「鳳仙花と打ち上げ花火」
「お前は、鳳仙花みたいなやつだよな」
そう言われたのは、小学生の高学年の時ぐらいだった。夏の気怠い暑さに顔をしかめているというのに、さらにわけのわからないことを言われて、思わず眉間に皺が寄る。
「……どういう意味?」
「鳳仙花の花言葉は、『私に触らないで』なんだよ」
「……へー」
なるほど、似ているかもしれない。しかし、そんなことよく知ってるものだ。全然花言葉なんて顔してないのにこいつ。でも、私が他を寄せ付けるのを良しとしない性格なのは、確かに間違いではない。
「見た目は、紅くて、綺麗なんだけどな……」
「それ、どういう意味?」
「お察しの通りで。さあ、やるか」
「……うん」
納得いかないけど、早くしないと警備員にでも見つかったら面倒なので、目の前にある蛍光塗料の入った押し車を押す。私と優が通った後には、奇妙な黄緑色の蛍光塗料の線が生まれていく。それに頬を緩めながら、右へ、左へ。時には塗料が出る部分を持ち上げ、途切れ途切れに。
下書きに書いていた線を、どんどん塗りつぶしていく。さっきまで無駄口を叩いていた優も、無言で汗を流しながら作業に没頭していた。
作業は、十数分にわたって続いた。一度間違えたら、取り返しのつかないことになるので、慎重に。しかし、とどまるとそこだけ濃い色になってしまうので、勢いを殺さずに。
「……よし、こんなもんか」
「だね」
私たちは手押し車を体育倉庫にしまって、校舎の扉の鍵を壊して小学校の校舎に入り込んだ。誰もいない夜の学校というのもなかなか雰囲気があっていいものなのだが、廊下に飾ってある下級生の拙い絵でそれも台無しである。
懐中電灯の明かりを頼りに階段を上り、最後の階段を上りきった後にある屋上の扉の鍵を、これまたぶち壊して扉を開けた。どうやってぶち壊したかは、企業秘密だ。
屋上に入った後、私たちは急いでフェンスまで駆け寄った。高鳴る胸の鼓動を必死に抑えながら、私たちが丹念に計画を練り上げた作品を、この地域の一番高い場所から見下ろす。
「わぁお……」
「大成功、だね」
私たちの視線の先にあるのは、蛍光塗料で描かれた奇妙な形の円。
そう、俗に言うミステリーサークルである。
作った自分でも、驚いてしまうほどの出来栄えだ。なるほど、小学生でもここまでできるか、と内心感心しながら満足して、何度も頷く。横を見ると優も同じような動作をしていたので、何だか笑えた。
「今年、卒業だな。俺たち」
「小学校をね。全然感慨深くない」
「確かに」
へらへらと優が笑って見せる。義務教育なんだから、何がどうあがいても大抵の場合卒業できるので、何の感動もわいてこない。そうしてまた、義務教育の過程を進むわけなのだから尚更である。
「なぁ、葉月」
「……ん?」
普段滅多に名前を呼ばれることのない私は、少し返事するまでに間ができてしまった。その間を少し不思議がっていた優であったが、すぐにどうでもよくなったらしく、話を続ける。
「今度は、もっとすごいことやろうな」
「そうだね、ミステリーサークルもいいけど、もっと派手なことしたいね」
蛍光色で、夜に怪しく光るミステリーサークルもなかなか魅力的であったが、感動は一瞬だけだった。何というか、こう、心に残るとかそういうんじゃなくて、一瞬の。実際今はもうそこまでの感動はない。残ったのは、夏の夜に走り回ったという疲労感だけだ。
「花火で校庭を埋め尽くす、とかどうよ?」
