さようなら、尊い推しカプ……。来世でまた会おう……
昨日の鼓膜を破らんばかりのファンファーレが嘘のように。
翌日の放課後の廊下には、どんよりとした空気を放つ奴の姿があった。
前方には、とぼとぼと歩く銀髪の背中がある。
朝比奈七瀬だ。
昨日の図書館での勉強会。
最後には少し機嫌を直していたが、一夜明けて冷静になったのか、今日の彼女の脳内は「反省会」状態だった。
(反省会……反省会……)
(昨日の私は無力でした……。もっとこう、ペンの渡し方ひとつにも『色気』と『母性』を込めるべきだったのでは?)
(議長……もうダメです……。佐鳥くんは私なんて『ただの便利なカバディの通訳』としか思っていないのでは……)
(たしかに、すごいとは褒めてくれたし、それはメチャクチャ嬉しかった。しかし! もともと予定していた『佐鳥くんに勉強教えてイチャイチャ大作戦』は失敗だったと言わざるを得ない。どうすれば、どうすればよかったのだ……)
……めんどくさい。
あんなに褒めてやったのに、なぜそこまでネガティブになれる。
体調でも悪い日か。
俺が声をかけてフォローするべきか迷っていると、朝比奈が曲がり角に差し掛かった。
その時だ。
「……あ」
「……ひゃっ!?」
ドンッ、と軽い衝突音がした。
考え事をしていて前を見ていなかった朝比奈と、分厚い文庫本を読みながら歩いていた小柄な女子生徒がぶつかったのだ。
例のあいつ。
腐った妄想を早口長文で脳内再生することでおなじみの、小山内南志見だ。
「ご、ごめんなさい! 私、ぼーっとしてて……!」
「……いえ、私こそ前方不注意でした。申し訳ありません(早口)」
小山内は慌てて眼鏡を直すと、逃げるようにその場を去ろうとした。
だが、衝撃で彼女の持っていたノートから、一枚のルーズリーフがひらりと舞い落ちたことに気づいていない。
「あ、待って! 何か落ちたわよ!」
朝比奈がそれを拾い上げる。
俺の位置からは見えないが、紙片にはびっしりと文字が書かれているようだ。
親切心でそれを渡そうとした朝比奈の動きが――ピタリ、と止まった。
(……え?)
朝比奈の脳内から、疑問符が浮かぶ。
彼女はその紙に書かれた内容を、凝視していた。
(なにこれ……? 『観測記録』……?)
(『対象:佐鳥観人。傾向:彼は「完璧な聖女」よりも「隙のある等身大の少女」に弱い傾向あり』……?)
(『昨日の図書館における、朝比奈七瀬の失敗要因:押し付けがましさ。推奨ルート:困った顔で上目遣い+袖を掴む』……?)
……おい。
なんだその的確すぎる分析データは。
俺は柱の陰で頭を抱えた。
お前が昨日、偶然図書館にいたのは知っていた。気配を遮断して近くにいたな。
だが、話しかけてくるわけでもないので無視していたが……。
昨日の俺たちのやり取りを、すべてログとして書き起こしていたのか。
「あ、あのっ! そ、それは……!」
気づいた小山内が、顔面蒼白で戻ってきた。
その脳内は、朝比奈とは別のベクトルでパニックを起こしている。
(緊急警報。国家機密が!)
(終わった……。『壁』としての私の人生が……。これで朝比奈さんに『気持ち悪い』と軽蔑され、私は学園の隅で枯れるだけの雑草として処分されるのだ……)
(さようなら、尊い推しカプ……。来世でまた会おう……)
小山内が絶望に震えながら、ルーズリーフをひったくろうとした、その時。
ガシッ!!
「……っ!?」
朝比奈が、小山内の両手を力強く握りしめた。
軽蔑? 怒り? いや、違う。
朝比奈の瞳は、砂漠でオアシスを見つけた遭難者のように、ギラギラと輝いていた。
「す、すごい……!」
(な、なにこの分析力!? 私が欲しかった『答え』が全部書いてある!)
(この人……知ってるの!? 佐鳥くんの攻略法を!?)
(神!? この子は、神の使いなの!?)
(バレたのは問題がある! しかし、このチャンスを生かさない手があろうか。いや、無い!)
「あ、あの……朝比奈、さん……?」
「小山内さんよね!!? 同じ! クラスの!」
「えっ、あ、はい。……そう、ですけど……」
「小山内さん! お願い、私に教えて!」
朝比奈は小山内に詰め寄った。
その勢いに、小山内がのけぞる。
「私、佐鳥くんのことになると、どうしても空回っちゃって……! 自分がどうすればいいのか、わからなくなっちゃうの!」
「は、はあ……(知ってます)」
「でも、あなたには見えてるのよね!? 正解のルートが!」
朝比奈の必死な訴え。
小山内はしばらく呆然としていたが、やがてその分厚い眼鏡の奥で、瞳が怪しく光った。
(……思考ルーチン、再構築)
(朝比奈さんは私を軽蔑していない。それどころか、教えを乞うている?)
(つまり……私は『壁』から、『軍師』へとクラスチェンジする……?)
(……悪くない。いや、最高だ。私の采配で、この尊いカップリングを成就させることができるなら……!)
小山内が、スッと姿勢を正した。
今まで猫背だったのが嘘のように、不敵な笑みを浮かべる。
「……ふっ。いいでしょう。安心してください。推しの恋愛事情を公言するほど無粋なファンではございませぬゆえ」
小山内が、芝居がかった口調で眼鏡を中指で押し上げた。
「貴女のその溢れんばかりの『パッション(暴走)』に、私の『ロジック(妄想)』を組み込めば、佐鳥くん攻略も夢ではありません」
「ほ、本当!?」
「ええ。乗りかかった船です。この小山内南志見、貴女の『参謀』として、その恋路、徹底的にサポートさせていただきます」
「師匠ーーッ!!」
ガシィッ!
と二人は熱い抱擁を交わした。
廊下の真ん中で。
(やったあああ! 攻略本ゲットぉぉぉ!)
(クックック……。見えます、私には見えますよ。二人が結婚式を挙げる未来が……!)
(好き! 佐鳥くん大好き!)
(尊い! 佐鳥×朝比奈尊い!)
……やめろバカ。地獄だ。
感情の爆音を撒き散らす「暴走機関車」と、高速で字幕弾幕を垂れ流す「妄想コンピュータ」が、最悪のドッキングを果たしてしまった。
俺は柱の陰で、深く、深くため息をついた。
これまでは朝比奈一人の騒音を処理していればよかったが、これからは小山内の入れ知恵という新たな変数が加わることになる。
俺の平穏は、ますます遠のいたようだ。




