しっかり食えよ
今は転職もできて、いろんなことが改善されています。
昭和の先人の苦労と我慢の上に、今があるのだと思います。
タイトル:しっかり食えよ
子供の頃、ごはんを食べているときに、
両親に言われた言葉をふと思い出すことがある。
母の
「早く食べなさい」
「こぼさないで食べなさい」
「しゃべるか食べるか、どちらかにしなさい」
そして父の
「しっかり食えよ」
子供の頃は、そこにどんな思いが込められているかなど考えもしなかった。
けれど、あの頃の父より年上になった今、
そして働くことのつらさを知った今は、
家族を食べさせるために必死だった父の思いがこもった一言だったのだと
改めて思う。
これは大人になってから母から聞いた話だ。
父は地方から出てきて都会の国立大学に入学し、機械工学を学んだあと、
当時羽振りの良かった造船会社に入社した。
そして20代で異例の出世をして管理職になった。
令和の今と違い、当時は年功序列が当たり前だったため、
父への風当たりの強さは半端ではなかったらしい。
そんな中で、父より親子ほど年上の部下が重大なミスをし、
父はその責任を取って降格となった。
ミスをした部下は、あろうことか、にやにやと笑っていたという。
父の話では、自分を貶めるためにわざとミスをし、
責任を押しつけたのだということだった。
降格になった当時、私は二歳半だった。
父は「出向」という形で田舎の会社に勤めることになり、
母と私は、電気も最近ようやく通ったばかりというような田舎へ引っ越した。
会社が借り上げた一軒家は、親子3人で住むには広すぎるほどだった。
父はそこでまじめに働き、6年後には管理職に昇進する話が出たそうだ。
本社に戻れるかもしれないと父は張り切ったが、
新しく赴任してきた上司と相性が悪く、
仕事の進め方をめぐって口論になり、
それが原因で昇進の話はなくなった。
そのときは母が会社に呼び出され、こう言われたという。
「仕事はできるがプライドが高く、扱いづらい。
叱責すると激高してトラブルを起こす。
若い頃は年長者がなんとかおさめてきたが、もう40歳になるというのに
あの調子ではここで働くことが難しい。」
母は、子供もいるので何とか会社に置いてほしいと頭を下げたそうだ。
父は会社に残ることはできたものの、部署内でたらい回しにされるようになり、
それに伴って私も何度も転校を余儀なくされた。
2年続けて通えれば良いほうで、
短いときには3か月しかいられない学校もあった。
割り当てられる社宅の部屋数もだんだん減っていった。
親と一緒に過ごしたい年頃には、あまりありがたくもない「子供部屋」があり、
中学に入学して自分の部屋が欲しくなったころには、
2LDKや2DKの社宅になり、逆に自分の部屋がなくなった。
転校が決まるたびに、せっかくできた友達との別れのつらさや、
新しい学校になじむまでの不安とストレスで、
私は泣きながら父に抗議した。
抗議したところで殴られるだけで、何も解決しないことは分かっていた。
それでも子供の私は、行き場のない思いを父にぶつけるしかなかった。
今、社会人になって振り返ると分かる。
たらい回しにされていた父本人は、どれほどつらかっただろうかと。
当時は、今のように転職が一般的ではなかった。
降格されようが、後ろ指をさされようが、
家族を食べさせるために働き続けるしかなかった父。
その気持ちを思うと、
なぜ子供の頃、あんなに父を責めてしまったのだろうと
今でも悔やまれてならない。
そして、あの当時の終身雇用が今も続いていたらと思うと、ぞっとする。
つらい状況に歯を食いしばって耐え、
家族を食べさせるために必死で働いた父。
そんな父の
「しっかり食えよ」
という言葉を、私は今も時々思い出す。
そのたびに、胸の中は感謝の気持ちでいっぱいになる。




