第8話『アリス』
マーカスと一緒にスウィート・ベットウィーンにたどり着くころには、既に街灯の火が灯る時間になっていた。
まさか、結局ここにまた戻ってくることになるとは。振り出しに戻されたような気分になる。
お店にたどり着くと、既に看板は色鮮やかな光を浮かべ店の前ではまだ年端もいかない女の子たちが客に声をかけていた。
「あれ、ウィルさんじゃないですか。どうですか、今夜は。お安くしておきますよ?」
女の子の一人がこちらに気づき、腕をからませながらすり寄ってくる。
「ごめんよ、ちょっと用事で来ててさ。また今度お願いするよ。それよりもママは居るかい?」
「ううん、まだ来てないは。ママに用事なら一時間ぐらいここで時間を潰していれば来るはずよ?」
お誘いに一瞬心が動くが、視界の端でマーカスがこちらを睨んでいるので誘いを断る。
「ふむ、それじゃぁアンリエッタは居るかい?」
「あぁ、それなら今居るはずよ。ちょっと待ってて」
女の子はそう言ってお店の中に入っていった。
「ずいぶんと人気じゃないか。良い御身分だなぁ、クリス」
「絡むなよ。言っておくけども、此処の世話になったことは一度もないからな」
懐から煙草を一本取り出して口に咥える。火を点けようとしたところで、店の中からアリスが出てきた。
「悪いなアリス、急に呼び出して」
「そうね、何度も言うようにアリスと呼ばないで仕事として指名してくれるのなら大歓迎なのだけれども」
アリスの視線がマーカスに向けられる。
「こいつは、俺の古い知り合いでマーカスってんだ。それよりも、アリス。俺に誰か客が来なかったか?」
アリスは少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの無表情に戻った。
「ええ、来たわよ。よく分かったわね?」
「それで、何か言伝でも預かったかい?」
「教えない、だってどうせ危ないことしてるのでしょう?」
アリスの手が俺の頬に伸びる。
「ママだって……、心配してたし。事件なんて他にだってあるでしょ?」
頬をなでるアリスの手にそっと手を重ねる。ひんやりとした細い手、力を入れれば砕けてしまいそうな手だ。
「頼むよ、アリス」
少しだけ沈黙が流れる。アリスは小さく息を吐いて、俺の頬から手を離した。羽織っていたコートのポケットから、アリスは小型電話を取り出した。
「あなたが来たらこれを渡してほしいとお客に頼まれたの。その人も、人に頼まれたと言っていたは」
「すまない」
「今度ランチでも奢ってね。ママとはこの間行ってきたのでしょ?」
「わかった、約束する」
アリスがこちらに倒れるように身体を預けてきた。不意の出来事にとっさに支えてやる。
「アリス?」
「気をつけてね
アリスは、そう一言つぶやいて俺から離れた。まだ、胸のあたりにアリスの熱が少しだけ残っている感じがする。
「それじゃ、ランチ楽しみにしてるから」
「あぁ、楽しみにしておけ」