燃え上がれ私の小宇宙(コスモ)ォォッ!
放課後の喧騒が遠のいた時刻。
俺はいつもの河川敷ではなく、校舎裏にあるバスケットゴールの前に立ち尽くしていた。
帰り際、近道のために裏手を通った俺の耳に、聞き覚えのある不協和音が飛び込んできたからだ。
(角度修正! 仰角45度! 初速2メートル毎秒!)
(ああっ、また外れた! なんで!? 計算は完璧だったはずよ!)
(博士! 腕の筋肉が悲鳴を上げています! 乳酸値が危険域です!)
ダムッ……ガアンッ!
ボールがリングの金具に弾かれる無機質な音と、悲痛な脳内会議。
ゴール下で肩で息をしているのは朝比奈七瀬だった。
ジャージ姿の彼女は、乱れたポニーテールもそのままに、鬼気迫る表情でボールを睨みつけている。
(もう一回! 入るまで帰らない! 絶対に佐鳥くんに……みんなに、迷惑はかけられない!)
その思考は悲痛なほど真っ直ぐだ。
クラスでは「完璧」にこなしているように見せていたが、やはり裏ではこうして泥臭い努力を重ねていたわけか。
だが、見ていて痛々しい。焦りすぎて、余計に力が入っているのが素人目にもわかる。
ダムッ……ガアンッ!
ボールがリングの金具に弾かれる無機質な音。
(くっ……! まだだ! まだ終わらんよ!)
(立て! 立つんだ朝比奈! お前のバスケはそんなもんか!)
ゴール下で肩で息をしている朝比奈。
その脳内では、なぜか夕日に向かって走る泥だらけの部員たちと、鬼コーチの怒号が響き渡っていた。
(角度修正! 気合が足りないからボールが逸れるんだ!)
(物理法則なんてねじ伏せろ! 根性値をパラメータに入力!)
(燃えろ……燃え上がれ私の小宇宙ォォッ!)
……コスモって何だよ。バスケやれよ。
彼女は物理演算をしていると言いつつ、うまくいかない焦りを「精神論」で埋めようとして余計に混乱しているらしい。見ていて痛々しいほどだ。
……放っておけばいい。俺はモブだ。
そう思って踵を返そうとしたが、背中から聞こえてくる(お願い……入ってよぉ……)という泣きそうなノイズに、足が止まってしまった。
「……チッ」
俺は近くの自販機で小銭を投入した。ガコンッ、という音が夕暮れに響く。
「――ひゃうっ!?」
朝比奈がカエルのような声を上げて飛び上がった。
ボールを取り落とし、ゴロゴロと俺の足元へ転がってくる。
「さ、さささ、佐鳥くん!? な、なんでここに!?」
(見られたァァァァ!? 汗だく! 化粧崩れてる! 前髪死んでる!)
(緊急遮断! 顔を見ないで! 今日の私は『聖女』じゃなくて『落ち武者』よ!)
脳内で落ち武者姿のミニ朝比奈が逃げ惑っている。
俺は転がってきたボールを拾い上げ、彼女の方へ放った。
「通りがかっただけだ。……ほら」
続けて、さっき買ったばかりの缶コーヒー(微糖)を投げる。
朝比奈はボールを抱えたまま、慌ててそれを受け取った。
「えっ……? こ、これ……」
「根詰めてやるのはいいけどよ。……休憩しないと、入るもんも入らねえだろ」
俺はあくまでついで、という顔で言った。
技術的なことはわからん。だが、今の彼女に必要なのが「正しいフォーム」じゃなくて「一息つく時間」なのはわかる。
「あ……」
朝比奈が呆気にとられたように缶コーヒーを見つめる。
まだ冷たいスチール缶の感触。
その瞬間、彼女の脳内を駆け巡っていた研究員や落ち武者たちが、ピタリと動きを止めた。
(……休憩?)
(佐鳥くんが、買ってくれた?)
(私のために……?)
カシュッ。
俺が自分の分の炭酸を開ける音で、彼女は我に返った。
「……ありがと。佐鳥くん」
朝比奈がプルタブを開け、一口飲む。
ふぅ、と小さく息を吐くと、強張っていた肩の力が抜けていくのが見えた。
「……私ね、頭でしっかり考えないと体が動かなくて」
「だろうな。見ててわかった」
「うっ……。やっぱり、変だった?」
「いや。……必死なのは伝わった」
俺は空を見上げながら、ボソリと言った。
「まあ、あんまり気負うなよ。お前がシュート外したくらいで、誰も文句言わねえよ。ってか、全体練習のときとか上手くできてただろ。あれで十分だ」
「でも……」
「それに、お前なら本番までにはどうにかすんだろ」
根拠はない。ただの気休めだ。
だが、それを聞いた朝比奈の瞳が、大きく揺らいだ。
「――ッ!」
(……信じて、くれてる?)
(私が『できる』って……佐鳥くんが……)
次の瞬間。
俺の脳内に、壮大なオーケストラ……ではなく、力強い応援歌のようなものが流れてきた。
焦燥感も、不安も消え失せ、ただ純粋な「やる気」と「幸福」が満ちていく音。
(できる。……私、できる気がする!)
(佐鳥くんがくれた微糖のコーヒーが、ガソリン(勇気)になった!)
(再計算! 焦りは不要! 今のリラックスした状態を維持!)
「……うん。私、やってみる!」
朝比奈が飲み干した空き缶を置き、再びボールを構えた。
さっきまでのガチガチに力んだフォームではない。どこか力が抜け、自然体に見える。
朝比奈が膝を柔らかく使い、ボールを放った。
美しい放物線を描いたボールは――スパッ、と心地よい音を立ててネットを揺らした。
「あ……! 入った!」
「よかったな」
俺は空になった缶をゴミ箱に投げ入れた。
「じゃあな。頑張れよ」
「あっ、うん! ありがとう、佐鳥くん!」
背後から聞こえる弾んだ声と、幸せそうなピアノの旋律。
俺は手をひらひらと振って、その場を後にした。
……技術的なことは知らんが、まあ、少しはマシになったみたいだな。
あいつの「物理演算」には、どうやら「メンタル補正」ってパラメータが一番重要らしい。




