今回のまとめ
そしてここからはその後の話。
日和さんを消える前の状態に戻した後の話。
結果として先に語ると、空の言ったとおり日和さんを前の状態に戻しても、日和さんは前と同じ行動をしなかった。
『消失』の能力を発動させ自分を消し去ることはしなかったし、そもそも空に挑みにさえ行かなかった。
そこは空の読み通りになった。
その日和さんの行動は空の日和さんにかけた最後の言葉によるものなのか、それとも人の行動にも乱数的要素があるのかわからない。
わからないが、僕は前者を推したい。
それは決してロマンチックな感情論ではなく、その後の日和さんの行動に起因する。
日和さんを戻した時、日和さんはそのまま気を失った。
全身を戻すのは容易ではない。
それは戻す僕も重労働であるのはもちろんのことだけれど、戻される日和さんにとっても同じことが言える。
一部を戻すのと全身を戻すのとでは、『時戻』をかけられる人間への負担は段違いとなる。
記憶が保てないと僕は前に言ったが、それに加えて意識も保てない。
もっとも意識さえも戻すのだから、耐えられないのは当然なのだが。
とにかく、日和さんを戻したとき、日和さんは気を失った。
気を失った日和さんは、そのままひまわりに担がれて(何かひまわりのキャラが荷物運びキャラになってきたが)、無事日和さんの自宅へと送ったのだが、僕らは日和さんが目を覚ます前に日和さん宅を後にした。
僕らと日和さんはそれほどまで仲が良いわけではないし、それどころか一時は敵対していた関係だ。
その記憶さえ失われているのだろうけれど、それでもその場には居づらかったのだ。
日和さんは倉梨ちゃんに任せて、僕らは自分たちの自宅へと戻った。
そしてその翌日の話である。
日和さんは学校を辞めた。
何の迷いもなく、堂々と、胸を張るように退学届けを出した。
不良生徒でもなく、表面上特に問題がない日和さんだったので、それは大きな話題として学校中を駆け巡った。
日和さんの退学の理由。いろいろな噂、様々な憶測が囁かれたのだけれど、その真実を知っているのは僕らだけだった。
日和さんは決意したのだ。
澄渡空に言われたとおり、今のままでは日和さんが空に届くことはない。
日和さんの宿願が澄渡空の殺害ならば、割ける全ての時間をそのための時間に移すべきだと考えたのだ。
自らの研鑽しかり、空への挑戦もしかり……
以前僕は学校生活が復習のカンフル剤になると言ったが、日和さんはそれを捨てた。
それは狂ってでも澄渡空を殺すという、日和さんの新たな強い決意に思えた。
…………思えたのだけれど、それは先ほど間違っていたと思い知らされた。
ともかく、日和さんは学校を辞めた。
もう彼女は澄渡空を殺した後、日常に戻る気はないのだ。
そうしてまた数日が過ぎて……
澄渡空ともしばらく会っていない状況が続いて、ようやく僕の日常に平和が戻ってきたと、ほっと一息ついていたときに……
彼らはやってきた。
「よぉ、観凪。元気していたか?」
「……」
澄渡空は珍しく玄関を叩き、僕に来客だと知らせて入ってきた。インターフォンが常備されているのに、それを使わずに玄関を叩くというのが実に空らしい、もといチンピラらしい行為だった。
平和が戻ってきたと考えていた僕にそれの終わりを告げた空は、僕の承諾もなしにヅカヅカと部屋へ入っていった。
我がもの顔である。
ツッコミが常になっている僕ならば、そこで澄渡空へツッコむのが普通なのであるが、今回はそれが出来なかった。
「久方ぶりなんよ。蒼巳君」
「…………」
「前も思ったけど、良いところに住んでいるんね。蒼巳君は。マンションの高層階なんてお金持ちかしらん?それじゃあお邪魔するんよ」
僕はかねてから思っていることがある。
人の家や部屋に招かれるときに『お邪魔する』と一言先に謝ってから入るのが日本人の常識となっており、子供の頃からそうするように教育されているのだが、それは如何なものかと思うのだ。
来客という存在は確かにはた迷惑な存在である。
しかし最初から自分を邪魔者扱いして入ってこられたらこちらは何も言えない。
なんて卑怯なんだ!
