第1話『ハニー・ベッドウィーン』
根元まで吸いきったタバコを灰皿に押し付け、覚めて不味くなったコーヒーを一口すすった。窓からは朝日の光が差し込んできて、寝不足の目に刺さる。
机の上に散らばっている新聞紙を取り、朝日をさえぎるように広げて適当な記事を流し読む。
「ふむ、愛すべき合衆国は今日も血と硝煙と、酒と麻薬によって栄華をきわめているな」
灰皿からまだ吸えそうなタバコをつまみ、マッチで火をつけて紫煙を吸い込む。
机の正面にあるドアの向こうから足音が聞こえる。紫煙を吐き出しながら、うんざりした気持ちを精いっぱい顔に出す。
ガチャリと勢いよくドアが開き、肥満体形の男がずかずかと部屋に入ってきた。
「ウィル。ウィリアム・ハーヴィー。椅子に座ってふんぞり返って新聞なんぞを読みくさっているそこのボンクラ、貴様だ」
サスペンダーで止めたズボンの上に乗せた腹を揺らしながら、男は俺の目の前まで歩いてきたかと思うと新聞をひったくっていった。
「なんすか、編集長。新聞なんぞと言いますが、飯の種をなんぞと言っちゃぁいかんでしょ」
後退の進んでいる頭部に青筋を立てながら、編集長はぎろりとこちらを一瞥して新聞紙をきれいに畳んで机に置いた。
「ウィル、確かにお前の言うとおりだ。こいつが俺らの飯の種、仕事であり生きるすべだ。そうだ、いいか? お前の仕事は、こいつに載せるネタを探してくることだ」
「おっしゃる通りで」
視線をそらし肩をすくめて応じて見せる。タバコを吸おうとしたところで、残り僅かなタバコを取られ灰皿でもみ消される。
「もう一度言うぞ、お前の仕事はネタを探してくることだ。そいつがなんでか事務所の机について、偉そうに新聞を読んでいると来たもんだ。こいつはおれの眼がおかしいのか、テメェの頭がおかしいのかどっちだ?」
「お言葉ですが編集長、これでもこちとら今さっき帰って来たばかりなんですぜ? それまでちゃんと歩きまわってネタを探してたところなんですから」
「肝心のネタは見つかったのか?」
「そりゃぁ、まぁ……」
「いいか、朝帰りがどうした。ネタがみつからねぇなら、帰ってくるんじゃねぇ」
編集長はそれだけを言うと、奥にある自室に入って行った。
「くそったれ、少しはテメェも外回りやがれ。そんなんだから腹が膨れてるんだよ」
悪態をつきながらも、外勤に出る支度をする。といっても、言葉通り事務所に戻ってきたのは日が昇る少し前だったので支度自体それほどない。
上着を羽織って胸の内ポケットにしまいい、カバンの中のカメラを一度取り出して簡単に点検を済ませる。
サスペンダーに取り付けてあるホルスターに38口径の拳銃を差し込み、袖口にダブルデリンジャーを仕込む。
荒事に自ら首を突っ込んでネタを探さなければいけないブン屋としてこの程度の装備では心もとないが、あまり派手なものを持ち歩いて相手を逆上させては元も子もない。
「さて、いつまでもいたらまたドヤされちまうな」
コップに残ったコーヒーを一気に飲み干し、カバンを肩にかけて俺は事務所を後にした。
事務所を出てニューヨークのメインストリートを歩きウォール街へと入る。小さな路地を数本抜けると、そこは華やかなメインストリートやウォール街から政界が一変する。
小汚い身なりの浮浪者が路上の隅で酒を飲み、頬のこけた日雇い労働者がうろつき、厚化粧の娼婦たちが客を誘う。
眠らない街と呼ばれるようになった、栄華を極めつつあるニューヨークの我が愛すべき裏側。
俺は慣れた足取りで、目的の店へと向かう。いくばくか歩いたところで、目的の店が見えてきた。
娼館「スウィート・ベッドウィーン」
店の玄関から見知った顔が出てきた。ちょうど今から帰るところらしい、どうやら運はあるようだ。
「よう、アリス。景気はどうだい」
店の前に立ち止まったのは、この店の娼婦の一人。
アンリエッタ・スージー。整った顔立ちに白い肌、透き通るような金髪に碧眼。幼い容姿も相まって、俺はアリスと呼んでいる
「あなたに会えて最高よ、ダーリン。なぜって、お金を落としてくれるカモなんですから」
「はっはー、相変わらず口と愛想が悪いね。ところで、ママはいるかい?」
肩をすくめながら軽口をたたく。
「そうね、アリスと呼ぶのをやめてくれたらもう少し愛想は良くしてあげてもよくってよ? それとも、喘ぎ声でも聞きたいのかしら。でも残念、そちらは有料だからお金を払ってね」
アリスの辛らつな軽口に、再び肩をすくめるだけで応じる。本当に口が悪いことで。
「悪かったよ、アリス。それで、ママはまだ中に居るかい?」
アリスと呼ばれあからさまに不機嫌になる彼女は、それでも律儀にこちらの質問に答えてくれた。
「ママならまだ中にいるわよ、もう少ししたら出てくるんじゃないかしら」
「そうか、呼びとめてすまなかったな」
ポケットから素早く1ドルを取り出して、彼女の手に握らせる。
彼女から離れようとした時に、アリスに胸倉を掴まれ引き寄せられる。
「好きよウィル、愛しているわ。今度は夜に来てね、運とサービスするから」
耳元で甘い声、そして右の頬に温かな感触があった。
胸倉から手を離したと思うと、アリスは俺の横をすり抜けてそそくさと帰路へとついて行った。
「あのやろー」
一瞬だけ昂った鼓動を表に出さないように努めて、彼女の後姿を視線の端で追った。
「はっはっは、あのウィリアム・ハーヴィーが十七かそこらの小娘に良いようにやられるとは。なかなか良いものを見せてもらったよ」
突然声を掛けられて、視線をあわてて店のほうへと向ける。
「いやはや、恥ずかしいところを見られちゃったかな」
「あんたみたいなのでも、あの子のかかればただの男ってかい?」
店の奥から、ケタケタと笑いながらひとりの女性が出てきた。
「お久しぶり、ママ。相変わらずお美しいことで」
「ありがとう、だけど今はお世辞よりもランチが欲しい気分だわ?」
ママの視線に促された俺は頭をかいて、苦笑を浮かべながら了承した。
「はいはい、奢らせていただきます」