「お、珍しくいいこと言うじゃない」
「珍しくはよけいだろ……」
そういって、どちらともなく笑いだす。どこかで鳴いている蛙の声が、私たちの笑い声に合わせるかのように、大きく鳴いた。
私たちはいつまでも、ミステリーサークルを見つめながら、夢のような話をいつまでもしていた。それは実現可能な話のようで、小学生の私たちには到底無理な、小さな夢の物語。でも、そんな夢うつつにしか、私の心は揺らがない。
歪んだ二人の小学生は、日が昇るまで学校の屋上で語り合った。
煌々と照りつける夏の日差しは、実に爽快で、
実に、鬱陶しかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
歪んだ小学生のうち、一人。
私、村井葉月はそのまま、歪んだまま成長して、高校生になった。
よく自分でも高校に入学できたものだ、と勉強ということに一切関心がなかった自分を省みる。やはり勉強をしていた記憶何て、何一つ思い出せない。思い出すのが、落書きで埋め尽くされた教科書だけである。
「今日から、お前らは高校生として、新しい日々を過ごすわけだが――」
と、くだらない挨拶をしている担任教師を尻目に、私は窓からグラウンドを見つめた。広く、隅々まで整備の行き届いたグラウンドには、ミステリーサークルはどこにもない。
あの後すぐに、優はどこかに転校していってしまった。あまりの急さに、住所さえも聞き忘れて、優とはそれっきりだ。おかげで、優曰く「鳳仙花」の私は中学三年間一人で暮らす羽目になってしまったわけだ。別に自らそう望んでなっているのだから、何ら文句はないのだが、一人だと何かやろうにも、スケールが小さくなってしまう。あのミステリーサークルさえも、超えることは不可能だった。もちろん、校庭を埋め尽くす花火何てできるはずもない。一度試みたのだが、隠して持ち運ぶのも限度があり、校庭の隅の方に隠していたら、いつの間にか没収されてしまうという事故が起きた。それ以来、計画さえも立てる気にならず、平坦な毎日を、蛇行しながらも平坦に生きている。
「中学とは違って、義務教育ではないからなー。心してかかるんだぞー」
何に? とは思ったが、義務教育でもないのに、何で私はここにいるのだろうという疑問の方が先にわいてくる。気まぐれで受験してみたら受かった、ただそれだけの話であるが、通う気なんてなかったのに。
「今日は、とりあえずここまでだ。明日からは普通に授業があるからなー」
長かった担任教師の話がようやく終わって、その場は解散となる。クラスメートたちも、まだ周りが見知らぬ顔なので、雑談をするでもなく、無言で速やかに教室から出て行った。私もそれにならって、教室を出ていく。廊下を埋め尽くす人をかき分けながら、靴箱を目指しているのだが、部活の勧誘やらで人がごった返しており、なかなか前に進めない。かく言う私も、何個かの部活の広告を押し付けられているところだ。
あぁ、鬱陶しい。
心の中で思っても、さすがに堂々と言う元気はないので無言でゆっくりゆっくりと進んでいく。「鳳仙花」であるはずの私が、人の波にもまれるなんて、皮肉なものだ。確か鳳仙花は、触られると種が爆発して飛び出すみたいな特性を持っていた気がする。しかし私は人間なので、触られても種は爆発しないし、特に何も起こらない。ただ、人を避けて生きているだけなのだ。
……ん? あれは?