キタナイ!日本人キタナイ!
だったらこっちも堂々と『邪魔だと思っているなら来るんじゃねぇよ』と言っても罰は当たらないのではないだろうか?
とか、実に下らなく現実逃避していた。
僕が現実逃避をしている間にも、目の前の彼女は僕の部屋の玄関を跨ごうと試みていた。
「いやいやいや。ちょっと待ってもらいたい」
「うーん?なんなん?空氏が入っていったんなら、別に私が入っても問題ないんじゃないん?」
一人も二人も変わらないんよ、と彼女は言う。
「一人も二人も変わらないというけれどね、単純に数だけならば二倍だよ」
と強気に言い放ちたい僕であったが、八方美人という厄介な性格なうえ、かつて彼女の家を訪ねたとき、二人どころか更にその倍の四人で押し掛けてしまった僕が彼女を咎めることなど出来ないのであった。
それに別に彼女の言うとおり、一人だろうが二人だろうが訪ねてくるのは構わない。
それが彼女を呼び止めた理由ではないからだ。
「何故ここにいるの?由々敷日和さん」
そう、澄渡空についてきた女性は、空に復讐をもくろむ日和さんだった。
言葉遣いでおそらく気がついただろうけれど、しかしその存在を視認している僕自身は信じられなかった。
「何故って言われてもん。空氏が久々に蒼巳君を訪ねてみるかって言ったからついてきたんよ」
「いやいやいやいやいやいやいやいや」
そういうことじゃなくて……
そういうことの経緯が聞きたいんじゃなくて……
『おっ。どうしたんだ、紅糸?やけに不機嫌そうじゃないか?』
「んよ。何か空氏が面白そうなことを言っているんよ。よくわからないけれどん、蒼巳君の疑問は後で答えるからん、とりあえず中に入らせてもらんよ」
部屋の奥から聞こえてきた空の声に触発され、日和さんも僕の部屋の中へと入っていった。
いや、本当に、何があった?
僕は首を傾げた後、自分のほっぺを抓り、更にそれでは飽きたらず玄関の扉に頭を五度ほどぶつけて、今自分が置かれているこの状況が現実かどうか確かめた。
『ミナギン!うるさい!』
不機嫌な紅糸さんには怒られてしまったが、これが現実だということが認識できた。
痛む頭をさすりながら、僕も日和さんに続いた。
話は変わるが、ここのところ紅糸さんの機嫌は最悪だった。
紅糸さんの機嫌が悪かったのはちょうど日和さんとのいざこざの直後だ。
おそらく直接の原因はひまわりのあれだろうけれど、僕もそんな紅糸さんに進んで接することは恐ろしくて出来ず、ここ数日腫れ物を触るように紅糸さんと接していた。
「うーな。うーな。うーな」
「紅糸さん、どうしたん?空氏の言うとおりやけに不機嫌なようなんけどん」
紅糸さんに聞こえないよう、日和さんは僕にそう耳打ちしてきた。
「あの時のことが原因だよ。覚えてるだろ?ひまわりがさ……」
「あの時のことって何ん?」
あっ、そうか。
日和さんは記憶を戻されているから、あの戦闘のことを記憶していないんだった。
僕はあの戦闘のことを口に出そうとして、そしてやめた。
あの戦闘は僕らにはあったことだが、日和さんにはなかったのだ。
少なくとも現在の日和さんはそれを行っていない。
行ったのは過去の日和さん。別の日和さんと考えてもいい。
だったら、その記憶は忘れたまま……いやなかったことにしてしまうのがいいだろう。
それは彼女が背負う罪ではないのだ。
「いや、何でもないよ」
「あの時、あの時、あの時……あぁ、私が裏山に空氏を呼び出した時のこと?」
「覚えているの!?」
僕『時戻』で日和さんを『空を裏山に呼ぶよりも前の状態』にまで戻した。
それは間違いない。
だからそれを記憶しているのはおかしい話だ。
彼女はそれを体験していないのだから。
「覚えているというか……うーん、何ていうか朧気だけどん、そんなことがあったような気がするんよ。何年も前のような、じゃなくて何年も後のような、まったくはっきりしない記憶なんだけれど。確かにそれはあったと思うんよ」
完全には記憶していないようだが、一部記憶が残ってしまっているということだろうか?
