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見ました!? 今の私! 今の私!

5時間目は数学。担当教師の進藤先生は、生徒が答えに詰まるとネチネチと小言を言う、いささか厄介な性格で知られている。


黒板には、大学入試レベルの応用問題。進藤先生が「これが解ける者はいるか」と問いかけてから、すでに一分近い。別に俺が答えてもいいのだが、それは最終手段だ。いつも通りに気配を消し、その他大勢に埋没しておくとしよう。


進藤先生の鋭い視線が教室をなめる。俺はペン回しをして『思考停止中』のオーラを出し、指名リストから自分を除外させた。今日も俺のモブ化テクニックは冴えている。


 教室全体が、鉛のような沈黙に包まれた。誰も目を合わせようとしない。当てられたくないからだ。シーン……という擬態語がこれ以上似合う空間はそうそうないだろう。


 だが、俺の聴覚環境は違った。


(これはゼミでやったやつ! 日ごろの猛勉強の成果を見せる時だ!)


(数学班、演算終了! 解答を確認!)


(オッケー! 素材は揃った! これより『対教師用・優等生演技』の収録を行う!)

(スタジオ前室、準備急げ! 本番入るぞー!)


(照明さん! もっと瞳にハイライト入れて! 『知性の輝き』作って!)


(音声さん、マイクチェック! レベル適正? よし、あざとくなりすぎないギリギリのライン攻めて!)


 ……うるせえ。今度はテレビ局かよ。朝比奈七瀬の脳内では、数学の計算を行う裏方スタッフと、表舞台を取り仕切るフロアディレクターたちが怒号を飛ばし合っていた。  


ただ問題を解くだけじゃない。彼女は、この場の空気を最高のものに変えて、かつ自分を完璧に見せる演出プランを模索しているのだ。


(プランどうしますか!? 即答して『天才キャラ』でいきますか!?)

(バカ野郎ッ! それじゃ視聴率(好感度)取れねえだろ! 進藤先生はプライドが高いんだ! それにクラスメートたちから感じ悪いだろ!)


(ここは『先生のおかげで分かりましたドラマ』を撮るんだよ!)


(スクリプト変更! 『謙虚なひらめき』ルートで! カンペ用意!)


(演者、入ります! 3カメさん、右斜め45度から『清楚』な画角で抜いて!)


(本番5秒前! 4! 3! 2!……キュー!)


 驚くべきことに、ここまでわずか三秒である。そして満を持して、本体朝比奈が動き始める。


「……先生」

 凛としているが、どこか控えめな声。


 朝比奈七瀬は、計算し尽くされた75度の角度で、美しく手を挙げていた。


「おお、朝比奈。……わかるのか?」

「自信はありませんが……先生が先週仰っていた『合成公式』の応用だと考えれば、道筋が見えました」


(よォーし! 『先生の教えのおかげ』アピール入りましたァ!)

(自信なさげな表情最高だよー!)

(先生の機嫌メーター上昇中! さあここからクライマックス! 解答シーン!) (カンペ出して! 『ためらい』を0.5秒挟んでから正解!)

(音声、エコーかけろ! しっとりと!)


「答えは……でしょうか」


「……正解だ。いや、素晴らしい。私の教えた要点を完璧に理解しているな」

 教師の声にクラス中から歓声の声が上がる。


「すげぇ……」

「やっぱ聖女様は格が違うわ」

 完璧だ。教師のメンツを立て、クラスの停滞した空気を払い、かつ自分の優秀さを嫌味なく証明する。アカデミー賞ものの演技力だといえる。まさに学園の至宝にふさわしい立ち振る舞いだった。


 クラス中が称賛に包まれる中、彼女の脳内テレビ局はCMに入ったらしい。一瞬の静寂の後、ふと、飾らない独り言が漏れてきた。


(……よし。完璧。崩れなし)


(嘘でも演技でも、貫き通せば真実になる。……約束だもの)

(見ててね。私は今日も最高に嘘つきで、最高に気高い「聖女」をやってみせるから)


 ……ずいぶんとまあ、悲壮な覚悟で優等生やってんだな。誰との約束なのかは知らんが、その必死さは、嫌いじゃないが。


 だが、俺の耳には、また別のノイズが混じり込んでいた

(……チッ)

 舌打ちだ。 音源は、教壇に立つ進藤先生の心の中からだった。

 先生は口元こそ笑っているが、その目は笑っていない。


(面白くないな。これは、誰も解けないところをネチネチ言ってやるつもりの出題だったのに。朝比奈は可愛いが、こういうところが気に入らないんだよな)


