まで敗北したことがあったかい?」
「うな!ない!」
断言する紅糸さんだったが、ひまわりにゲームで連敗しているのは勿論ここでは口に出してはいけない。
「ふはは!我こそは紅糸紬!常勝無敗の世界征服者だ!」
「よっ、紅糸さん!日本一!」
「日本一ではない!世界一だ!」
「よっ、世界一!」
「いやいや、どうもどうも」
煽てられた紅糸さんはすっかりいつもどおりの紅糸さんに戻った。
こんなに簡単に戻るんだったら、昨日のうちに煽てておくべきだったかもしれない。
よし、今度からそうしよう。
「しかし、ミナギンはパズルゲームが得意なのだな。てっきりゲーム全般が苦手かと思っていたが」
「いや、別に僕はゲームが苦手ってわけじゃないよ」
紅糸さんとひまわりが突出しているだけで、僕のゲームの腕前はおそらく普通であろう。
「ただパズルゲームは自分で言うのははばかれるけれど、かなり得意だ。僕の能力がパズルのようになっていることもあるせいか、自然と次に置くべき場所がわかるんだ」
「うな!凄いじゃないか!それじゃあもしかして、ロシア人の開発者が作った有名な落ちゲーも得意なのか?」
「どっちかというと昨日やったゲームよりは得意だね」
「うな~。そっちの落ちゲーでリベンジも考えていたが、それも難しそうだな。全く、何だ、パズルゲームが得意って!頭が良いことを自慢しているのか?それにパズルゲームが得意な主人公って、かなりいらない特技じゃないか?」
「そこはほっといてよ!」
僕だって男の子だから戦闘向きの能力や主人公らしい特技にあこがれたことはあったさ!
僕の能力はコピーする能力だから、勿論戦闘向きの能力だってコピーしてきた。
それでも僕が自分を非戦闘要員として位置づけたのは本当に残念な戦闘センスのためだ。
本当に残念であるのだ。
例えば僕はひまわりの『雷華』をコピーしてその能力を使うことが出来る。
まあ身体に負担がかかる能力だから僕が使えないというのは以前語ったことだけれど、そこを無視して、つまり身体能力もひまわり並になったとしよう。
果たして僕はひまわりと互角に戦うことが出来るだろうか?
答えはNoなのだ。
ひまわりや紅糸さん、戦闘向きの人たちが優れているのは身体能力や特殊な『新たな能力』だけではない。
次の行動のためのとっさの判断力。これも大いに必要になってくるのだ。
状況に応じて即座に、それこそ反射的に身体を反応させる。
それは本能のものなのか、それとも血の滲むような修練によるものなのかは定かではないけれど、僕にはその判断力がなかった。
僕はじっくりと考え込み行動を決めるタイプの人間だった。
故に戦闘向きではないのだ。
しかしどういうわけか、パズルゲームの時のとっさの判断は得意な僕であった。
そういうわけで、全く主人公向きの特性を持ち合わせていない僕だった。
「うな。待てよ……あったぞ!ミナギンの主人公的特性!」
「あっ、本当に?それってどんな特性?」
「女の子がほいほいやってくる特性だ」
聞いた僕がバカだった。
「ミナギンの周りには自然と女の子が集まる。対して男性の知り合いは異常と言うまでに少ない。これは主人公的特性によるものではないかと私は今考えついた!よかったな、ミナギン!これでミナギンも立派な主人公だ!」
「いやいや、紅糸さんの言うほど僕の男性の知り合いは少なくないよ」
「本当かぁ?それならミナギンの男性の知り合いを自分であげてみるがいい」
「えっと……」
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………あれ?
男性の知り合い全然いない!
おかしい!そんなバカな!
前はちゃんといたんだ!たくさん男友達がいたんだ!
だけど今は……
「えっと、えっと、まず風雲さん」
いきなりあまり面識のない人物の名があがる。
それほど僕の男性の知人は少なかった。
「カザグモ?誰だ、そいつ?」
そして風雲さんは紅糸さんの知らない人物だった。
「ひまわりの知り合いで『正義』のメンバー。ちょっと前にひまわりを任されたりしたんだ」
「……ミナギンは意外なところに意外な知人がいるんだなぁ」
「たまたまだよ。たまたま知り合った」
「しかし、最初に出てきた男性の知人が『たまたま』知り合った人物の名前だなんて、大丈夫か?ミナギン?」
「うな!」
痛いところをつかれぐぅの音も出ない僕だった。
『うな』という言葉は出たが。
「ほ、他にもいるさ!男性の知り合いぐらい」
「ほうな。それじゃあさっさとその男性の知人の名をあげてもらおうか?」
そうは言われてもすぐには思い浮かばなかった。
中学時代にほとんどの友人との縁を切ったからなぁ。正直、もう他に男性の知り合いなんていないのではないだろうか?
だけどここでそれを認めれば、僕は紅糸さんの言う主人公特性が兼ね備えられているということが証明されてしまう。
ここは実在しない人物の名をあげて誤魔化すしかない!
「あぁ、とりあえず言っておくが、非実在の人物の名をあげちゃダメだぞ!」
「!!」
まるで心を読まれているかのようにピンポイントで紅糸さんは忠告した。
「まぁそんな卑劣なこと、ミナギンがするはずはないのだがな」
「そ、そうだよ。そんな卑劣なことするわけがないよ」
さて、いよいよ追いつめられた。
逃げ道を塞がれた僕は必死に男性の知人を思い浮かべた。
けれど全然思い浮かばない。
おかしい。こんなことがあっていいのだろうか?