そんなことがあるのだろうか?
全身に『時戻』をかけた事例がないので確かなことは言えないが、僕はかつての知人の言葉を思い出した。
あまり強く思い出したくないので僕なりにその知人の言葉を要約させてもらうと、『この世界の全ての物事は観測されることによって成り立っている』とかそんな内容だった。
量子論の猫の話に近い。
つまりこの場合、僕らという観測者があの戦闘のことを覚えていたから、日和さんはそれを完全に忘れることが出来なかったのではないかということだ。
その記憶が残っているから、日和さんは同じ道を辿らなかったのだろうか?
「まぁまぁ、私のなくなった記憶なんてどうでもいいんよ」
「興味深い話だと思うけれどね」
「その時紅糸さんに何があったんよ?さっきは覚えているって言ったけれど、本当に朧気だからん、ほとんど記憶がないのと一緒なんよ。だから紅糸さんがこうなっている原因を教えてくれると助かるんよ」
「日和さんが空を裏山に呼び出して、僕らはそれを止めるために日和さんの前に立ちはだかったんだけれど……」
立ちはだかったトップバッターが、今ふてくされている紅糸さんだ。
トップバッターにして唯一の退場者。
能力の制御が利かなかったひまわりによって、紅糸さんはあの場で唯一退場を余儀なくされたのだった。
「つまりん。そこのメイドさんに蹴られたことをまだ怒ってるんてこと?」
「いや、そうじゃないんだ。そうじゃないから放っておけばいいよ」
それが理由ならば僕は紅糸さんとひまわりの仲介役になって二人の仲を取り持つのだけれど、それじゃあなく実に下らないというか、僕には理解が不可能な次元の話でふてくされているから手に負えないのだ。
よって放置。
「放っておけばいいって、蒼巳君も白状ねん。ちゃんと紅糸さんの話を聞いてあげたん?」
「聞いた結果が僕の対応だよ」
「うーん。仕方がないねん。蹴ったのはそこのメイドさんだけど、事の発端は過去の私が空氏を呼び出したのが原因だから、私が紅糸さんの話をきちんと聞いてあげるんよ」
私はこれでも長女だからねん、とお姉さん面をしながら日和さんは紅糸さんに近づいた。
あぁ、無駄な努力を。
「紅糸さん、紅糸さん」
「うなんだ」
「何をそんなにふてくされているん?よかったらお姉さんに話してみてん?」
僕らと日和さんは同じ学びやで同学年として勉学を共にしていたのだから、そんなお姉さん面をするのはおかしいと思うのだが、しかしながら今の紅糸さんの態度はちびっこのそれと何ら変わらないのでまぁいいか。
それにしても、あぁ、聞いちゃったよ。
「………が」
「うん?何て?」
囁くような声だったから、日和さんはその単語を聞き逃した。
そしてお姉さんキャラが発動中の日和さんは、優しくそれを聞き返したのだ。
やめておけばいいのに。
「皆勤賞が……私の皆勤賞が」
「皆勤賞?あぁ、そうか。私を止めに来たときちょうど授業中だったのだっけん?記憶にないけれど、それは悪いことをしたんよ」
違う。その皆勤賞ではないのだ。
紅糸さんはこの前『蒐集家』との戦いのために学校を休んでいる。
だから紅糸さんの言う皆勤賞は、学校の皆勤賞ではない。
「私は今までどんなことがあっても物語に登場しなかったことはなかったのに……この間の『由々敷日和の存在否定(3)』登場できなかった!私抜きで話が進んで、私抜きで話が終わった!うな!おかしい!これ絶対おかしい!私メインヒロインなのに!こんな扱いおかしい!」
「…………蒼巳君。紅糸さんは何を言っているん?」
困ったように助けを僕に求める日和さん。
だから、僕は最初に忠告したのだ。
「だから気にしない方がいいって言ったじゃないか。ここは放っておくのが正解だから」
「放っておくってなんだ!メインヒロインだぞ!わかっているのか!ちゃんと認識しているのか!ミナギンは!」
