第12話『灰は灰へ、塵は塵へ』
木製のドアを開けてまず感じたのは、微かな血のにおい。部屋の中央には頭陀袋を頭に区部せられた男が一人、背もたれのある椅子に座らされていた。いや、貼り付けられていたと言うべきか。
両手を椅子の後ろで縛られ、両足を椅子の脚に縛り付けられている。頭陀袋には若干の血がにじんでいるのが見える。
部屋のにかには、その他に強面の男が二人。部屋に入ってきたバイナムと俺に対して軽く一礼をしてきたので、軽く目を伏せて応じた。
「その後はどうだ?」
「何度聞いても、同じようなことしか言わないですね」
そうかとバイナムが強面の一人に応じてこちらに視線をよこす。
俺は一つ頷いて、部屋の中央に縛り付けられた男に近寄った。部屋にいた男たちが少し警戒したのが伝わってくるが、気にせず男の前で片膝を立てて顔の高さを合わせる。
目の前の男は、力なく項垂れるようにしていてまるで反応を返さない。ぶつぶつと何かを呪文のように、何度も何度も繰り返している。
「灰は灰へ、塵は塵へ、命は命へ。おぉ、我らが無貌なる神よ。夢の国への道筋は未だ示されず、大機関の数式は未だ解を得ず。三人の祈りは未だ天に届かず、福音の音は未だ届かず」
まるで、男の周囲に他の人間など居ないかのように。
「灰は灰へ、塵は塵へ、命は命へ。おぉ、我らが無貌なる神よ。永久の時間は未だ訪れず、完全なる知は未だそろわず。三人の祈りは未だ天に届かず、福音の音は未だ響かず」
何度も何度も、同じ言葉を繰り返す。
「灰は灰へ、塵は塵へ、命は命へ――。」
俺は男の前から立ち上がり、バイナムに合図を送った。入ってきた木製の扉が再び開かれ、俺は部屋を後にして通ってきた通路を逆戻りする。
「ずっとあんな調子よ。最初のほうは俺たちを殺すと喚いていたが、意識がもうろうとし始めてからは宗教じみたことしか話さなくなってきやがった」
バイナムは重たいため息をひとつ吐いて肩をすくめた。
「結局のところ手がかりは無し。無駄足だったか」
「いや、そうとは限らない。少し気になることがある」
酒場に戻り、バイナムに頼み机の上にニューヨークの地図を広げる。
「何か分かったのか?」
マーカスの問いに答えず、胸の内ポケットから手帳とペンを取り出し手帳を開きながら地図に印をつけていく。
印を点けていくのは、今回の事件が起こったと思われている位置。
手帳の情報を頼りに、×印を地図に落としていく。
「今回の事件が起こった位置か。こうやって地図にしてみると、やはりと言うか随分とあちこちで起こっているな」
「いや、違う。そうじゃなかったんだ」
最後の×印を書き終えて、改めて地図を俯瞰してみて一つのことに気がついた。
「一連の事件は全部、この場所を中心に起こっているんだ」
そういって、俺は事件の中心地にある建物を○で囲んで見せる。
場所は、トリニティ聖堂教会。
「今回の事件はおそらく、狂信者による儀式か何かだと考えればこの事件の場所についてはある程度合点がいくんだ。この教会を中心に円を書くように事件が起こってるだろ」
「なるほど、それにしてもなんでそう思ったんだ?」
「さっき捕まったやつの言葉を聞いてるときにな。『塵は塵へ、灰は灰へ』、この一節はキリスト教の祈りの言葉だ。次に『三者の祈り』という言葉は三位一体、トリニティを示している。後は連想で、『福音の音』はおそらく教会の鐘を指しているんだろうな」
「なるほどな。しかし、確証はあるのか?」
「いや、こじつけと言われればそれまでだ。でも、調べてみる価値はあると思う」
バイナムとマーカスを顔を見る。二人は互いに視線を合わせて、小さく頷いた。
「手がかりは今のところないしな」
「人出はこっちで用意しよう。しかし、向こうに気付かれては元も子もないからな」
「そうだな。あとは、マーカスには悪いが警察の介入する前にケリを点けるべきだと考えている。今回の件に関して警察内部の動きが見えてこない以上、警察にも注意を払う必要もありそうだ」
「そっちは、俺のほうで同僚やら伝手を使って探ってみる」
一連の出来事がようやく線でつながり始めたとはいえ、まだ不明な点はたくさんある。
事件の目的、連邦警察とその背後に見える大英帝国、そして未だに正体のわからない不吉な男について。
「ひとまず、今日のところはここで解散としよう。各自自分の身には十分気をつけて、こまめに連絡を取り合うことにしよう」
酒場を出たところに、蒸気自動車が二台。バイナムの部下がどうやら送って行ってくれることになっているらしい。
俺とマーカスは、それぞれ別の車に乗り込み酒場を後にした。