 大人のくせにしょうもないことを考えるやつだ。だが、こういう手合いが一番面倒くさい。先生が息を吸い込む音が聞こえた。


腹の底が冷たくなるような『大人のドロドロした欲望』や『自覚のない悪意』のノイズ。昔散々聞かされてきたそれに比べればスケールは小さいが、それでも不快なのは変わらない。


(調子に乗るなよ、朝比奈。……よし、次は少し意地悪な質問だ。教科書の範囲外今の問題の証明プロセスについて突っ込んで、その涼しい顔をひきつらせてやる……)


 マズい。進藤先生が口を開きかけた。七瀬の脳内テレビ局は、現在(大成功! 打ち上げ会場予約して!)と浮かれきっており、完全に無防備だ。この状態で、範囲外の難問を不意打ちされればどうなるか。


(えっ!? なにそれ知らない!)(『放送事故! 放送事故です! ピー音入れて! 画面を「しばらくお待ち下さい」に切り替えてェェェ!!)


 ……みたいになるのは間違いなく、俺の鼓膜が破れるほどの絶叫が起きる。それだけは阻止しなければならない。


あと、大人が安全圏から生徒をいたぶって楽しもうとするその根性が、胸糞悪い。

必死に準備して、震えながら完璧を演じきった聖女様の努力が踏みにじられるのは、少しだけ面白くない。俺の安眠のため。そして騒音源の努力に敬意を表して、阻止する。


狙うのは床ではない。教卓の右足、その金属パイプの接合部だ。

距離、約4メートル。風向き、なし。障害物、なし。


先生が「では、さらに……」と言いかけた、その刹那。

俺は指先で、計算通りにシャーペンを弾いた。


――カタン。

キンッ……!


静まり返った教室に、硬質な金属音が反響した。俺が弾いたシャーペンは、床で一度バウンドし、計算通りの軌道を描いて教卓の金属脚にヒットしたのだ。

教室の静寂を切り裂くような、鋭く、不快な周波数。


「あ……」


進藤先生の言葉が止まる。

クラス全員の視線が、音の発生源――教卓の下と、その射出点である俺の足元に向けられた。

思考の遮断。


人間というのは単純なもので、予想外の異音を聞くと、組み立てていた思考が一瞬リセットされる。進藤先生の頭の中から、意地悪な難問が霧散したのがわかった。


「……すみません、手元が滑りました」

俺は棒読みで謝り、気だるげにシャーペンを拾いに行く。


「……たく、気をつけろ佐鳥。授業中だぞ」


先生は出鼻をくじかれた顔で咳払いを一つすると、もう七瀬への追撃をする気を失っていた。意地悪な質問というのは、タイミングを逃すと白けるものだ。新藤先生はもう朝比奈への追撃をする気を失っていた。

「まあいい。朝比奈、正解だ。席に戻りなさい」


 危機は去った。七瀬は優雅に一礼して着席した。その直後。彼女が、前髪を直すふりをして、チラリと俺の方を見た。


(……見ました!? 今の私! 今の私!)


(『先生を立てる出来た生徒』ムーブ! 完璧だったでしょ!? ねえ!?)


(今の『謙虚な挙手』、可愛さポイント加算されてますよね!? 500点くらい入りましたよね!?)


 ……幸せな奴だ。自分が今、教師の悪意という地雷原を歩いていたことも、俺がそれを処理したことも気づいていない。さきほどまでの有能なテレビ局スタッフ陣によるノイズが一瞬で止み、いつものポンコツ会議へとチャンネルが切り替わった。


朝比奈本体は、むっふー! と鼻息を漏らしている。


 俺は深く、深くため息をつき、こめかみを押さえた。まあいい。彼女がパニックになって騒音を撒き散らすルートは回避された。俺はシャーペンを回し、再び思考停止中のモブへと擬態した。


 今回はちょっとツメが甘かったけど、朝比奈は基本的には優秀だ。大抵のことは完璧にこなす。しかもそれを自然に。すくなくとも俺以外の人間からは自然に見えるように。俺の前ではあんなにポンコツなのが不思議なほどだ。


 この「外面」を作り上げるために、内面でどれだけのカロリーを消費しているのか。

 その努力には敬意を表するが、頼むから俺の安眠のために、少しは手を抜いてくれ。


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― 新着の感想 ―
昔の約束で優等生を演技している?お約束だと主人公が昔約束したのを忘れてるってところだけど…
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