「いや、全然そんな認識していなかったし……それにそういうよくわからない次元の話をするのはやめてくれないかな?」
「やめてたまるか!何だ、この不遇の扱いは!?『由々敷日和の存在否定(2)』でだって、あまり良いところなかったのに、3に至っては全く出てこないって!私はモブキャラじゃないぞ!訴えてやる!絶対この扱いについて訴えてやる」
誰に訴えるかわからないが、紅糸さんを怒らせたままにしておくのは得策ではないか。
どうにかして気を納めてもらわないと。
「ほ、ほら。禁書目録さんだって出番ないことあるじゃないか」
「うな!あのメインヒロインはビリビリだ!」
紅糸さんはどうやらツンデレ萌であるようだ。
「いや、あのさ。紅糸さん訴えてやるとか何とか言っているけれど、そもそも紅糸さんにだって問題あるんじゃないの?」
「うな!?私の何に問題があるっていうんだ!?三十文字以内で答えてみろ!」
「『ひまわりに吹っ飛ばされた後、紅糸さんは何をしていた?』」
「う、うな」
狙ったつもりはないが、見事三十文字以内で、紅糸さんの問題を言い当てた。
紅糸さんもかつてのひまわりのように空を飛ばされたのだけれど、ひまわりと決定的に違うことがあった。
ひまわりの時は紅糸さんの攻撃のよってひまわりは気を失ってしまった。しかし、紅糸さんはひまわりの攻撃を受けても気を失わなかったのだ。
紅糸さんの特筆すべき点は強い攻撃力ではなく、巧妙な防御力であった。衝撃の受け流し方が絶妙にうまいのだ。
ひまわりの攻撃を受けたときも、とっさに防御壁を具現化していたらしく、激しく飛びはしたのだが、傷は負わなかったし意識もあった。
飛距離はあったけれど、紅糸さんはこちらに合流することが可能であったのだ。
それなのに、紅糸さんは僕らのもとにやって来なかった。
それは何故か?
「い、ミナギンの部屋に戻ってゲームしてました」
「何やってんのさ。紅糸さん」
その事実を聞かされたときは、呆れ果ててしまった。
そして今でもその感情は失われていない。
何故あれほど緊迫した状況であったのにも関わらず、紅糸さんは戻ってこずにゲームをしていたのか?
その神経はまったくもって僕には理解しがたいものであった。
「だ、だって、凄い勢いで凄い距離を飛ばされたんだぞ!そんな経験したことがあるか!?すればわかるぞ!めっちゃパニックになる!めっちゃパニックになって自分が何したらいいかわからなくなる!」
「その結果がゲーム、なんだね」
「だってぇ、戻ってもどうせ間に合わなかっただろう?」
「それ全然パニックになってないよね?わりと冷静に分析して、『あ、私が戻っても後の祭りだ。じゃあ時間を有意義に使うためにゲームでもしているか。ここ数日もひまわりに負けがこんでいるからな』って思ったんでしょ?」
「うな!な、何故そこまで私の心を正確に読みとれる!?ま、まさか読心術!?」
「僕はそんなスキル持ってないから」
紅糸さんたちはそれが出来るらしいが、僕には無理だ。
僕は単純に紅糸さんが考えそうなことを推測しただけだった。
「それじゃあ読唇術か!?」
「その時の紅糸さんの唇の動きなんて勿論読めるわけがないし、そもそも今の台詞を発言したの?紅糸さんは?」
「それじゃあ独身術か!?」
「もう意味が分からないよ」
意味が分からないし、ついていけない。
紅糸さんが怒りを抱いている対象が不明だし、わかったとしてもやはり今回は紅糸さん自身が問題である。
四文字熟語で言うと『自業自得』なのだ。
というわけで、ふてくされた紅糸さんは放っておく。
「それで?いろいろ聞きたいことがあるけれど、とりあえずは、何しに来たの?空と日和さんは?」
「うな!私を無視して話を始めるな!私も混ざる!これ以上仲間外れは嫌だ!」
何か半泣きで紅糸さんに訴えかけられた。
ここまで必死になられては仕方がないので、紅糸さんも混ぜてあげる。
