あーん
カラオケ店を出た俺たちは、空腹を満たすために駅裏のお好み焼き屋『じゅうじゅう』に入った。
鉄板を囲む4人席。俺の目の前には、コテを構えた朝比奈七瀬。
隣には不敵に笑う小山内。そして対面には、なぜかハチマキを巻き直して臨戦態勢の椛島。
「お好み焼き……。それは、具材と生地の調和が生み出す円形の宇宙……!」
(カバディ、カバディ、カバディ!)
「貞治、うるさい。豚肉が逃げます」
カオスだ。俺はウーロン茶を啜りながら、焼き上がるのを待くことにした。
ジュウウウゥッ……!
香ばしい匂いが立ち上る。朝比奈が俺の分の豚玉をじっと見つめている。
その真剣な眼差しは、まるで爆弾処理班――いや、違うな。
彼女の脳内からは、あの国民的な料理番組のテーマソングが聞こえてきていた。
(チャラッチャッチャッチャッチャッチャッ♪)
(司会者朝比奈『さあ、始まりました! 今日の料理は「想い溢れるラブ・ポーク玉」です! 先生、ポイントは?』)
誰だお前。
(先生『はい。一番のポイントは「焼き」ですね。彼のハートを焦がすように、かつ優しく火を通す。これが愛の火力調整です』)
(司会者『なるほど! では、いよいよ「返し(フリップ)」の工程です!』)
朝比奈がコテを両手に持ち、深く呼吸をする。
脳内のスタジオ観覧席が、固唾を呑んで見守っている気配がする。
「……いくわよ」
朝比奈の手首がしなやかに返った。パンッ。
お好み焼きは空中で半回転し、見事に裏返って着地した。形は完璧な真円。焼き目は美しいキツネ色。
「おおっ! 綺麗に返ったな」
「えへへ……。よかったぁ」
俺が褒めると、脳内スタジオが拍手喝采に包まれた。
だが、番組はまだ終わらない。
「朝比奈さん。仕上げのマヨネーズですが……わかってますね?」
小山内が、マヨネーズのボトルを朝比奈に渡しながら囁く。
「えっ? う、うん……」
(司会者『さあ! ここからが本日のハイライト! 「愛のメッセージ」のコーナーです!』)
(先生『網目模様なんて古いですね。ここはストレートに、マヨネーズ文字で「LOVE」と書きましょう』)
やめろ。公共の場の鉄板で文字を書くな。
朝比奈が震える手でボトルを構える。
(先生『コツは躊躇しないこと。愛は勢いです。一筆書きで、大胆に!』)
(司会者『いけるか!? 佐鳥くんへの想いを、白い線に乗せて……!』)
朝比奈は意を決して、ボトルを強く押した。
「えいっ!」
ブチュルッ!
……勢いが良すぎた。
キャップの穴から噴出したマヨネーズは、文字になる前に「白い塊」となって鉄板に叩きつけられた。
「LOVE」どころか、前衛芸術的な爆発跡だ。
「あ」
(先生『ああっとーーー!! 出しすぎたァァァァ!!』)
(司会者『大事故です! 愛が! 愛が重すぎて暴発しました! 放送事故レベルです!』)
(テロップ:※スタッフが美味しくいただきます)
朝比奈が涙目で固まっている。
脳内の料理番組は打ち切り寸前のパニック状態だ。
俺はため息をつき、自分のコテでその白い塊をササッと広げ、全体に馴染ませた。
「……マヨネーズ多めが好きだって、なんでわかった?」
「えっ?」
「ちょうどいい塩梅だ。ありがとう。朝比奈はほんとになんでも上手だな」
俺は切り分けた一片を口に運んだ。
まあ、ちょっと味が濃いが、不味くはない。
(……!)
(先生『な、なんと……! 失敗を「好物」に変えた!?』)
(司会者『佐鳥シェフの神フォローだァァァ! これは三ツ星! 文句なしの三ツ星です!』)
誰がシェフだ。
「あーあ。……でも朝比奈さん、諦めるのはまだ早いですよ」
小山内が自分の皿から、一口サイズのお好み焼きを持ち上げた。
「ほら、貞治。あーん」
「えっ? お, おう! あーん!」
「おら食え」
「熱いぞ南志見! ハフハフ!」
目の前でバカップル(仮)による公開餌付けが行われた。
そして小山内は、眼鏡の奥から鋭い視線を朝比奈に送る。
『次は貴女の番です』と。
(あ, あーん……!?)
