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世界は何故私をおいつめるのか

一時間目が終わった瞬間。俺は逃げるように教室を出た。というか、実際逃げた。背中には、隣の席からの(休み時間! なにか小粋なジョークでも飛ばして佐鳥くんと会話を……! どうする? やっぱり定番のアメリカンジョーク? へいマイク! お前のカミサンが……ああっ! どっかに行ってしまう!)という会議が突き刺さったが、無視だ。


教室を出るとすぐに、クラスの男子数人に囲まれた。これはよくあるパターンである。『聖女様』の隣の席というだけで、俺は定期的にこうして事情聴取を受ける。


「なぁ佐鳥。さっき授業中、朝比奈さんと話してたよな?」

「教科書貸してたろ。何か言ってたか? いい匂いした?」


 興味津々の男子たち。彼らの脳内は『羨ましい』『抜け駆けか?』という嫉妬と好奇心で騒がしい。

まともに相手をすれば「調子に乗ってる」とヘイトを買うし、無視すればと角が立つ。 だから俺は、いつもの無害なモブ用の定型文を繰り出す。


「いや……教科書忘れたみたいだったから貸しただけだ。お礼言われたけど、それだけ」

「えー? もっとこう、会話とかねーの?」

「ないな。俺みたいなのと話しても盛り上がらないだろ。……あ、俺トイレ」


 俺はあくまで感情のない事務的な返答と卑下を混ぜて、相手の興味を削ぐ。暖簾に腕押し。こいつと話してもつまらない。そう思わせれば勝ちだ。


俺は高校でも、クラスでも、できれば透明人間でいたい。透明にはなれないので、存在感を極限まで消す。


「……ちぇっ、つまんねーの」

「ま、佐鳥だしな。朝比奈さんも、隣があいつじゃ張り合いないだろ」


 彼らはすぐに興味を失い、去っていった。これでいい。

 ただ——その「つまらない奴」へのアプローチのために聖女様が日々大音量会議を開催している事実を、彼らは知る由もないが。


 廊下の喧騒に紛れながら、俺は小さく息を吐く。 ……こうして俺の日常(騒音対策)を見ていると、疑問に思う奴もいるかもしれない。「朝比奈の心が騒音として聞こえて辛いなら、徹底的に無視して距離を取ればいいじゃないか」と。


 もっともな意見にみえる。俺も最初はそう思ったし、当然試みた。だがそれは間違いだったのだ。


四月の入学当初。俺は「平穏」を愛する身として、隣の席の「学園の至宝」とは一切関わらない方針を固めていた。初対面のときから何故好意を持たれているのかさっぱりわからなかったが、とりあえず必要以上に近づかないよう決めたのだ。


だが、その結果がどうなったか。

 四月の雨の日。俺が彼女の挨拶をそっけなく無視し、視線すら合わせずに過ごした日のことだ。


(嫌われた……)

(私、何かした? もしかして生理的に無理とかそういうあれ?)

(世界は何故私をおいつめるのか)

(こんな思いをするなら花や草に生まれたかった)

(あばばばばば)

(失恋系のラブソングの歌詞が無限に)

(おかーーさーん!)

(会いたくて震える)


 とか、思い返しても気が重くなるような絶望の嘆きが、やたら詩的な表現を混ぜ込みつつもリフレインされた。ずっとである。


 表向きは淑女の微笑みのまま。学園の聖女の脳内は「悲劇のヒロイン」モードに突入し、思考ノイズは鼓膜を引き裂くような悲痛な叫びへと変貌したというわけだ。


ただでさえうるさい会議が悲鳴と嘆きと失恋ソングの嵐になったのだ。それも、感情の高ぶりによるものか、物理的に距離をとっても、遠くからでも大音量で。


俺の能力の基本的な有効距離20メートルを、遥かに超えていたと思う。

俺は頭痛で気絶して保健室に運ばれた。

もう二度とごめんだ。それくらいきつかった。


つまり、だ。この「隣の席」において、ひいてはこの高校の中にいる限り、逃走は不可能。無視、または拒否をすれば、彼女の脳内は「絶望」と化し、俺の平穏は死ぬ。かといって普通に取り合えば「恋の作戦会議と実況」で俺の精神が削られる。


 完全に詰みだ。どちらに転んでも、俺の安眠は妨害される。


 ならば——俺に残された道は一つしかない。不快な騒音を鎮圧する。

それも最短手順で、だ。彼女が思考の迷路と感情の暴走で大騒ぎする前に、俺が先回りして「正解」を与え、脳内会議を強制終了させるのだ。そうすれば騒音は消えて例の環境音へ変わる。


と、いうわけだ。やればやるほど自分の首を絞めているような気がしないでもないが、これ以外やりようがないのである。



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