「うな!何のようだ、お前等!ここは世界征服をもくろむ私の秘密基地なのだぞ!」
「勝手に僕の住まいを秘密基地にしないでもらえるかな、紅糸さん」
「えー、だってみんなで毎日ここにたむろしているんだから、秘密基地でいいじゃないか?」
「ただみんなで一緒に住んでいるだけじゃないか」
あ、これは確実に失言であった。
「えっ!蒼巳君と紅糸さんってここで一緒に住んでいるん!?」
「うな。私どころかそこのひまわりも一緒に住んでいるぞ」
「ふ、二股なんよ!おとなしそうな顔をしてやってることはやってるんやね、蒼巳君は!」
「二股なんてしてないから!」
紅糸さんもこれ以上発言をしないでもらいたい。
話がややこしくなってしょうがない。
「今の一緒に住んでいる発言はとりあえず日和さんには忘れてもらって、話を戻すよ。君たちは何しに来たのさ?」
「えー、忘れなきゃいけないん?私、学校辞めたから噂なんて流さないし、いいじゃん。知っていてもん」
「何となく日和さんのその言葉が信用できないんだよ。それはいいから、僕の質問に答えてくれ」
「うーん。なんでって言われてもん。私は空氏についてきただけだしん」
日和さんがここにきた明確な理由はないようだ。
もっとも僕は日和さんが空についてきた理由が一番聞きたいのだけれど。
ここは順を追って質問していくことにしよう。
ということで空に同じ質問を問いかけてみる。
「じゃあ、空が僕の部屋に訪ねてきた理由は何なの?」
「理由は二つあってな、一つはたまにはお前等の元気な姿でも拝見してやろうと思ってな。来てみた」
「よかったね。僕らはみんないつも通り元気だよ」
「ニャータも元気だぞ!ほら!」
今まで一人(一匹)でのんびりとひなたぼっこしていたニャータを紅糸さんは抱えて、空に見せた。
「いや、俺その猫とほとんど認識ないし」
「うなんと!」
「紅糸さん……何でもかんでも『うな』と言えばいいってもんじゃないと思うよ」
「うなんと!」
……もう紅糸さんを止めるのは諦めて、空へもう一つの理由を尋ねよう。
諦めるのが早いと思われるかもしれないが、毎日のようにこのようなやり取りを展開している僕の身になってみれば、この引き際の早さも納得できると思う。
「空……それでもう一つの理由って何さ?」
「もう一つも大した理由じゃない。一つお前に質問があるだけだ」
「僕に?」
「あぁ、」と言って空は日和さんを指さした。
「こいつは何で俺についてくるんだ?」
「知らないよ!」
いや、その質問は逆に僕が空にしたかった質問である。
あれほど敵対していた二人が……否、敵意を持っていたのは日和さんだけか……ともかくあれほど憎しみの念を持っていた日和さんが何故空の後をついていくのか?
当人同士の問題だから、てっきり空はその答えを持っていると思ったが、空をもその理由を関知していないらしい。
となると、その答えは本当に日和さん当人しかわからないわけか。
「あぁ?てっきり観凪が戻すときに精神汚染かなにかして、こんな性格にしやがったのかと思ったんだが」
「僕がそんなことするわけないでしょ」
似たことは出来るが。
それは日和さん自身が拒否した結末だ。
本人の意思に反した結果を、僕は用意するつもりはなかった。
「何だよ。俺への嫌がらせと踏んで、ぶっ殺す用意満々で来たのによ」
「物騒だよ!そんな気で僕の部屋に入ってきたの!?」
「勿論冗談だがな」
「わかりづらいよ!空だからあり得そうだからそういう冗談は次からやめてよ!」
「いや、俺は『戦闘狂』だが『殺人鬼』ではないから、そんな理由で殺すとか思わないぜ。覚えておけ」
どうしてか知らないが、上から目線でそう言われた。
おかしい。
僕と空の間に上下関係はまったくないはずだ。
そういえば紅糸さんのときも、過去に上から目線でものを言われた時があったか……
何だろうか?僕は人に下に見られる才能があるのだろうか?
