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男の子、なんだな

 休日の午後。

 俺は不足した参考書と日用品を買い足すため、駅前の商店街を歩いていた。


学校から離れたこの街の雑踏は、適度な環境音に満ちていて悪くない。

 無関係な他人の思考ノイズなんて、耳を傾けなければただの波の音と同じだ。


俺の平穏な休日は、つつがなく進行している。

 ――はずだった。


(M、聞こえるか。こちらダブルオー・ナナセ。駅前通りにてターゲット『サトリ』を発見した)


ダダッダーン、チャララーン。

 脳内にあの有名な、銃身のライフリングを背景にしたスパイ映画のオープニングテーマが響き渡った。


お前本当に古い映画が好きだな。


ミニキャラ化したたくさんの朝比奈が全員トレンチコートを着ている様子がみえるようだ。

 俺は歩みを止めず、舌打ちを噛み殺した。


距離、約十五メートル後方。振り返るまでもない。

 あの透き通るような銀髪のクラスメイト、朝比奈七瀬がいるはずだ。


偶然俺を見かけたのだろうが、その脳内はすでに平時のそれではなくなっていた。


(指示を頼む。こちらからスマートに接触を図るか?)


(ダメだ。休日に偶然会ったからって、ホイホイ声かけたら『ストーカー』だと思われるリスクが80%はある。ここは英国秘密情報部(MI6)の名にかけて、情報を集めるのが先決だ)


(静まれ!『偶然を装った完璧な遭遇』を演出するための諜報活動だ! ターゲットの目的地を特定し先回り、そのうえでボンドガールのごとく魅力的に本を落とすミッションに移行する! 追跡開始!)


了解ラジャー! アストンマーティンの用意はないのか!? ないなら仕方ない、Qから支給された特殊ガジェット【スマホ】で記録しつつ、ステルス・モード(電柱の影)を展開します!)


……アストンマーティンってなんだよ、お前免許持ってないだろ。

 そもそもボンドガール気取りなら、スパイは俺の方じゃないのか。


俺の背後から、コソコソと、しかし脳内は爆音の「007ごっこ」がついてくる。


振り返って「何やってるんだ」と声をかければ、彼女の脳内は(見つかったァァァ! 殺しのライセンス剥奪ゥ!)という絶望のサイレンで埋め尽くされ、明日の学校では今日の失敗をまとめるスパイの音声レポートを聞かされ続けるのは火を見るより明らかだ。


無視して歩くしかないが、背後からずっと(ターゲット、信号待ち!)(右よし、左よし! オメガの時計で時刻を確認!)といちいち実況されるのは気が狂いそうになる。


俺の能力の有効半径である約二十メートルの境界線上を、彼女は絶妙な距離感でウロチョロしているらしい。音が大きくなったり、ノイズが途切れたりを繰り返している。


声をかけてくれれば、適当にあしらうなりして終わらせられるが、彼女の完璧主義と臆病さがそれを許さないのだろう。


結果として、俺は背後からずっと(佐鳥くんの歩幅尊い)(後頭部の寝癖可愛い)という限界オタクの実況を聞かされながら歩く羽目になっている。


スパイどこいった。


俺はため息をつき、わざと歩くペースを落として、通り沿いのショーウィンドウに視線を向けた。

 ガラス越しに背後の様子を確認する。


……いた。


休日の商店街で、明らかに浮いている美少女が、持っていたファッション誌で顔の半分を隠し、電柱から電柱へとシャカシャカと素早いサイドステップで移動している。


スパイというより、完全に不審者だ。


(距離3メートル! 完璧なステルス! 私、MI6のエースになれるかもしれない!)


戻ってきたところ悪いが、今すぐロンドンに帰ってくれ。

 俺はショーウィンドウ越しに見えるポンコツな動きに呆れ果て、ウンザリしながら歩みを早めた。


(ターゲット、ペース上がりました! 見失うな、急げ!)


(BGM、もっと緊迫感のあるやつに変えて!)


