アリスはキリーを逃がさない。
童話パロ企画参加作品です。
声の綺麗なあの人と私は親同士が決めた許婚の関係。そう、物心がついた頃から言い聞かされて育ち彼と私たちもお互いにそれが当たり前だと思って育ってきた。
私たちの家はこのハーメルの街でそこそこ裕福な商家でお互いが成人したら結婚するはずだった。それがおかしくなったのは結婚を控えた一年前のある日にとある有名な吟遊詩人が街にやってきた時だった。彼女の歌う歌声は街の人々を癒し惹き付け、それは私の彼も例外なく引き込まれてしまっていた。
「彼女の唄はすごいよな、一日の疲れが綺麗に吹き飛ぶよ」
「そうね。でも、それをそんな表情で婚約者の前で言うのはちょっと自信なくしちゃうな……」「なんだ、妬いてるのか?大丈夫だよ。お前はいつもコツコツ真面目に働いて、しっかり者だろ?俺はそういうお前が好きなんだから」
「も、もぅ……///」
「愛しているよ、アリス」
「私もよ、キリー」
けれどもそんな言葉とは裏腹に彼は日々の仕事で得た稼ぎを彼女に注ぎ込み始めてあまりしっかり食べていないのか顔色も良くなくなっていた。
「ちょっと?ねぇ、ちゃんと食べてるの?顔色良くないよ、キリー」
「ん、大丈夫だよ。アリス。心配するなって。それより今彼女が俺に唄を教えてくれているんだ。安くはないけどさ、俺の声を誉めてくれたんだ」
「それってキリーの健康や家族、私の心配よりも大事な事なの?」
「……大事だよ、彼女はいつまでもこの街にいるわけじゃないんだから。いるうちにしっかり教わらないと」
そう答える彼の視線は私を見ず吟遊詩人の彼女が逗留する宿屋の方を見つめたままだった。そんな彼に不安を覚えた私は心配しつつも、彼女が街を去れば元通りの日常に戻ると信じることにした。
「信じていいのよね?キリー」
「バカだなぁ、アリス。大丈夫だって」
そして吟遊詩人の彼女は一週間後、街中の若い男たちにハーメルの外壁の外まで見送られながら旅立った。……私の大事なキリーも一緒に。そのことに気が付いたのは夕方になっても姿を見せない彼に不安になって彼の家に行き、彼の両親とともに彼の部屋に入って見付けた私宛ての書き置きを見つけた時だった。
『アリスへ。彼女の勧めに従ってしばらく唄の修行に出ることに決めた。式は帰る迄待ってくれないか?』
私と彼の両親はしばらく呆然と立ちすくんでいた。そして立ち直った彼の両親はまだ立ち直れずにいた私に必死に謝ってくれていた。そしていつ帰るかも分からない彼との婚約解消をも申し出てくれた。私は解消は待ってほしいとだけ、やっと振り絞った声で答えてどうやって帰ったのかは覚えていないけれども自分の家に帰り着き、朝まで泣きもせずにただ、ただ呆然とベッドに腰掛けていた。
「……キリー。きっとあの女が貴方を誑かしたのね?許さない。……貴方は私のモノなのに……待ってて、キリー。貴方を助けだしてあげるから」
朝日が昇る頃わたしは街の門が開くと同時に彼女らが向かった隣街へと追いかける旅に出たのだった。
私の彼は旅慣れてはいないし肉体労働はあまりしてないからそんなにたくさんの距離は歩けないはず。その点私は配達やら重い荷物を運んだり、倉庫整理をしたりとそこら辺の同い年の女の子たちに比べれば体力には自信があったから、休まずに行けば追い付けるだろうと考えていた。そしてその考えは当たっていた。
二日目の夕方だった。前方の林の入り口からあの女が奏でる笛の音に合わせた彼の楽しそうな歌声が聞こえてきたのだ。
「…………ずいぶんと楽しそうね?キリー・ギルス?さ、帰るわよ!」
「え……?あ、あ、アリス・キラタハ?!どうしてここにいるんだ?!」
「どうして?私は貴方の婚約者よ。……逃がさないわ、絶対。さ、支度して?」
「いや、しかし……」
「……修羅場中のところ申し訳ないのだけれども。彼は私と契約してるのよ。ほら、これが契約書。連れて帰るというならば違約金を支払ってくれないかしら?」
私が彼に詰め寄っているとその隣から吟遊詩人の彼女が面倒ごとはゴメンよ、と言わんばかりに一枚の羊皮紙を私に突き出してきた。
「彼は十分に売れる要素があるの。だから隣街でデビューさせる手続きが進んでいるのよ。今さら無しだなんて大損害だわ。どうしても連れ帰ると言うなら違約金として金貨500枚、今すぐ払って?」
貴女みたいなガキには無理よね?と勝ち誇ったような笑みを浮かべて吟遊詩人の彼女は私に、言外に早く諦めて帰れと言い放つ。
金貨500枚と言えばかなりの大金で普通に働いても二、三年はかかるだろう。ましてやキリーではその倍以上の年月がかかるに違いない。
「さ、分かったでしょう?子供はお帰りなさい。ほら、何してるのよ。さっさと帰りなさい」
私が無言で背負っていたリュックサックを肩から降ろし始めたのを見た彼女が不審そうに見ながら言ってくるのを私は無視して、中から重そうな革袋を五つ次々に取り出すと彼女の目の前に並べて置いた。
「これでいい?一袋につき金貨100枚入っているわ。合わせて500枚。確認して?」
彼女とキリーは信じられないとばかりに目を見開いている。そして彼女は私に促されて数を数え始めて、きちんと確認を終えるとため息をついた。
「呆れた。こんな大金、貯めるのは大変でしょうに、どうしたのよ、これ」
「……結婚資金よ」
「……は?」
「聞こえなかったの?私とキリーの結婚式の為に私が働いて貯めた結婚資金よ。それから、はいこれ。受け取って?」
私はもう一袋取り出すと彼女の前に置いた。
「何これ」
「慰謝料と治療費とお見舞い金として金貨100枚よ」
「……へ?」
何を言っているのか分からないという顔の彼女に私はにっこりと微笑むと。
「……よくも私のキリーを誑かしてくれたわね、この売女!!」
「ひっ?!や、やめ、ぎゃぁぁぁああああ!!」
肉体労働で鍛えた腕力で握りしめた拳を思い切り彼女の顔面に向け振り抜き、彼女を背後の大木に叩きつけ、そのまま気絶した彼女にはもう興味はないとばかりにキリーの方を荒い息をしながらとても良い笑顔で見つめる。
「さ。キリー?帰りましょう?」
「は、はひっっっ!」
私は羊皮紙の契約書を破棄すると怯えたような目で私を見ているキリーを連れてハーメルの街まで戻り、事の次第をお互いの両親に説明して明言した。
「キリーは私のお婿さん。絶対に結婚するわ。別れさせようとする人は許さないから」
こうして私たちは先日無事に結婚し、幸せな日々を送っている。街に吟遊詩人が来るたびにキリーはデビューの話しを思い出すのか残念そうな顔をするのだけれども、私の良い笑顔に顔を引きつらせて仕事に戻る姿に私は苦笑しながら大きくなったお腹を撫でさするのだった。