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 俺の平穏な日常は危機に瀕している

 球技大会という祭りが終わっても、俺、佐鳥観人の日常に平穏が戻ってくることはなかった。  いや、正確に言えば「平穏」の定義が書き換わってしまったと言うべきか。


 翌日の教室。  俺が重い足取りでドアを開けると、クラスの空気は一変していた。


 あ、佐鳥くん! おはよう!」

「昨日の試合、マジですごかったな!」

「お姫様抱っこはお前! やりすぎだろお前! 羨ましいぞお前!」

「ねーねー佐鳥くん、あのドリブル教えてよ!」


 クラスメートたちが、わっと俺に群がってくる。俺の「モブ」としての擬態は、昨日の無双劇と、何よりあのお姫様抱っこによって完全に崩壊していた。


……甘かった。


 バスケはまぐれ、お姫様抱っこは人命救助の緊急措置。そう言い張って煙に巻くつもりだったが、この熱狂が冷めるにはもう少し時間がかかりそうだ。


 まあ、人の噂も七十五日。俺がこれから徹底して『地蔵』を決め込めば、連中の興味もいずれ薄れて、元の「背景モブ」に戻れるだろう。そう言えばバスケうまくなかったっけ? と時々思い出される程度だ


 だが、それまでの間、この「注目の的」という居心地の悪い座席に座らされるのは、正直、高くついた。今この瞬間にも、クラスメートたちが俺に向けている心の声は、これまでよりはるかに多く、大きい。平穏が遠のいた。これ以上派手なことをすれば、次こそ本当に後戻りできなくなるかもしれん。


 俺は小さく舌打ちをし、その「一時的なコスト」を支払わせた張本人の席――あの「騒音源」の隣へと向かう。


「……おはよう」

 俺は適当に手を挙げて応えながら、自分の席――あの「騒音源」の隣へと向かう。  そこには、いつものように涼しい顔で文庫本を開いている、朝比奈七瀬がいた。


膝には大きなガーゼが貼られているが、その立ち振る舞いは変わらず完璧な「聖女」そのものだ。


「おはよう、佐鳥くん」

 彼女は本から視線を上げ、ふわりと微笑んだ。


周囲の男子が「うわ、今の笑顔破壊力高ぇ……」「女神かよ」とざわめく。


だが、俺にだけは聞こえている。その、耳だけは真っ赤ながらも涼しい顔の裏側で、無駄に賑やかで騒々しい「脳内ワイドショー」が放送され始めた音が。


(朝比奈さん! 朝比奈さん、こちらへ目線を!)

(パシャパシャパシャッ! パシャパシャッ!)

 無数のカメラのシャッター音と、強烈なフラッシュの点滅が脳内に炸裂している。


 七瀬の脳内には、無数のマイクを突きつける「芸能リポーター七瀬」たちと、サングラスをかけてうつむく「容疑者(?)七瀬」による、緊急釈明会見の会場が出現していた。


(昨日の『お姫様抱っこ』について! あれは事実上の交際宣言と受け取ってよろしいですね!?)


(い、いえ……あれはあくまで怪我の治療のための緊急搬送であり……)


(ですが! 「佐鳥くんの胸板、意外と厚かった」と供述しているのは事実ですか!?)


(搬送中、ドサクサに紛れて彼の胸元に『すりすり』したという情報がありますが!)


(もし、誰かに気付かれてうわさにでもなったらどうするつもりだったんですか!)


(っ……! そ、でも他の人には見られてないし、佐鳥くんも気づいてないから……!)


(顔が赤いぞ! 目が泳いでる! 照れてるんだ! 無責任だ!)


(うう……ち、違いますぅ……)


(書けぇ! 一面見出しだ! 『朝比奈七瀬、完落ち』だ!!)