そんな人ごみの中で、何だか見たことのあるような顔が目に入った。そいつはサッカー部に勧誘されている最中らしく、ユニフォームを着ている上級生にへこへこと頭を下げている。
私の知っているあいつより、随分背が高く、たくましく、そして、大人びているそいつは、
歪んだ二人の小学生の内の、もう一人。
「…………優?」
「え……、葉月?」
思わぬ場所で再開を果たした二人は、目の前の光景があり得ないといった風に見つめあい、人ごみの中、はぐれないようにどちらともなく手をさしだし、その手を握った。最後に触れたときには同じぐらいだったはずの手の大きさも、今でははるかに優の方が大きく、たくましい。
そうして、手をつなぎ黙ったまま私たちは人ごみにもまれ、出口へと進んでいく。その間、二人の間には会話はなかった。数年ぶりだというのに、大して話したいことが見つからないということもあったのだが、今はそれよりも驚きの方が大きかった。
校舎の出口が近づいてきて、むさ苦しい人ごみの中を春の風が通っていった。
その風は、不思議とあの夏の日の風と、同じような香りをしていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「久しぶり、だな」
「そーだね」
校舎をでて最初に交わした言葉はこれだった。あまりにもそっけないと思われるかもしれないが、私たちにはこれで十分だ。むしろはしゃぎ合う私たち、というのを想像するのも恐ろしい。それは最早ホラー以外の何物でもないだろう。言いすぎか。
「ごめんな、急に親父の転勤が決まっちまって、ろくに挨拶もできずに」
私の唯一の暇つぶし相手、優は私に目を向けることのないまま、そう謝ってきた。ちなみに私たちは今、高校を出て、少し外れた場所にある河原を歩いている。歩道に沿って植えられた桜の木は満開を迎えており、入学を祝ってくれているようであるが全然嬉しくない。折ってやろうか。
「いーよ。おかげで、毎日退屈だったけどね」
「……そうか、やっぱり葉月はかわんねぇな」
優はそう言って、苦笑する。確かに私は、小学生のころから全然変わっていない。寝るとき以外の全ての時間を暇つぶしの計画を練るために費やし、機が熟したころにそれを実行する。その生活パターンは、小学校三年生のころから全く変化していない。暇つぶしと言っても色々あるのだが、ミステリーサークルなんかは、図案、天候、警備員の徘徊時間等を吟味して、二か月は計画を練っていたものだ。中学に入って、一人になってからは、廊下にビー玉をありえない量ばらまいて廊下を歩行不能な状態にしたり、教室を折り紙で作った花で埋め尽くしたりと、しょうもないことばっかりだったのだが、それでも私はその一つ一つを全力でやった。色々なことをやりすぎて、記憶に残っているものはあまりない。
でも、あの日、あの小学校の屋上で話した花火の夢を、私はまだ忘れていない。
「むしろ聞くけど、優は変わったの?」
「さすがに一人で悪戯する気には、なれなかったかな」
「……そう」
つまり大人になったとでも言いたいわけか。まぁ、普通そうなるのが普通なわけなんだけど、ね。
なんだか、寂しいな、って。
「でも、葉月がいるなら――」
優が何かを言おうとしたところで、大きな春一番が吹き抜けて行った。突風、というにふさわしいそれに、私は思わず目を閉じた。髪をおさえて、風がおさまるのを待つ。
「すごい、風……」
「葉月、お前……」
あ、しまった。抑える場所を間違えた。普通スカートか。あまりにも人と一緒にいることがない私はそういう常識が少しばかり欠けている。それでも、髪が乱れるのは不快なのかというつっこみは受け付けていません。
「……見た? 優」
「お、お前……」
私が少し恥ずかしそうに問うと、優はどっちとも取れない返事を返した。返事、というか、なんだろう。疑問、みたいな。
「見たと、いうか、お前、それ……」
優は弁明するでもなく、見たことを否定するでもなく、私の足の付け根を指さして目を見開いた。そこまで衝撃的か。なんだ、変に恥ずかしいぞそこまで大げさにされるとさすがの私でも。
