だから誰なんだよ松木って。
球技大会当日。
快晴。雲ひとつない青空は、まさにスポーツ日和――と言うには、少し暑い。
だが、それ以上に暑苦しいのは、俺たちの教室だった。
「うおおお! 絶対勝つぞー!」
「円陣組むぞ円陣!」
教室中が、鮮やかなターコイズブルー一色に染まっている。
物理的な騒音だけでも公害レベルだが、俺の場合はそれに加えて、周囲の(目立ちたい)(あの子にかっこいいとこ見せるぞ)といった思考ノイズが重なってくる。
俺はTシャツの袖を通し、気配を消して自席に座っていた。
背中の「必勝」のロゴがダサいが、俺の隣に座る人物が着ると、これすらもハイブランドのユニフォームに見えるから不思議だ。
「……おはよう、佐鳥くん」
朝比奈七瀬が、完璧な角度で微笑みかけてきた。
ポニーテールにまとめた銀髪が、涼しげに揺れる。
クラスの男子たちが「今日の朝比奈様、神々しすぎる……」と拝んでいるのが気配でわかる。
だが、俺には聞こえていた。
その涼しい顔の裏側で、すでに「試合(実況中継)」が始まっている音が。
(実況席、実況席! さあ始まりました、朝比奈七瀬の球技大会!)
(解説の松木さん、今日のコンディションはいかがでしょうか!)
松木って誰だ。
(いいですねぇ! 肌のツヤ、髪のキューティクル、仕上がってますよ!)
(目標はクラス優勝、そして佐鳥選手へのアピールですが!)
(そこですよ! いかに自然に、かつ大胆に攻められるか。ここが勝負の分かれ目ですね!)
朝からハイテンションな実況と解説が聞こえる。
この前の土手でのアレはなんだったんだ。お前はいったいなんなんだよホントに。
「……ハチマキ、まだしてないのか」
俺は話題を逸らすために、彼女の手元を見た。
朝比奈はまだ手つかずのハチマキを前に、固まっている。
「ええ。……その、ちょっと結び方に迷っていて」
(おっと、ここで朝比奈選手、動きが止まった!)
(これはどうしたことでしょうか解説の松木さん!)
だから誰なんだよ松木って。
(迷ってますねぇ! 『可愛さ重視のリボン結び』か『本気モードの額巻き』か。戦術が決まらない!)
(時間は刻一刻と過ぎていく! このままではタイムオーバーか!? ロスタイムはあるのか!?)
そんなことで長考に入っていたのか。
放っておけば、彼女は開会式が終わるまで戦術ボードを睨み続けるだろう。ウンザリする。
「……貸してみ」
俺はため息をつき、彼女の机からハチマキを取り上げた。
「えっ? あ、佐鳥くん?」
「じっとしてろ。……動くとズレるぞ」
俺は立ち上がり、座っている彼女の背後に回った。
朝比奈のサラサラとした髪を傷つけないように掬い上げ、ハチマキを額に通す。
(あっ――っとォォォォ!?)
(ここでまさかのプレイヤー交代だァァァッ!!)
(佐鳥選手! ノーマークの位置から一気に距離を詰めた!)
(速い! 背後からのアプローチ! これは……伝説の『髪の毛触り』だァァァ!)
(いい形だ! 完全にディフェンスの裏をかきましたね!)
実況が絶叫しているが無視だ。
俺は手早く、しかし緩まないようにしっかりと、彼女の後頭部で固結びを作った。
「……ん。これでいいだろ」
俺は結び目を整えて、席に戻った。
時間にして十秒足らず。
((((((((ピピーーーーーッ!!!!))))))))
(ゴォォォォォォォォルッ!!)
(決まったァァァァァァ!! 佐鳥選手のスーパーゴールです!)
(なんというテクニック! 『無言の優しさ』という強烈なシュートが、朝比奈選手の心臓に突き刺さりました!)
ただハチマキ巻いただけなのに、なんで俺が開幕前にMVP取ってるんだ。
「……はぁ」
俺は深く椅子に持たれかかった。
実況席の興奮が冷めやらぬ中、俺はげんなりと天を仰いだ。
※
校庭への移動アナウンスが流れ、俺たちはぞろぞろと教室を出た。
グラウンドには全校生徒が集まり、熱気で空気が歪んでいる。
開会式。校長の話など誰も聞いていない。
生徒たちの意識は、目の前の敵チームや、気になる異性に向いている。
整列位置に着くと、前方からチリチリとした「ノイズ」を感じた。
隣の列。一回戦で当たる予定の、3組の連中だ。
(……チッ。朝比奈さん、今日も目立ってるなぁ)
(いいよねぇ, 顔がいいだけで男子に優しくされて)
(ムカつく。試合でちょっと恥かかせてやりたいかも)
ああ、こういうの前にも聞いたな。女子グループからの、粘着質な嫉妬の音。
明確な殺意ではない。「あの子が失敗して笑い者になればいいのに」という、女子特有の軽い足の引っ張り合いだ。
そして、他クラスの男子側はもっと単純で、タチが悪かった。
(うおっ、朝比奈ちゃんマジ可愛い。生足ヤベェ)
(なぁ、バスケって接触ありだよな?)
(へへっ。ガチでマークいけば、ワンチャンぶつかれるんじゃね?)
歪んだ好奇心。
「聖女様」の困った顔を近くで見たいという、無責任な加虐心。
なるほど。特定の黒幕がいるわけじゃない。
だが、この無自覚な悪意の包囲網は、ある意味で明確な敵よりも厄介だ。
試合がヒートアップすれば、こいつらのブレーキは簡単に壊れるだろう。
俺は隣を見た。
朝比奈はそんな周囲の黒い感情には気づかず、ハチマキの余韻の中で、やる気に満ちた顔で前を見据えている。
(負けない! 佐鳥選手があれだけのアシストをしてくれたんだもの。私、ハットトリック決める勢いで頑張る!)
その健気で、あまりに無防備な横顔。
俺は小さく舌打ちをし、ポケットに手を入れた。
「……事故らなきゃいいけどな」
降り注ぐ日差しの下。
熱狂と、若さゆえの悪意が入り混じる球技大会が、幕を開けようとしていた。