世の中の男性と女性の比率では男性の方が多いはずなのに、僕の周りには圧倒的に男性が不足していた。
これが、紅糸さんの言う主人公的特性なのか。
おそるべし!主人公的特性!
せめてもう一人!もう一人ぐらい男性の知人を……
あっ!いた!男性の知人!
「澄渡空だ!」
「……」
「いやぁ、紅糸さん。僕にもいたよ、男性の知り合い。それも二人も。どうだい?これでも僕に主人公的特性があると言えるのかな?」
「……」
「……」
「……ミナギン」
「……はい」
「必死に探して二人って……しかも澄渡空は最近知り合ったやつじゃないか」
「うわ~ん!言わないで!認識させないで!僕に男の友人がいないと再認識させないで!」
「だ、大丈夫だ。私はいつまでもミナギンの友達だから!」
「その気遣いが逆に辛いよ!」
僕に『女の子がほいほい寄ってくる』主人公特性があると認定された瞬間だった。
「紅糸さん、空は何で青いか知っている?」
僕は空を仰ぎ見ながら紅糸さんに問う。
「それさっき私がやったやつだ」
「僕は知っている。さっき紅糸さんに教えてもらったからね」
「だから!それさっき私がやった!」
「紅糸さんの説明は正直よくわからなかったけれど、たしかレイニーデビルが原因で空は青いんだ」
「雨合羽の悪魔のせいで空は青いのか!?」
「僕はそれを聞いて愕然とした」
「それは当然愕然とするわ!そんな非科学的なもので空が青かったらな!」
「僕が知らないところで、知らない単語で、知らない知識で、全てが知らないもので、僕のよく知っている空が青いという事象を証明してしまったことに」
「雨合羽の悪魔が空を青くしているとはまったく証明されていないがな!あと私が言ったことをほぼ間違えずに覚えているスキルは凄いな!」
「結局何が言いたいかというと、さっき『女の子がほいほい寄ってくる』主人公的特性があると証明されたときも、そんな気分だった」
「結局レイニーデビルのせいでミナギンが何を言いたいかまったくわからなかったぞ」
僕自身もよくわからなかった。
「ただ、ミナギンが落ち込んでいるということは伝わったな」
「伝わってもらって嬉しいよ」
「だが『女の子がほいほい寄ってくる』主人公的特性があるというのの何が不満なんだ?ミナギンだって曲がりなりにも男の子なのだから、そういう特性があったら諸手をあげて喜んでもいいのではないか?」
「落ち込んでいる理由は二つかな。一つは男性の知人の少なさを認識してしまったこと」
「あぁ、それは、まあ、頑張れ」
紅糸さんの適当な励ましが胸に突き刺さる。
どんな痛烈な言葉よりも、諦めにも似た励ましの方が効果がある場合がある。今回のがそれだ。
「二つ目の理由は、『女の子がほいほい寄ってくる』特性がある主人公ってたいてい巻き込まれ型の主人公じゃないか?」
「まぁ、そうだな」
「実際僕をそこに当てはめてみたら、その通りだった。そう考えると、僕はこれからも災難を被っていかなければならないのかと気づいて……それはもう落ち込むしかないよ」
「まあ、まあ、まあ。それはあくまでも物語の中のお話で実際に災難なんてそうそう起こるものじゃないぞ」
「災難を持ち込んでくる人が何を言うか!」
とは言うが、よく考えてみれば僕が一番の災難持ちだった。
幸いなことに紅糸さんと関わってからは僕が持っている災難はまだ発動してはいないが。
いつそれが来てもおかしくはない。
新たに護るべきものも出来たのだ。気を引き締める必要がある。
「……まあなるようになるしかないんだけれどね」
「おっ、何だミナギン?もうポジティブ宣言か?」
「ポジティブ宣言というか、開き直りかな。災難が降ってこようがこなかろうが、極論なるようにしかならないんだ。足掻くのは災難が降ってきてから大いに足掻こう」
「ポジティブかネガティブかよくわからんことを言うな、ミナギンは」
「ネガティブ思考をポジティブに考えるとこうなるんだ」
と説明する僕でさえ何がなんだかわからなかった。
そんなネガポジ宣言をしていると予鈴が鳴った。
「うな。もうそんな時間か。教室に戻らないとな」
「そうだね」
僕らは屋上を後にするため扉へと向かった。
のだが、その扉が突然勢いよく開かれた。
「うな!」
「見つけたんよ。蒼巳君、紅糸さん」
扉を勢いよく開けたのは昨日あったばかりの日和さんだった。
走って屋上までやってきたのか、日和さんは肩で息をしていた。
「うな?日和さんじゃないか?どうしたんだ?どうも急いでいる様子だが」
「はぁ、はぁ……蒼巳君と紅糸さんにお話があるんよ」
「お話?」
「蒼巳君、紅糸さん……私に空さんを、澄渡空さんを紹介して欲しいんよ」
「うな?空を?」
「そう。私、空さんに一目惚れしてしまったんよ」
その日和さんの爆弾発言は僕らの口を塞がらなくするのに十分な威力を有していた。




