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32/35

俺の中で、何かが切れる音がした。

午後の日差しが照りつけるコート。


準決勝の相手は、1年3組。

昼休みに屋上から見下ろした時、俺たちに粘着質な視線を送っていた連中だ。


「よし、気合入れてくぞー!」


「おー!」


表向きは爽やかなスポーツマンシップ。

 だが、開始早々、俺の「耳」は不快な周波数を拾い続けていた。


(へへっ。マークっつって密着しちゃえば役得じゃね?)


(聖女様も必死な顔するとそそるよなぁ)


(調子乗ってる3組、ここで潰しとくか)


歪んだ好奇心と、集団心理に守られた加虐心。

 イヤというほど向けられて、良く知っている感情だ。


彼らにとって、これはスポーツではない。

 「高嶺の花」を引きずり下ろして遊ぶゲームだ。


「……朝比奈!」


試合が動く。

 味方からのパスを受けた朝比奈が、ドリブルで切り込む。


だが、その進路には敵の男子生徒が二人、壁のように立ちはだかっていた。


(来た! 囲め!)


(ボール奪うフリして、ちょっと体当たり……っと!)


「きゃっ!?」


敵の一人が、不自然に足を出し、朝比奈の肩に体をぶつけた。

 審判の死角をついた、ファウルギリギリのチャージ。


朝比奈の体勢が崩れる。


(警告! 衝撃感知! 左舷、被弾しました!)


(シールド(体幹)出力低下! 転倒します!)


(ダメ! ここで転んだらボールを奪われる! 佐鳥くんの前で無様な姿は晒せない!)


(総員、歯を食いしばれ! 根性で耐えろォォォッ!)


朝比奈の脳内から、金属が軋むような悲鳴が上がる。

 彼女は倒れそうになる体を無理やりねじり、ボールを死守してパスを出した。


「……っ、椛島くん!」


パスが通る。椛島が強引にシュートを決める。

 得点にはなった。だが、朝比奈の膝はガクガクと震え、呼吸は荒い。


「朝比奈、大丈夫か」


俺は素早く彼女のもとに駆け寄った。

 朝比奈は俺を見ると、引きつった笑顔を作った。


「だ、大丈夫よ……。ちょっと当たっちゃっただけ」


(痛い……今の、わざと? でも、気のせいよね?)


(弱音を吐くな! 聖女は常に優雅であれ! 佐鳥くんに心配かけちゃダメ!)


彼女の思考が、必死に自分を奮い立たせている。

 その健気さが、今は痛々しい。


「……無理するな。あいつら、狙ってるぞ」


俺は小声で忠告した。

 だが、朝比奈は首を振る。


「平気よ。私だって、みんなのためにも勝ちたいもの。……それに」


彼女は、じっと俺の目を見た。


(佐鳥くんに、私の『強さ』を見せるって、あの時誓ったから!)


……なんだそれ。また俺が覚えていない過去の話か?

 俺は舌打ちを噛み殺した。


試合は進む。

 3組のラフプレーは、時間を追うごとに露骨になっていった。


「おっと、悪い!」


「ごめーん、足滑ったわー」


(うわ、今の感触ヤバっ。柔らかー)


(もっと困らせてやれ。泣き顔見たいわー)


朝比奈が動くたびに、敵の手が伸びる。


「……チッ」


俺は自分のマークを捨てて、朝比奈のカバーに入った。

 敵がチャージに来る瞬間、俺が割り込んでコースを塞ぐ。


(うおっ!? なんだこのモブ!)


(邪魔だなぁ、どけよ!)


敵の思考ノイズが俺に向く。

 構わない。朝比奈に向けられるよりはマシだ。


だが、多勢に無勢だ。

 俺一人がどれだけカバーしても、全ては防ぎきれない。


「くっ……!」


試合終了間際。

 朝比奈が再び、激しいチャージを受けて床に手をついた。

 膝が擦りむけ、白い肌に赤い血が滲む。


(損傷拡大! バイタル低下! 燃料スタミナ切れです!)


(動け! 動け私の足! あと少しで勝てるんだから!)


(佐鳥くんに……勝利を……!)