(ダダッ、ダダッ、ダダッ……ぱらーん♪)


頭が痛い。

 朝比奈の脳内スパイBGMがクライマックスに差し掛かり、俺の精神をガンガン削ってくる。


これ以上この茶番に付き合っていたら、俺の休日が完全に崩壊する。


どこかに逃げ込める場所はないか。

 そう思って周囲を見渡した時、前方から「救いの音」が聞こえてきた。


(カバディ……カバディ……カバディ……!)


一定のリズム、地を這うような重低音のチャンティング。

 人混みの中から現れたのは、休日の昼間からジャージ姿でタオルを首に巻いた巨漢――椛島貞治だった。


俺は顔を上げた。

 休日の商店街には全く似合わない、熱気と汗を撒き散らしながら走ってくる椛島の姿があった。


ロードワーク中の彼は、すれ違う人々の視線をものともせず、ただひたすらに己の肉体とカバディに向き合っている。


俺は瞬時に計算した。

 背後からは朝比奈のピンク色の騒音。前方からは椛島のホワイトノイズ。


このまま一人で歩き続ければ、俺は休日を朝比奈の『クソデカ感情実況』に支配されることになる。だが、あいつの隣にいれば。


「……椛島」


「やあ! 佐鳥くんじゃないか! 奇遇だね!」


俺が声をかけると、椛島は太陽のような笑顔を向けた。

 背後で、スパイが(しまっ……! 第三勢力の介入!?)と慌てている音が聞こえる。


「お前、今からどこ行くんだ」


「隣町の公園さ! カバディのステップワークの自主練をね!」


「……俺も、少し体を動かしたかったんだ。付き合ってもいいか」


普段なら絶対に言わないセリフ。

 だが、今の俺にはこの「移動式サンクチュアリ」が必要不可欠である。


「本当かいッ!?」


椛島の目が、獲物を見つけた猛禽類のようにカッと見開かれた。


「もちろん大歓迎さ! 佐鳥くんなら、いつかこの魂の鼓動に共鳴してくれると信じていたよ!」


右隣からは、椛島の(カバディ! カバディ! カバディ!)という力強いチャンティング。


その重低音が見えない防音壁となり、後方からの(ターゲットが連れ去られた! 追跡を続行する!)という朝比奈の騒音を見事に上書きしていく。


計画通り。


俺は椛島と並んで歩きながら、内心でほくそ笑んだ。

 これで朝比奈はただの尾行者として茂みに潜むことしかできなくなる。


駅から少し離れた、市営の広い公園。

 ここなら学校の連中に見られる心配もない。


「よし、それじゃあ基本的な動きから説明するよ!」


椛島が嬉々としてコートのライン代わりの線を足で引く。


「僕が『レイダー(攻撃手)』として攻め込む。佐鳥くんは『アンティ(守備)』だ。僕が佐鳥くんにタッチして、自分の陣地に戻れば僕の勝ち。佐鳥くんは、僕のタッチを躱すか、僕を捕まえて自陣に帰さなければ勝ちだ」


「わかった。……捕まえるのは無理そうだから、躱す方に専念する」


「ははは! いい心がけだ! カバディは鬼ごっこと格闘技の融合だからね! でもその前に、まずは準備運動だ!」


準備運動をしていると、遠くの方からまた声が聞こえてきた。


(はぁ……はぁ……。二人とも、足、速すぎる……。げほっ……ごほっ……)


追いついてきたのか。純粋に疲れている様子だ。

 走り出した椛島に俺も合わせたわけだが、よく追いついてこれたなと素直に感心する。しかし何故そんなに無理をする。


とはいえ、まだ声が聞こえる範囲である以上、しばし椛島に付き合う必要がある。


「さあ、そろそろやろうか! 一対一だ!」


「わかった。んじゃ……」


いつものように、適当に手を抜いてやりすごす……と思いかけ、ふと気づく。


椛島は俺が隠していることに何となく気が付いているし、それを言いふらすヤツじゃない。それに、無駄にキラキラした瞳を前にすると、こちらの都合で利用しているうえに適当に流すのは悪い気がしてしまう。


「いくよ! 佐鳥くん!」


さっきまでの気のいい大型犬のような雰囲気が消え失せ、椛島からは飢えた獣のようなプレッシャーが放たれた。


まあ、たまにはいいか。


「ああ。……来い」


俺は軽くステップを踏み始めた。

 さて、まずはセオリー通りに相手の考えを……。


(カバディ、カバディ、カバディ……!)


