第86話・舞台の調和
何と言うか、半年以上前の発売初日からチケットを取り本当に楽しみにしていた舞台。前から何番目かの良い席に着席。うん、なかなかいい座り心地です。
重たそうな緞帳の模様からして好感。ああ、後ろにも人が座った。どうか私の椅子の背もたれをどんどん蹴飛ばす子供とか膝組してぎゅーとかかとを押し付けるような人ではありませんように。それと横に煙草臭い人や匂いのするものを食べたりする人が座りませんように。
安いと言えないチケットで時間をやりくりしてきたのだからマジで神に祈りをささげる。
そっと後ろを振り返ると身ぎれいにした年配の女性何人か。左横は母娘らしきペア、右はカップルかな? よしよし、神は私の祈りを聞きたもう。隣と後ろはヘンな客ではない。今日は舞台観賞に専念できそうだな、と一安心。
(通常苦労してとった良い席の場合はまずヘンな客はこない、もらいものとか3階席のはしっことか、なにかのチャリティとかだと地雷を踏む確率が高いと思います)
ゆったりとした気分で座り売店で購入したパンフレットを読む。劇場前のポスターに掲示されていた本日のダンサー名を再度確認。来日公演では結構ダンサーの交代の告知があるのだ。久々の舞台だと誰が何やらわからない。だけどこの中に私の好みの演技もしくは踊りをしてファンになる人がいるかもしれない。
名前の羅列、外国人の名前は特にわかりにくい、日本語で発音しにくいロシア名だと余計にさっぱり。でもそれも楽しみです。
ああ、幕が開きます。
来日公演では生オケは望めませんがそれでもなお観客はこの日を待ちかねていました。ああ、早く踊りを観せておくれ。
まずは観客の期待感で透明のものが舞台に向かって綾織りになっています。この時点ではまだ色はついていません。ああ、誰か出てきました。一人、二人…。
踊ります、もしくは演じます。
知っているあらすじだと次はこうなってとはわかりますが、ダンサーや役者によってもがらりと印象が変わるのは承知の上、今日はさてどんなのかな? 筋かね入りの観客はそこがよくって毎日でも観にきます。
だが本当は一番怖い観客は私のようなたま~にしか舞台に来ない貧乏ヒマなしを地でいく客でしょう。期待感大きくそのためにどういう人が演じるかあらかじめリサーチできる場合はしっかりネットでHPなどを見ておいて予習もいたします。
「おお、この人の舞台は初めてだがなかなかいいじゃないの、 ああ、きれいな足、正確なコンパスのよう、きれーなピルエット」
ダンサーたちがつぎつぎと舞台上に現れ観客は浮世の義理を忘れ夢中になります。ああ、至福の一時よ。でも至福の一時は自覚するものではない。後で想うもの。だから今はただただ夢中で舞台を目で追うの。
舞台と演者そして観客、音楽、その場の空気、何より卓抜したダンサー、もしくは演者が出すオーラ時には荘厳に、特には軽く楽しげに。そういういろいろな要素が入り混じって空気が変わって行く。目には見えぬとても美しい綾織りに色がついていく。ああ、今日の舞台は薄い7色に光るレーザー光線のような、とか、重苦しい重厚な音楽が聞こえてくるような、魔法の軽い絨毯のような、とか、思います。
(こういうことを思うのは私だけかもしれませんが視覚と感覚を重視するタイプの観客はこうじゃないかな?? 人によって違うことを思うのは当然ですが)
クライマックス、そして終結。ああ、終わっちゃうの? 名残惜しい、本当に、もう終わっちゃうの?
残念!
来日公演の人なら「来年もまたきっと来てね!」最後の緞帳が下まで降り切ってしまうまで一生懸命手をふったり、演劇だと「また良い席取れたら行くね!」とかもちろん声は出さずに無言で拍手するか笑顔で手をふったり。
(注記:お手振りは最後の終幕でダンサーや役者さんが舞台あいさつに出た時に。タイミング外すと恥ずかしいです)
特に良い舞台だとカーテンコールが何回でも続き観客は総立ちでなかなか帰ろうとしない。一度ルジマートフの全盛期にそういうことがあって、私と同行者も名残おしくずっと席で立ったままでもう一度幕があいてくれないかしら? と思っていたことがある。こういうときはさっさと帰る人もいるので席が空いていくので前へ前へと行くわけね。彼も忙しいだろうし疲れてもいるだろう、劇場の人も何度も緞帳の上下ボタンを押すのもめんどうだろうし。
(あの時は降りてしまった幕のすそからひょっこりという感じでルジさんがソリスト何人かと手をつないで出て来てくれた時はどよめいた、楽しかった。)
演劇ではバレエとはまた違う感覚で舞台上の主人公が席に座っている私を見つめてセリフをいっているのではないか、という感覚をもつことがある。もちろんそれは錯覚であり役者が一見の客にはしてくれるはずはない。こういうのは理由がある。
①たまたま座った席の位置
②その幕での役者の視線の固定先がたまたま私かその周辺だった。
だとは思うがあの○○さんが私の方を見てセリフを言ってくれた! とか思いこんでしまうほどまっすぐにこっちを見たかと思うのは席の位置関係もあったかと思うが、その役者さんが非常にすぐれているということに他ならない。
視線が役者さんとばっちりあい、からみあうというのは観客にとって居心地は良いものだが反面恥ずかしさ? 面映ゆいという感情も出て来て誠に不思議な気分に襲われるのだ。こういうのは非常にまれな現象で卓抜した役者さんだといえよう。また運もあると思う。
こういうことがあった舞台は例外なくはしからはしまですごくいい。そしていつまでも覚えているものだ。
チケットを買って観客になるというのはお金を払って舞台上に出てくる人物類をあがめに行くようなものだ。もしくは別世界の住人に会いに行く。私を夢の世界に連れて行って、私をとりこにしてよ、って。
それから「終わっちゃたかー」とため息をつきつつ帰途につく。たいてい夜はとっぷりと更け、一路最寄りの駅を目指して歩いて行くわけ。今度はいつあのダンサーや役者さんと会えるかな♡と思い返しつつ、帰途につく。
楽しいひと時をありがとう。やはり舞台は夢の世界。大好きよ。
舞台はあっという間に終わってしまいますが、いつまでもずっと覚えているわけではありません。だけど良い舞台だとイメージ的にあの舞台はよかった、とか記憶はしているものです。そして舞台名もしくは団名を覚えてまたチケットを予約するのです。
ものすごく気にいったダンサー名ももちろん覚えて帰り、雑誌やHPで再チェック。
あんまり著名でなさそうだったら次の舞台はいつかな~と気にしつつもいやあ、あれだときっと人気がこれから出る。次の号の雑誌で特集組まれるかもしれないし、と期待もする。
こういうひそかで楽しみって本当楽しいですよ。第一、人畜無害ですし。そう、私は幸せ者です。