嫌だなぁ、そんな才能。
出来るものならば、誰かにあげてしまいたい才能だ。
「とにかく、それは僕の能力が原因じゃないよ」
「じゃあ何が原因だって言うんだよ。ほれさっさと教えろ」
「だから、知らないって。本人に聞いてみれば?」
そう言って僕は日和さんに目をやった。
日和さんというか女子一同は、猫のニャータを皆で可愛がっている最中であった。
ねこじゃらしでじゃれたり、肉球をプニプニしていた。
僕らの話は途中からまったく聞いていなかったようだ。
「えぇー。俺があいつに聞くのか?それってどうなんだよ?」
「どう、とは?」
「仮にも復讐する者とされる者の関係だぜ。それなのになれなれしく聞いていいもんかね?」
まぁ、現段階では殺気を何も感じられない日和さんであるが、確かに彼女は復讐者だ。
その相手は空で、だからその空が安易に日和さんに質問していいものか、というのは微妙な問題だ。
「……つまり、僕に聞いてこい、と」
「あぁ、そういうこと。観凪は話が早くて助かるなぁ」
「そいつはどうも」
いつもの僕ならばそれをやんわりと断るのだけれど、僕も日和さんのその態度に大いに疑問に思っていることもあり、空の案に従うことにした。
「日和さん。ちょっといいかな?」
「うん?どうしたん?蒼巳君」
「えっと……」
どう切り出せばいいのか?
いかんせんデリケートな問題だから、いろいろと気をつかわないといけないだろう。
でも、その気のつかいかたが思い浮かばなかった。
結局、僕はストレートに聞くという愚策に走ってしまった。
「日和さん、空とやけに仲が良いように見えるけれど、何かあったの?」
「別に何もないんよ」
と、笑顔で返答する日和さん。
「それに仲が良いわけでもないんよ」
「でも空についていっているようじゃないか?」
「仲が良いってわけじゃないんよ」
「…………」
「仲が良いわけがないんよ」
日和さんは笑顔を崩さずにそう念を押した。
その様子がたまらなく怖い。
何、この不気味なプレッシャー?これ以上訊くなっていう無言の圧力?
もう僕は「はい、もう訊きません」とか言い出して、とぼとぼと去っていきたい気分であったが、後ろには空が控えていて、そんな中途半端な答えを空に伝えても怒られるだけだろうから、もう少し粘るしかなかった。
「だ、だって、空の後を何の行動も起こさずについていっているじゃないか?前よりも仲が良くなったように見えるけれど」
「何の行動も起こしてないわけじゃないんよ」
「え?」
「今日は既に十三回、空氏の殺害を試みたんよ」
「えぇ!?」
日和さんは前と何も変わっていなかった。
空への復讐心もまったく失われていなかった。
空を殺すという決意は失われていない……前と変わらない日和さん?
いや、違う。
日和さんは前とは明らかに、圧倒的に違う。
空という存在がこんなに近くに存在するというのに、何の殺気も発していないのだ。
こんなところで殺し合いを行われるのは僕としても勘弁したいものなので、それは良い傾向と言えるのだろうけれど、それにしても何故日和さんは変わったのだろうか?
「ちなみにこの部屋に入ってからは二回ほど試みてみたんよ」
「既に実行していた!」
僕の認識は少し甘かったようだ。
いや、でも、見た目やっぱり変わったんだよ。
鬼気迫るものがなくなったというか……
憎しみが薄らいだというか……
「ねぇ、蒼巳君。私のこと、変わったと思ってるん?」
「え?」
僕の表情から察したのか、日和さんは僕にそうストレートに尋ねた。
「……うん。思ってる」
だから僕もストレートに返す。
「確かに第三者からみれば私の態度は豹変したとも言えるかもんね。でも安心していいんよ。私は根本は変わっていないからん。空氏を殺すという決意は変わってないからん」
「それじゃあ……何が変わったの?」
根本は変わっていない。
そう日和さんは宣言したが、それならば根本ではない部分はどこか変化したはずだ。
何も変化していない、というわけではないはずだ。
「変わったのは空氏への見方、なんよ」
「見方」
「かつての私は空氏を害悪と、マイナスと、殺して当然という存在と決めつけていたんよ。世界にとって必要のない、病気のような厄介な存在だと認識していたんよ」
実際その通りなのではないだろうか?