私は指さしてきた優の指を無意識に追って、自分の足の付け根を見る。
そこで、
そこで私は、ようやく、思い出した。
「優……見たの? 見たのね?」
私は優を攻め立てるように近づき、問い詰めていく。優は驚いた表情のまま私を避けるように後ずさりして、もう一歩下がれば斜面にさしかかるというところまで追い込まれる。その眼はやはり見開かれたままで、動揺を隠しきれていない。対照的に私は、怒り、というか、高ぶる感情をおさえることができずに、何も悪くない優を問い詰め続ける。
「何で……、何で見たりしたのよ! 秘密だったのに! ばれちゃいけなかったのに!」
「……葉月」
優の胸を、両手の拳で殴りつける。しかし、全く力は入らずに、虚しく跳ね返されるのみで、優は全く動じない。ただ、優も何も言うことができずに黙っているだけだが。
でも、取り乱した私に優は意を決したように言葉を放つ。聞きたくない。そう咄嗟に耳をふさごうとしたが、優に腕を掴まれてそれもかなわなくなる。
「お前、虐待されてたんじゃ、ないのか?」
「そんなこと…………ない、止めて、そんな、こと、ない、から」
「嘘、つくなよ。じゃあ、あの火傷のあとは何て説明するんだよ!」
「……それは」
説明何て、できるはずがない。
何でって、それは確かに虐待の跡なのだから。
虐待じゃないと主張するのなら、それはもう説明不可能である。
「あんたには、関係ない……。放っておいてよ」
「なぁ、答えろよ葉月。その火傷の跡はなんなんだ!」
「放っておいて!」
そう叫んで、私は優の手をすり抜けて駆けだす。しかし、すっかり忘れていたのだがそこは河原の細い道であり、道のすぐ横には川まで続く斜面がある。無我夢中で逃げようとした私は、その斜面にかなりのスピードでさしかかり、そして、足を滑らせた。
「葉月!」
優の叫ぶ声が聞こえたが、自分の転がり落ちる音がやけに大きく消えて、その叫びすらも小さく聞こえる。しかし、瞬間私の体は何かに包まれて、地面から与えられる痛みが和らぐのが分かった。それは、簡単に説明できることである。
「いって……、おい、大丈夫かよ」
一番下の地面まで転がり落ちた後、私の体を抱きしめたまま一緒に転がり落ちた優は、そう問う。私はその腕を振りほどいてまた駆けだした。それが助けたくれた人に対する態度か、と自分でも思ったが、今の私にはそんな理性通じない。ただ、真実を優に知られるのが怖かった。
「馬鹿止まれ! そっちは川だ!」
忠告は聞こえていたが、私はお構いなしに川に入水した。ローファーの中に水が入り込み、靴下も一瞬でずぶぬれになる。生ぬるい川の水は非常に不快であるが、川の向こう岸を目指して走る。派手に水しぶきが上がり、顔の高さまで水滴が飛んでくる。
「止まれ! おい、葉月!」
さすがにあんなぼろぼろの体じゃあ着いてこれないだろう。叫びながらこっちに向かって来ようとしている優をちらっと見てから、少し勝ち誇った笑みを浮かべた。
「止まれ葉月! そっから深くなんぞ!」
……え。
その叫びを聞いた瞬間に、急に足場がなくなって視界が上下に激しく揺れる。顔面が水面に叩きつけられて、急に呼吸ができなくなったことにより、パニック状態に陥ってしまう。どちらが上下かもわからずに、手足をばたつかせても水面に浮かぶことなど叶わずに、さらに酸素を失ってしまうという悪循環だ。
このままじゃ、死ぬ。
わかっていてもパニック状態なのだから、冷静に浮かぼうなんて言う考えが起こるはずもない。溺死してしまうという最悪の想像しか、今の私には湧いてこないのだ。
「掴まれ葉月!」
そんな私の目の前に急に差し出された手、それに私は無我夢中でしがみついた。必死にその手の持ち主から逃げようとしていたことなんてすっかり忘れて。
「だからあぶねぇって言ったのによ……」
悪態をつきながら、私を抱き上げて、川岸まで運ぶ優は、その名の通りにどこまでも優しく、力強い。 昔、私に付き合っていたずらばかりしていた優とは、やはり変わってしまったのだろうか。それはそれで、やはり悲しい物がある。