「ピーッ! 試合終了!」


どうにか、勝った。

 スコアは僅差。予選のような圧勝ではない。


「はぁ……はぁ……」


朝比奈は肩で息をしながら、立ち上がろうとして――よろけた。


「……おい」


俺はとっさに彼女の腕を支えた。熱い。

 支えた二の腕が微かに震えている。


「ご、ごめんなさい……。ちょっと、疲れちゃって」


「……膝、やってないか。次の試合は見学しろよ」


「えっ」


朝比奈がビクリと体を固くした。

 あの時不自然なひねり方をしていたのを俺は見逃していない。


「平気よ。そんな大げさなことしたらみんなが心配するわ。……絶対に出るわ」


(狙われてるのはわかってる。でも、これで逃げたらあの人たちが喜ぶだけ。私は勝つ。そして、もう二度とこんなことする気がなくなるようにしなきゃだめ)


ここで「痛い」と言えば、チームの士気が下がる。

 だから、笑う。


「聖女」という役割は、ここまで彼女を縛るのか。


「……そうかよ」


俺は彼女の手を離した。止めても無駄だ。

 彼女は今、ブレーキの壊れたダンプカーだ。


視線を感じて顔を上げる。コートの向こう側。

 決勝の相手となる2組の集団が、こちらを見ていた。


(あーあ、聖女様ボロボロじゃん)


(いっそ決勝でトドメ刺しちゃえば?)


……なるほど。あいつらか。

 俺は小さく舌打ちをして、冷えたスポーツドリンクを喉に流し込んだ。


※※


決勝戦。

 コート上の空気は、異様な重苦しさに包まれていた。


「……ッ!」


開始早々、朝比奈が小さく呻いた。

 審判の死角で、彼女の軸足に自分の足を引っかけたのだ。


「あ、ごめーん! 足もつれちゃって!」


「大丈夫っすか朝比奈さん!」


大げさに謝る男子たち。その顔はニヤニヤと笑っている。

 審判の先生は、「気をつけなさい」と流すだけだ。


「……大丈夫。平気、だよ」


朝比奈は転倒しそうになった体を無理やり立て直し、笑顔を作った。

 だが、俺には聞こえている。


(痛い痛い痛い痛い!)


(膝が熱い! ジンジンする!)


(でも笑って! 笑顔キープ! ここで崩れたら、みんなが心配する!)


悲痛なノイズが、俺の鼓膜を削る。


「ほらほら、聖女様! パス出さないと!」


「ディフェンス固いっしょ?」


執拗なマーク。ユニフォームを引っ張る、体をぶつける、足を踏む。

 ベンチで見ている2組の女子たちが、手を叩いて笑っている。


そして、決定的な瞬間が訪れる。


残り時間3分。同点。

 朝比奈が最後の力を振り絞り、シュート体勢に入った時だ。


敵の男子が、ブロックに飛ぶフリをして――空中で、彼女の肩を思い切り突き飛ばした。


「――っ!?」


無防備な空中でバランスを崩された朝比奈は、受け身も取れずに床に叩きつけられた。

 ドスン、という鈍い音が響く。


「きゃああっ!?」


「朝比奈ちゃん!」


敵の男子は「うわ、勢い余っちゃった! わりぃ!」とヘラヘラと手を差し伸べている。


俺は息を呑んだ。

 朝比奈は激痛を感じているはずだ。


だが。


「……っ、ふ、ふふ。……平気、です」


朝比奈は、差し出された敵の手を借りず、自力で立ち上がった。


膝から血が流れている。顔面は蒼白だ。

 それでも、彼女は完璧な角度で、完璧な「聖女の微笑み」を浮かべていた。


「ただの、事故ですから。……続けましょう」


その瞬間。

 俺の世界から、彼女の「音」が消えた。


(…………)


聞こえない。「痛い」とも、「辛い」とも、「助けて」とも。


いつもなら鼓膜を破壊するほどの脳内会議が、プツリと断線したように消え失せた。

 代わりに漂うのは、底知れない、冷たくて暗い静寂。


彼女は今、脳のリソースの全てを「笑顔という仮面を維持する」ことだけに費やしているのだ。


心を殺して。感情を殺して。

 ただの「完璧な人形」として、そこに立っている。


「…………」


俺の中で、何かが切れる音がした。

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加減を知らない子供ほどタチの悪いものはないです…
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