そうだった、と今更気づく。

 姿勢を低くし、俺の陣地へと踏み込んでくる椛島は、この世で唯一俺の能力が通じない相手だ。


普段、俺は他人の思考ノイズを聞くことで動きを「先読み」できる。だが、椛島にはそれが全く通用しない。こいつの脳内には「カバディ」という単語しかないからだ。


右に動くのか、左にフェイントをかけるのか、思考の漏れが一切ない。

 純粋な、フィジカルと反射神経だけの勝負。悪くない。


ダッ、と芝生を蹴る音がした瞬間、椛島の巨体が弾丸のように迫ってきた。


速い。巨体に似合わない俊敏さだ。

 俺は思考を読むのを諦め、純粋な動体視力とステップだけで、椛島の恐るべきタックルをギリギリで躱す。


スッ、と空を切る椛島の手。

 俺は反撃はせず、ひたすら最小限の動きで彼の猛攻を避け続けた。


「おっ!? すごいな佐鳥くん! ならこれはどうだ!」


椛島の動きがさらに加速する。

 一方、その頃。公園の植え込みの陰からは。


(なぜカバディ!? 佐鳥くんらしからぬ行い!)


最初は混乱していた朝比奈だったが、次第にその声は別の色を帯びだした。


(……えっ? 佐鳥くん、動きヤバくない?)


(椛島くんの本気のタックルを、全部避けてる……!)


(待って、汗ばんだ首筋……! ステップを踏むたびにシャツがめくれて、腹筋がチラッと……! 男らしくスポーツを楽しむいつもとは違う顔つき!)


朝比奈の脳内議会が、スパイ映画から完全に別方向のパニックを起こし始めた。


(議長! 緊急事態です! 佐鳥くんの色気が致死量を超えています!)


(私、今すぐあの汗を拭くタオル係に就任したい! むしろ私がタオルになりたい!)


(写真! 写真撮っていい!? 目に焼き付けるだけじゃ足りない!)


(それはさすがに犯罪!)


幼女だからって犯罪はダメだぞ。


「気を抜いちゃダメだよ! 佐鳥くん! カバディ! カバディ!」


迫った剛腕を間一髪のダッキングで避ける。

 だめだ、あの聖女様の騒音に気を取られたらやられる。それは……、ちょっとばかり面白くないな。


幸い、この距離ならギリギリ無視できる範囲だ。ここはカバディに集中するとしよう。


※※


それから、数分ほどはこの謎の、しかし意外とハードなスポーツに興じた。


「はぁ……はぁ……。佐鳥くん、君、やっぱりすごいよ! 完全に僕の動きが見切られていた!」


「……椛島こそ、さすがだ」


激しい運動を終え、俺と椛島は芝生に座り込んでスポーツドリンクを煽っていた。

 心臓がバクバクと鳴っている。けれど不思議と頭の中はクリアだった。


「……あ」


ふと気づく。

 集中していたせいでわからなかったが、いつの間にか朝比奈の心の声が、騒がしいものから穏やかなものに変わっていた。


(今日は、声をかけなくても正解だったかも)


ほう。そう思うが、今後もそうしてくれ。


(佐鳥くんのあんな横顔が見られたんだもんね)


どんな横顔だやめろ。


(ふふっ、男の子、なんだな)


「………なんだそりゃ」


つい、心の声に応えてしまった。


「? どうしたんだい? 佐鳥くん? 少し顔が赤いようだけど、疲れたかい?」


「疲れてねぇよ」


椛島の質問を即座に否定し、スポーツドリンクをゴミ箱に投げ捨てた。

 そういえば今日は結局朝比奈本人と会っていないし、話もしていない。そのわりに影響力がでかい。


(今日は、邪魔できないよね。帰ろっと)


おう帰れ帰れ。

 それにしても、直接顔も合わせてないのに、この存在感。


いよいよ本格的に、俺はあの聖女様ってやつが恐ろしくなってきた。

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魂の鼓動音はカバディ
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