そんな思いや、死ななかったという喜び、そして、傷のことを知られてしまったという悔しさで、私の目からは自然に涙があふれ出る。久しぶりに流した涙は、やはり不快な川の匂いがした。
「よっと、おいおいびしょびしょじゃねぇか」
ハンカチを取り出して、優が私の顔を拭いてくれる。地面に座り込んだ私は、全く抵抗することなくその優しさを受け入れる。抵抗するのは、負け犬の遠吠えの様な気がしてならない。
「……お前、体中傷だらけじゃないか」
そう言われて自分の体を見る。腰の方まで伸びていた黒い髪はぴったりと体には張り付き、それと同じようにカッターシャツもぴったりと体に張り付いて、透けていた。カッターシャツ越しに見える肌は、昔につけられた、切り傷、火傷の跡、様々な傷に侵されている。
「なぁ、葉月、これ相当前に付けられたもんなんだろ?」
先ほどのように叫んでも逃げられると思ったのか、優は優しい口調で私に問いかけ、肩に手を置いてくる。その左手は、小刻みに震えていた。怒りか、悲しみか、その真意はわからない。
「何で、俺に相談してくれなかったんだよ……?」
その一言に、私の心の中の鳳仙花が花を開く。抑えられていた怒りがふつふつと湧いてきて、種が言葉となって飛び出す。
「相談して、解決できたと思ってんの……?」
「え……?」
「あんたに何が出来たって言うのよ!」
肩に置かれた手を振り払い、優に向かって激昂する。完全に逆切れだということは分かっているのだが、幼少時より溜まり込んでいた怒りはなかなか収まらない。溜め込んでいた闇と、悲しみが、全て言葉となって口から吐き出されていく。それこそまさに、鳳仙花のように。
「七年間も、どうにもできなかった……、何をしても、無駄だった……。それを我慢し続けてきた! それなのに、あんたに何ができるの!? あんたが言って、あのくそ親たちがどうにかなったと私は思えない!」
その時の記憶が蘇り、体が小刻みに震える。その震えを抑えようと、必死に自分の体を自分で抱くが、全く収まる気配がない。だから、私は再び方向を上げる。誰もいない河原に、それは響き渡る。
「落ち着けよ、葉月……」
「黙れぇぇ! 安全な場所にいるくせに! ずっとそうだぁ! 私には、安全なんてなかった! 安心何てなかった! あの暇つぶしの時だけが私の自由だった!」
本音を全て、胃の底からぶちまけた。私がずっと他人に思い続けていた、嫉妬というか、妬みというか、そんな、暗く、うす汚い感情を。
「悔しかったら、もっと危なくなれよ! そんな、危なくない、安全な場所にいるから相談しろなんて軽々しくいえるのよ! だから、もう、わかったら、放っておいてよ……」
そんな言葉の、叫びの最後を締めくくったのは、消え入りそうな、涙の混じった頼みだった。もうこれ以上自分の醜態を、唯一の友と呼べる存在に知られたくない。そんな、願いのこもった。
「………………わかった」
そんな願いを読み取ったのか、長い沈黙ののち優はそう答えて、立ち去った。その背中は、どこか寂しげだ。当たり前か。心配しただけなのに、あんなに突き放されたら、誰だってああなる。
そして、もう二度と、私には触れないだろう。
それでいい、それでいいんだ。
私は、鳳仙花。
それなのに、なのに……、
何で私の顔は、いつまでも濡れたままなのだろうか。
私は一人でいつまでも座っていた。日が落ちて、暗くなるまで、ずっと。
でも、どれだけ待っても、
顔だけはいつまでも、乾くことがなかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
私は昔、幼稚園のころから、虐待を受けていた。
幼稚園の時は、父親だけ。
小学校に入っては、母親も加わり、両親から。
両親ともに至って普通の会社員であったのだが、仕事のはけ口が欲しかったのだろうか。その理由は、私には理解できない。分からないままに私は暴力を振るわれ、罵声を浴びせられ続けた。
そんな幼少期を過ごした私が、歪まないわけがない。私はどんどん人を寄せ付けない性格になっていき、奇行に走った。
初めて私が奇行に出たのは、小学三年生の夏。