世界脅威に指定されているのだし、害悪立ったとはいえ『フェンリル』を虐殺したのも事実だ。
「違うんよ。空氏は人殺しだし、戦闘狂だし、厄介な存在かもしれない。でも考えなしに行動する愚か者じゃないことがわかったんよ。私の兄を殺したのだって、きっと理由がある」
「……」
かつて、空は『フェンリル』を虐殺した理由を駆除のためと言い切った。
人間を人間と見ていない、見えていない発言に僕は恐怖を覚えたのだけれど、あの時よりもほんの少し長く空と接した僕はあの発言は嘘だったんじゃないかと思うようになっていた。
奇しくも、日和さんが今言ったのと同じように、何かしらの理由があったから、それを行わざるを得なかったではないか?
あの時の発言はただの強がり……否、そうではなく、日和さんを絶望させないように自ら悪役をかってでたのではないか?
そう思うのは、流石に考えすぎだろうか?
僕はまだ澄渡空という人間像が完璧に捉えられていない。
でも、本人は悪ぶっているが、それほど悪い人間ではない。と思う。
「だから私は空氏を認める。空氏も一人の人間だと認める。まぁ、認めたところで、私の復讐するっていう決意は変わらないんだからん、結局は何も変わらないんかもしれないけれどん」
そんなことはない。
日和さんは変わった。
その変化は日和さん自身にとって良い変化だったか、わからない。
ただ僕の主観からすれば、それは良い変化であると思った。
憎しみに囚われただけの人生なんて苦しいものでしかないのだから。
「そういうことらしいよ、空」
「……」
僕達の話を苦々しい表情で聞いていた空は、やがて重苦しい雰囲気を醸し出しながら言った。
「んで、それがどうして俺にまとわりつく理由になる?」
「だから、認められたからじゃないの?」
そういう話だっただろう。
空は話を聞いていなかったのか?それとも理解力が不足しているのだろうか?
「認められたのは理解したよ。化け物という認識から人間にクラスアップしたんだろ?そいつん中で俺の評価は」
「そういうことだよ」
「だが、クラスアップしたからって俺に付きまとう理由にはならんだろうが。『俺の評価があがった=俺にまとわりつきます』の論理展開は少し無理があるだろう」
む、確かに。
よくよく考えてみれば、空の言うとおりそこはイコールにならない。
それでは日和さんが空にまとわりつく理由はなんだろうか?
気にはなったが、もうそれは当人同士で解決してもらいたい問題だった。
僕的には、空と日和さんが前よりも仲が良くなり、剣呑な空気を発しなくなっただけで充分満足なのだ。
「さて、空」
「何だよ、観凪」
「僕らは元気だ。そして空が疑問に思っていた日和さんの問題も僕が原因じゃないことは証明された」
「まぁ、そうだな」
「君の用件は終わったな。よし帰ってくれ」
日和さんが丸くなったところで、空がそれほど悪い人間ではないとわかったところで、この両名が厄介な存在であることは変わりないし間違いない。
「おいおい。何だよ観凪冷てーじゃねえか。久しぶりなんだからゆっくりさせろよ」
「空は招かれざる客だということを、重々理解してもらいたい」
「ひまわり。茶。のど乾いて仕方がねえんだよ」
聞いちゃいなかった。
空の耳は都合のいいこと以外聞こえないようにできた進化した耳であるようだ。
ちなみに空に茶の催促をされたひまわりの対応は、「冷蔵庫に麦茶が入っています」だった。
メイドの格好しているが、まったくメイドらしいことはしないひまわり。僕がそのことを問いつめればひまわりはきっと「私は空さんのメイドではなく観凪さんのメイドですから」と破壊力満点の笑顔で切り替えしてくるだろう。
ひまわり……
そうだ!ひまわりだ!