(先生『で, では最後に試食タイムです! 彼に直接……』)
朝比奈が震える手で、俺の皿にある切れ端をコテに乗せようと――。
「あ, 俺もう食ったわ。ごちそうさん」
俺は最後のひとかけらを自分の口に放り込み、水を飲み干した。
「えっ」
(番組終了ォォォォォ!!)
(提供バックで朝比奈ちゃんが崩れ落ちています! また来週!)
朝比奈がガーンとショックを受けている。
悪いな。お前の脳内料理番組を聞きながら「あーん」なんてされたら、俺の胃が消化不良を起こす。
俺は伝票を掴んで立ち上がった。
「美味かったよ、朝比奈。……また焼いてくれよ」
「――ッ!」
その一言だけで、彼女の脳内ではまた軽快なテーマソングが流れ始めたようだった。
※※
お好み焼き屋の前で三人と言葉を交わし、解散した。
駅までの道を一人で歩く。
ついさっきまで耳元で鳴り響いていた「カバディ」という連呼や、脳内料理番組のBGMが消え、夜の住宅街には静寂が戻っていた。
だが、どういうわけか、急に耳鳴りのような無音が鼓膜にまとわりついてくる。
あまりにも急に静かになりすぎると、良くない。
他人のくだらない声が聞こえない完全な「無音」は、隙間を埋めるように、俺自身の内側から湧き上がる『過去のノイズ』を呼び覚ましてしまうからだ。
無意識に早足になり、ポケットの中で拳を握りしめた。
嫌な予感がする。
早く帰って、無心で参考書を開くか、サンドバッグを叩かなきゃいけない。
ポスターの端が風に煽られ、ビリビリと震える。
その音が、記憶のさらに深い場所にある扉を叩いた。
――ガソリンの臭い。
――車のトランクの、閉塞感。
――暗闇の中で響く、男の怒号と、殺意のノイズ。
『金にならないなら殺すか』
……警察に保護された時、俺は耳を塞いで蹲っていたらしい。
あのときから、心も聞こえるようになった。
だが、どれが本当の声で、どれが嘘なのか、幼い俺には判別できなかった。
「……ふぅ」
俺は冷たい夜気を吸い込み、肺を満たした。
嫌なことを思い出した。あの騒がしい連中と別れて、急に「音のない世界」に戻った反動かもしれない。
今の俺は、もうあの頃の無力な子供じゃない。
……そういえば。朝比奈七瀬の「騒音」は凄まじいが、そこには不快感はない。
裏にあるのは、まっすぐな懸命さだけ。
「……今さら、思い出しても仕方ないことだしな」
と、俺が夜道で独りごちた、その時だ。
ブヴッ。
ポケットのスマホが短く震えた。画面を見ると、メッセージアプリの通知。
送り主は『朝比奈七瀬』。
『本日は遅くまでありがとうございました。お好み焼き、おいしかったね』
「……普通だな」
さらに画面の左下で『入力中……』の文字が点滅を始めた。
無音の夜道。俺の能力の射程外だ。
だが、消えては現れる『入力中』の文字を見ているだけで、あの脳内スタジオでどれだけの反省会が開かれているか、手に取るように想像できてしまう。
三分が経過した。
ポン、と短い通知音と共に、ようやく投下された追加のメッセージは。
『マヨネーズの件は、美味しく食べてくれてうれしかったです』
という一言と、土下座しているウサギのスタンプ一つだった。
「……真面目か」
さっきまでの、胃の腑が鉛のように重くなるような記憶の残滓が、あの不器用な一文に、一瞬で上書きされていく。
澄ました顔の裏でマヨネーズの軌道を真剣に計算して自爆し、家で一人悶え転がっているであろう同級生。
比べるまでもない。
俺は思わず、声に出して笑っていた。
息が詰まるような静寂に包まれていた夜道に、自分の笑い声が落ちる。
俺はポスターから視線を外し、再び歩き出した。
ポケットの中のスマホの重みが、今は不思議と、悪くない。
もう今日で完結まで一気に投稿します。




