第54話・目だけゾンビ現象(別名・死んだ魚の目現象)
観客側目線での話です。
今回は観客側としての見方です。この話は友人とも実はしたことはない。
まずは前置き。
私は1人で観に行くことも多い。チケット発売初日ってなかなか電話予約してもネット予約でも全然つながらない。やっとつながったと思ったらもう欲しい席はなかったりする。
私の言う欲しい席というのは当然前列の席。前から10番目以内とか。特にDVDとかですでに発売されている演目だったりしたらたとえキャストが別であろうが、前列で見れないのだったらいらないと思う人です。
そういう人気のチケットの場合はもう友人を誘わず1人でチケットをとることも多いです。なぜなら1人席のほうが端っこの方であっても良い席が余ってたりするので。このあたり1人行動を好む人ならわかっていただけると思う。
(いつも群れをなして行動する人って苦手。1人ぼっちでかわいそうとか思うようだ…ヘンなのはあんたたちの方だってば。それと前にも書いたが1人行動同士つながろう、感想を分かち合おうとする人も苦手、どうか私に話しかけないでくれたまえ…)
そうして運よく最前列をとったり、はし席をとったりします。
たとえば劇団四季とか宝塚とか超有名超大手どころ。それで…良い席を入手できてわくわくしていたとする。
私はそれについて文句はまったくない。そして演じる側にも責任は全くない。だけど冷水を浴びせられたような気分になったことがあります。
これは私だけがおもう現象かどうか自信がないので、ここで書く…以上前置き。
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たとえば宝塚。
宝塚にはオーケストラ席があって(生オケはいいね) その前にも細長い道のような舞台がある。演じる人たちが隊列を組んで華やかな様子で踊る、歌う。また主役級の人が前にでて踊ったりキメのセリフを言う。とっても観客はそのステキさにわーとため息をついて感動します。いわゆるスポットライトの場所版というところか。歌舞伎で言う花道になるのかな? 舞台用語には詳しくないのでわかりませんが。
もう何度めのベルバラだったか、最初にロココの豪華衣装を着たその他大勢が花道を隊列を組んで踊りながら行進する。とても華やかです。その時私はたまたま最前列の席を取れたんです。ふわっとした膨らんだあのボリュームある長いドレス、ばふ、ばふ、とほこり? が舞い上がり細長いライトの光にまじって細かく上にあがっていきます。眼科用語でいえば飛蚊症様現象か。
私も拍手をおしみなくします。だってこれから舞台ですよ? とっかかりからして宝塚はコレがいいのです。豪華、華やか、華麗。うるさいぐらいの綺麗さ。
ところが拍手が私だけ途中で凍りつきました。出演者たちが今まさに今隊列を組んで花道を歩いている! 最前列だから良く見える! なのに…隊列を組んでいる貴婦人役たちの満面笑顔の中、美しい顔なのに、全員目が死んでいたのだ! ちょっとナニコレ…ゾンビミタイ…、
目が死んでいる…ってなに?