僕がここ数日悩んでいた原因がようやく判明した。
それはひまわりと空のことだった。
「空!ひまわり!話がある」
「?何でしょうか?」
「あぁ?何だよ。俺今から麦茶飲むんだよ。あ、このコップ使っていいか?」
「構わないよ。で、空とひまわりに聞きたいことがあるんだけど……」
「私と空さんと共通の話題でしたら、『正義』のことでしょうか?」
「いや、『正義』のことじゃない。空の絶対防御の話だ」
「うぁ?俺か?絶対防御?それ散々話題にしたじゃねえかよ。俺の絶対防御を破れる奴はこの世にいない。どんな攻撃でも無効にしてみせるぜ」
麦茶を飲みながらそう嘯く空。
「空の絶対防御の凄さは理解できている。あの紅糸さんの『でっかいパンチ』を防いだんだから、その効力は重々承知している。でも一点だけ僕は腑に落ちないことがあるんだ」
「何だよ、腑に落ちないことって」
「空の絶対防御は自動的で突破されることのない防御壁なんだよね?空の意志とは無関係に防御を行ってくれるんだよね?でも喫茶店での一件の時、空さひまわりの攻撃を普通に受けて普通に気絶していなかった?」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………………………………………本当だ!俺ひまわりの攻撃くらって気絶してる!」
攻撃くらった本人がその事実に気づいていなかった。
日和さんの頼みで空を喫茶店に呼び出し、僕らはそれをこっそり(?)監視したとき、いろいろあってひまわりは空に三連撃を加えて気絶させた。
ひまわりがあまりにもあっさりとそれをやってのけた上に、その後僕は即座に気絶したからあまり印象に残っていなかったが、よくよく考えてみればおかしいのだ?
自動的な絶対防御。
それが何故発動せず、ひまわりの攻撃を赦したのか?
矛盾に気づき空本人に聞いてみたけれど、空もわからないようだ。
「おい!ひまわり!どういうことだ!何で手前ぇは俺の絶対防御を破れる!?」
「え?別に私は空さんの防御壁を破ってないですよ?」
「嘘吐け!それならどうして俺に攻撃を与えられる?その理由を説明してみやがれ!」
「理由も何も……それが空さんの『天断』でしょう?絶対攻撃の刃を発動しているとき、絶対防御壁は消滅する。そういう能力じゃないですか」
「は?」
まぬけな声をあげたのは空である。
「ちょっと待て。俺にそんな弱点があったのか?」
「はい。気づいてなかったのですか?」
「気づいてなかった!ひまわり!手前ぇ、その弱点にいつ頃気づいていやがった!?」
「いつごろと言われても……最初に後空気の刃の能力を見たときですから、『正義』にいた頃ですね」
「その時言えよ!というか、俺そんな重大な弱点があるっていうのによく今まで生き残ってこれたな!」
「絶対防御壁が消滅すると言ってもほんの一瞬です。ゼロコンマの世界の話ですから、私並の強化系能力しゃじゃないと無理ですよ」
ひまわりの能力で特筆すべきはそのスピードである。
攻撃よりも、防御よりも、その速さが一番の長所なのだ。
絶対的攻撃力と絶対的防御力を持つ空であっても、ひまわりの速さに追いつくことは不可能だ。
そのひまわり並のスピードがないと、空の絶対防御の隙がつけないというのなら、実質ひまわり以外はそれを実行するのは不可能と言っても過言ではなかった。
「だから空さんは安心して、絶対防御壁を信頼していいと思いますよ」
「そんなことはどうでもいいんだ!いや!よくねえけど!もうどうでもよくなった!」
自分の能力が万能ではないと思い知らされ、空は絶望でもするのかと思ったが、違った。
むしろ逆だ。
嬉嬉として、鬼気とした表情で、まるで子供のような純粋な眼差しでひまわりを捉えていた。
あぁ、そうだった。
空は……、
澄渡空は……
「戦おうぜ!ひまわり!俺の『天断』とお前の『雷華』。どっちが上か証明しようぜ!」
澄渡空は戦闘狂だった。
全ての興味は戦うこと。
フェンリルを惨殺した理由は偽りがあるかもしれないが、戦闘狂という面に関しては嘘偽りはないようだった。
騒がしく戦闘を申し込む空を眺めながら、段々と僕の周りが賑やかになっていくのを感じた。