学校にあったクラスメートの絵の具を利用して、プールの水を真っ赤に染めた時だ。自分の体は傷だらけなので、プールの授業の時はいつも見学で、他の楽しそうに泳いでいる生徒たちに、一泡吹かせたかった。という単純な理由で。
ちなみに優が私の仲間に加わったのは、小四の春。学校中の机と椅子をひっくり返すという計画の時。一人ではあまりにも無理な量だったので、その年に転校してきた優を誘って、計画を実行したのが最初だった。私の人を寄せ付けない性格と、優の誰でも受け入れる性格は不思議なほどにあって、よく二人で行動していたものだ。
そんな優も、中学に入る前に居なくなり、私はまた一人で過ごすことになった。
そんな時だ。
いじめが始まったのは。
私の体の傷は、両親からの虐待の跡だけではない。中学に入学するときに、両親がこの地域から離れることになり、私は母方の祖父母に家に住むことにしたのだ。その引っ越した先の中学で、私はいじめにあった。
私の内向的、というか、他人を嫌い一人で行動しようとする性格、優曰く鳳仙花な私を、社交界に生きる中学生たちは気に入らなかったのだろう。両親から受けたほどのひどい物ではなかったが、また暴力の日々が続いていた。背中にできた傷の多くは、中学校の時に受けたものだ。
そんな私を救ってくれるものなど、誰もいなかった。両親から暴力をうけていた七年間、いじめにあっていた三年間、計、十年間。私は我慢し続けて生きてきたのだ。
それを、軽々しく相談してくれればよかったのに、何て言った優を、私はどうしても許せなかったのだ。相談しても、何も変わらないことなど私が一番知っている。今まで何人の大人が私を見放したと思っている。
私は結局、鳳仙花なんだ。
誰にも触れさせないし、誰も触れようとしない、孤高の花。
それが一番、似合っている。
「葉月ちゃん、電話よ」
不意に、祖母が私を呼ぶ声が聞こえた。私は布団から顔を出して、蛍光灯の光に目を細める。
あの、入学式から、すでに三か月の時が経過していた。高校では、幸い、まだいじめを受けていない。その三か月の間、私は学校には行っていたが、優とはできるだけ顔を合わさないように過ごしてきた。休日である今日も、自宅から一歩も外に出ることなく、怠惰に過ごしていたところだ。
「……誰から?」
「長峰、って人から」
長峰……? 一体誰だろうか。聞いた覚えがない。だが、一応私が指名されているので、私に用があるのだろう。祖母から電話の子機を受け取って、耳に当てる。
「もしもし」
そう電話の向こうに言ったとき、すでに外は真っ暗になっていた。部屋にかけられている時計は、午後八時を指している。ずっと部屋にこもっていたから、気付かなかった。
「葉月、今すぐ小学校に来い」
「……優? え、何で?」
「いいから、来い。分かったな」
そう言い放ち、優は電話を切った。私はわけがわからずに、子機に耳を押し付けたまま、硬直する。全く持って意味が分からないんだけど。何で小学校? 何でこんな時間に? 様々な疑問が頭に浮かび、解決できないまま消えていく。
でも、なんとなく、私の気分は高揚していた。
この時間に、小学校。そして、優。
あの、ミステリーサークルが頭に浮かんで、全く消える気配を見せない。
私は簡単に身支度を整えて、家を出た。夏の不愉快な風に体を包まれて、一瞬で汗がにじみ出てくる。そんな暑さの中、私は自転車にまたがって小学校を目指した。ここから、私たちが通っていた小学校までは、自転車で二十分弱。そう遠くはない。
額に浮かぶ汗をぬぐって、私は自転車をこぎ続ける。
あの日と同じ風に包まれて、同じような、星を眺めながら。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「よぉ、遅かったじゃねぇか」
着いた瞬間に言われたことが、これだった。暑さと疲労から、倒れてしまいそうな私を少しはねぎらおうと思わないのかこいつは。
「じゃあ、屋上に上がっといてくれ。俺もすぐに行くからさ」
それでいてさらに、私にそんなことをさせるのか。拷問じゃないのかおい。と、心の中で悪態をついたが、それを言葉にするのも嫌になるぐらい疲れているので、おとなしく優の指示に従う。誰もいない無人の校舎の階段を、私はゆっくり登って行った。