数少ないこのエッセイの読者様がなんでまたこんな話を、といぶしがられると思う。目がおかしいのはないかと怒る人もいると思う。だけど私は糾弾目的で書いているのではない
目が死んでいるというのは、演じる輝きというのがないのだ。
「あー、今日もまた始まったか。1日2回も同じ振り付け、同じ行動、同じ拍手…端役はやってらんない、もう飽きたわ…」 という感じ。
要は顔は笑っていても目までは人は演技できないってことです。高倍率の戦いを切りぬけてきた人たちである。顔も美しい分そのギャップがすごくて私は凍りつきました。いくら厳しいこと言う劇場主宰者はそこまではわからんだろう。後ろの観客もわかるまい。
私は主役ももちろん観ますが、万年コールド呆けの人間なので端役の人も全部観ます。だからわかるのです。もちろん、主役級やセリフのある人はある程度の緊張感、緊迫感はあって当たり前だからそんなことは全然なかった。役に入り込まないと役はできない。第一、目が死んでたらそんな演技はできるもんか。セリフがいっぱいある人もしかり。
セリフがほとんどなくて主役を盛り上げるような下っ端の端役の人がそうだったのだろう。
同じようなことが劇団四季であり、その時は最前列ではなかったがはしっこの席だった。劇団四季も観客を大事にしており、演目と場所によるが劇が終わると役者との触れ合いもある。
演目はCATだった。これも私は何回か見ている。その時は舞台真ん中寄りの端っこ席だ。わざわざそこの席が取れたっていうのは、役者との触れ合いもしてみたい、このあたりなら絶対握手とか期待できるという友人の奮闘による。
どの役の人か書くのはやめておくが、セリフもダンスも主要な役なので、たくさんあった。もちろん感動した。
その人も最後のあいさつに主役と同様他の役の人たちと観客のふれあいと称して舞台から降りて握手をしにきてくれた。私も記念に? 握手してほしい!
声を出して手招きまではしないものの、心の中で呼びかける。やっぱりあんなに立派な役者様に握手してくれたら光栄だし、うれしいものだ。
良席のおかげか来ていただけました!
おおこっちにきてくださった!
で、握手して役者さんの目をのぞきこむ。…あれ…目がゾンビだ…?
ちょっと…目が死んでる。疲れてるのか? と一瞬思ったが、顔は親しげで満面の笑顔。なのに、目が死んでいる。他のキャストも寄ってきた。あれ…この人も目がゾンビ。
ぞっとして拍手をやめた。とか、握手は一瞬。わずかな時間でできるだけ多くの観客と握手せよ、の使命があるのだろう。だけど、握手してもらった観客には一生ものの思い出になったりする。
もちろん違う役の人もこっちのきてくれた。握手3人目! この人は大丈夫。目でとてもよかったですよ、とアイコンタクト。向こうも目が笑って、にっこりしてくれた。
この時間。書くと何行かにわたったが、わずか数秒だ。
観客との触れ合い用の音楽があるのだろう、テンポがかわると申し合わせたようにキャストはさっと舞台上に引き上がった。
だが、あの目、役者さん演じきってすごいお疲れだったのだと思うが、さすがの私もヒキました…。
舞台上にあがって並んで手拍子をうち、より観客を盛り上がらせるキャスト達。私を凍りつかせたあの役者さんも並んでいる。遠目に見た限りでは舞台上はやや暗めだし、メークが猫そっくりでもともと人間を思わせないような作りになっているので観客席からは全然わからない。それに他の人も全然気づかなかったようだ。私だけそうだったのか。私だけにわかったのか。
でも冷水を浴びたかのような感覚は忘れられない。
バレエはさすがに観客席におりてどうとかは皆無なのでそういうことにはあったことがない。だが元某団員の人に聞いてみたら、コールドでやたらと主役を囲んでじっとしている時間が長い演目だと「あー、また同じ、これは20分間ほぼ振り付けなし、このポーズのまま固まらないと」 と内心ため息をついていたとか。もちろんにっこり笑顔で。
添え役は必要、だけどつらい。中央で踊るわけでもなし、拍手ももらうわけでもない、単なるそこらへんの大道具と一緒。やれやれクライマックス。主役が踊る。もう少しだ。終わったーーーーっ!
さっ、緞帳も下りたしさっさとメイクを落としてかえろっか…そんなことを思うとか。正直ですね、と思いつつバレエ団員や役者さんってあこがれの職業だが大きなところだとしかも毎日だと私たちにとっては非日常でもそれが日常になるとそうなっていくのか、とも思った。
その人が悪いわけではない。プロになってもそういうことにもなるんだと思うだけ。特に劇団四季のその人はわりと著名な人だったのでよけいにショックだった。でも良く考えたら1日2回とか…やはり疲れるよね…ショックだった思い出ですが、私は雲の上のプロの人にちょっと同情した。