 ……勝手に会見開いて、勝手に自爆してやがる。  俺は幻覚のフラッシュで目がチカチカするのを感じながら、鞄を置いた。


「……足、大丈夫か」

「ええ。おかげさまで、だいぶ痛みも引いたわ」


(えへへ、さとりくん、やさしいよぉ)

 なんか久しぶりだな、幼女。リポーターどこ行った。


(オラオラ! 今日こそは佐鳥くんのアレをアレしてアレするんだよ!)

 落ち着け本能。


 相変わらず忙しい奴だ。うるさくてかなわん。早く来てくれ、数少ない俺の友よ。


 「佐鳥くん!! おはよう!!」


 ドスン、と背中に熱い衝撃。

振り返れば、暑苦しいほど爽やかな笑顔の巨漢――椛島貞治が立っていた。

 昨日のバスケも見事だったよ! やっぱり僕の目に狂いはなかったね! カバディでも君は輝けるはずだ!」

 (カバディ、カバディ、カバディ、カバディ……)


 大声と共に響く、一定のリズムの心の声。 七瀬のパニック音で乱された俺の脳波が、この単調な重低音によって整えられていく。ああ、これだ。俺の聖域サンクチュアリはまだ死んじゃいない。


「……椛島。朝から声がデカい」


「ははは! ごめんごめん! でも嬉しくてさ! 球技大会で僕たちの友情も深まったことだし、今日こそ入部届を――」

「それは断る」

 俺が即答すると、椛島の後ろから、ひょっこりと小柄な影が現れた。分厚い眼鏡を光らせた、小山内南志見だ。


 「……おはようございます、佐鳥くん。朝比奈さん」


 ボソリと呟くような挨拶。だが、その眼鏡の奥の瞳は、獲物を狙う猛禽類のようにギラついていた。彼女は手元のノートに、猛烈な勢いで何かを書き込んでいる。


 (観測報告:エピローグ。『日常への帰還』)

 またレポートか。お前も好きだな。


(しかし、二人の距離感(物理・精神)は明らかに近づいている。朝比奈さんの『旦那様』発言(脳内)と、佐鳥くんの『まんざらでもない顔』を確認)


 近づいていないぞ。


(結論:尊い。このクラスは私が守護まもる。続編のタイトルは『新婚さんいらっしゃい・ハイスクール編』で決定)


 ……お前は他人の人生をコンテンツ化するのをやめろ。あと続編のタイトルがダサい。


 右から「カバディ」、左から「好き好き大好き」、後ろから「尊い」。


全方位からの音。俺は観念したように息を吐き、どかりと席に座った。


 「……勝手にしろよ」


 聞こえないフリをして呟く。 隣の席の聖女様は、嬉しそうに目を細め、再び文庫本に視線を落とした。その脳内では、また盛大なフラッシュの嵐――いや、『熱愛発覚』の号外が紙吹雪のように舞っているのが見えた。そんな騒ぎの中に、ひとすじだけの声。


(……スクープされてもいいや)

(だって、好きだもん。大好きだもん)


 騒がしいワイドショーとは違う、柔らかい本音。俺は頬杖をつき、窓の外へ視線を逃がした。なぜだか少しだけ緩んでしまった口元を隠すために。


 俺の平穏な日常は危機に瀕している。その代わりに始まったのは、世界一うるさくて、世界一退屈しない、騒音まみれの日々だ。


ああ、うるせぇっての。




これにて完結となります。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


長期シリーズにもできる話として書いていて、実は結構続きもあるのですが、もろもろ考えて、手応え的にも一巻部分にあたるこのあたりで完結にした方が連載としてキレがいいし、読んでる人もダレないかなー、と思った次第です。


感想などいただければ嬉しいです。ありがとうございましたー。


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― 新着の感想 ―
うるさく感想あげててすみません。反応的に突っ込みたくなってしまう作品でしたwテンポよく読み進められて面白かったです。ただもうちょっと過去に何があったか気になります。気が向いたら続きをお願いします、是非…
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