最後の階段を登り切り、屋上の扉の前に立った時に、優も私に合流した。優も相当急いだのだろうか、激しく息切れをして、膝に手をついて立っている。
「……大丈夫?」
「大丈夫だ……、いいから、いくぞ」
優は汗でびしょびしょの手で、屋上のドアのノブを回す。瞬間、外から生ぬるい風が吹き込み、それと同時に、
大きな、破裂音が鳴った。
「……え?」
「早く、見えやすいとこに行こうぜ葉月」
優は笑いながら私の手を引き、屋上の端まで駆けて行った。私はそれにされるがままだ。わけがわからずに、抵抗する気にもならない。
「ほら、見てみろ!」
「わぁー……」
優が自慢げに指さしたその先、校庭の一面中に、
美しい、火の花が咲いていた。
「昔約束しただろ、校庭中を花火で埋め尽くすってな」
優は満足げに笑い、そう言う。色々な色をした花火が、規則的に並べられ、その美しい花弁を散らすさまは、まさに絶景の一言に尽きる。
「でも、こんな量どうやって同時に……」
「簡単だ、ひもで結んだんだよ」
「ひも?」
私が昔出来なかったことをどうやって可能にしたのか。その疑問をぶつけると、優はこれまた自慢げに答えた。その答えは、あまりに単純で、わかりやすいもの。
「ひもで一列ごとに結んで、全部火がつく時間が同じになるように調節したのさ。さすがに、準備に手間取っちまったけどな。あとは、結んだ花火を校庭に綺麗に並べていくだけ」
噴射型花火のほかに、打ち上げ型の花火もあるようで、たまに大きな破裂音を鳴らしては、そらに日の花を浮かび上がらせる。
まさに、これだった。私がずっと考えてきたものは。
「……なぁ、葉月」
「ん?」
急にしんみりとした口調で、優が私の名前を呼ぶ。私は、校庭の花火から目を離さないままに、相槌を打った。優は、また少し間を開けて話し始める。
「この前の、いや、三か月前の話なんだけどな?」
「……うん」
私は河原での出来事を思い出して、少し声のトーンを落とした。花火の美しさに忘れかけていたが、私の怒りはまだ収まりきったわけではない。怒りは花火のように、短命ではないのだから。
「あの日は、軽々しく相談しろーなんて言って、悪かった。けど、な」
優は私の顔を無理やり自分の方に向かせて、また口を開いた。
その眼からは、大粒の涙が零れ落ちている。
「一人で抱え込もうとするんじゃねぇ。少しは俺も、頼ってくれよ。確かに、俺には何もできないかもしれない。でも、話を聞いて、それを一緒に悲しむぐらいのことは、できるからさ」
それは、誰も助けてくれることのなかった私への、救いの言葉。
「これからさ、また嫌になることがあったら、今度は俺にちゃんと相談してほしい。できることなら、なんだってしてやる。お前が望むなら、今度は町中を花火で埋めてやってもいい。一人で抱え込むな、頼むから」
私の頬にも、一筋の涙がこぼれる。この前言っていたことと、大差ない言葉だが、優なりに推敲した言葉なのだろう。確かに、この前の言葉とは重みが違っていた。優は、この言葉を、軽々しく何て気持ちじゃあ言っていない。それに、あの時は私の気が立っていたことも確かだ。さっき怒りが消えていないとか言ったが、あの花火を見た今では、その怒りもどこかに吹っ飛んで行ってしまった。
それに、それは、誰も寄せ付けなかった私に、初めて本気で向き合ってくれた、言葉だ。
「だから、さ、葉月。俺は――」
それに、優は触れたのだ。種が、はじけるかもしれないのに。自分が、傷ついてしまうかもしれないのに。
「もういいよ、優。わかった。もう、一人で抱え込んだりしないよ」
「え……?」
だから、その覚悟に免じて許そう。
「私に触れても、いいよ、優」
「葉月……」
私は優の手を握って、花火の方を向き直った。優も、同時に花火に向き直る。校庭では、まだ燃え尽きていない花火が、質素な校庭を飾っていた。
「綺麗だ、な」
「うん……」
残っていた打ち上げ花火に火がついて、破裂音をたてる。
空に打ちあがった花火は、赤くて、どこまでも赤くて。
まるで、鳳仙花の様な色を、していた。