太陽に吠えるな
翌日の放課後。
俺は実行委員の打ち合わせのため、少し重い足取りで教室へ向かっていた。
昨日の雨の日の「相合傘」の一件以来、朝比奈の脳内BGMは常にミュージカル調だ。今日もあのハイテンションに付き合うのかと思うと、胃が痛くなる。
だが、教室の手前で、俺は足を止めた。
廊下の窓際。朝比奈七瀬が、数人の女子生徒に囲まれていたからだ。
うちの制服だが、着崩し方が派手だ。隣の2組の連中だろう。カースト上位特有の、独特の威圧感がある。
「ねー朝比奈ちゃん、今回の球技大会のTシャツさー、うちらのデザインも見てくんない?」
「なんかー、実行委員の権限で予算とったりとかできないわけ?」
猫なで声。
表向きは、クラスの垣根を超えて頼ってくる友好的な態度だ。
朝比奈もまた、完璧な角度で小首を傾げ、聖女の微笑みを浮かべている。
「ええ、もちろん構わないわ。ただ、最終決定は先生だから、意見として伝えておくことしかできないけれど……」
(2組の……高橋さんたち? Tシャツのデザイン? 権限なんてないけど、無下に断って「冷たい」と思われるのはNG! ここは『善処します』の精神で!)
朝比奈の脳内会議は、今日も平和に「八方美人の演じ方」を議論している。
だが。俺の鼓膜には、それとは別の、粘着質なノイズがへばりついてきた。
(チッ。すましてんじゃねーよ、いい子ぶりっ子が)
(顔だけ良くて中身空っぽのくせに、先生に媚び売って点数稼ぎかよ)
(ムカつくわー。球技大会、同じブロックだっけ? 試合中、ちょっと「事故」って泣かしてやろっかな。顔面にパスぶつけるとかさ)
――なんだ、そりゃ。
俺は眉をひそめた。
単なる陰口じゃない。「泣かせたい」「事故に見せかけてやる」という、明確な悪意。当人は悪意とすら認識していない、遊び半分の加害欲求だ。
朝比奈は気づいていない。あいつは多分、というか、俺以外の人間はほぼ全員が、他人からの理不尽な悪意には鈍感だ。
ああいう連中には、俺も嫌というほど覚えがある。いかに朝比奈が完璧に振る舞っていても、非がなくても、関係ないのだ。目立った時点で発生は不可避である。
こいつらの心の声は、音量は小さいが、まるで排水溝の底のような腐臭がする。
「……チッ」
俺は小さく舌打ちをし、わざと足音を立てて近づいた。
俺の気配に気づいた2組の連中は、「あ、実行委員の相方来たじゃん」「行こーぜ」と、ヒラヒラ手を振って去っていった。
すれ違いざま、(陰キャがよぉ……)という捨て台詞を残して。
「あ、佐鳥くん! お疲れ様!」
朝比奈がパァッと顔を輝かせる。脳内では
(キタァァァ! 佐鳥くん登場! タイミング神! これは運命の赤い糸!?)
とファンファーレが鳴り響いている。
……幸せな奴だ。
だが、俺の胸には、さっきのドブのようなノイズが、小さな棘のように残っていた。
※※
(捜査一課より入電! ターゲット佐鳥くん、帰宅の気配あり! 現場の状況はどうだ!)
少しだけ日常化してきた実行委員の作業が一段落したところで、隣の席の人の脳内はまたぞろ騒ぎ出した。
(こちら現場の朝比奈刑事! ターゲットとの距離、50センチ! しかし……「連絡先」という重要証拠を確保する口実がありません!)
(クソッ! このままみすみすホシを逃がすつもりか! 指名手配〈片想い〉してもうどれくらいたつと思ってるんだ!)
(係長! 強行突入〈直球で聞く〉を具申します!)
(バカヤロウ! そんなことして「重い女」だとバレたら、懲戒免職だぞ! 慎重にいけ、慎重に!)
(放課後二人で話すことができるようになって数日……。今日こそは、今日こそは星をあげるんだ!)
俺の隣で澄まして座っている朝比奈七瀬の脳内は、昭和の刑事ドラマのクライマックスみたいになっていた。
朝比奈本体は、何も言わずにチラチラと俺のスマホを見ている。どうやら俺を重要参考人としてマークしているらしいが、その視線は不審者そのものだ。
……うるせえ。誰がホシだ。
このままじゃ、彼女の脳内捜査本部は「カツ丼(差し入れ)作戦」か「自白の強要(涙目で見つめる)」に移行しかねない。俺の平穏な放課後が、サスペンス劇場になるのは御免だ。
「……朝比奈」
俺はため息を殺し、ポケットからスマホを取り出した。
(ッ!? ターゲットが動いた! ポケットに手を)
「……例の、球技大会のクラスTシャツのデザイン、家でも集計して検討するんだろ。進捗を報告し合う必要があるし、注文する店とかも決めないといけないだろ……ほら」
俺は無造作にQRコードを表示し、彼女の目の前に突き出した。
「これ。読み取れ。……いちいち学校で張り込み……じゃなくて、会議するより効率的だろ」
「……っ!」
朝比奈は一瞬、銃を突きつけられたかのように目を丸くして固まった。
だが、その意味を理解した瞬間――。
((((((((((自首したああああああああああああ!!))))))))))
脳内の捜査本部が、歓喜の嵐に包まれた。
(重要証拠、確保ォォォ!! ホシ自ら連絡先を差し出しました!)
(勝利! 我々の完全勝利だ! 今夜は祝杯だ! 赤飯を炊けぇぇ!)
(ボス! このID、家宝に指定してもよろしいでしょうかッ!)
(ちゃらら~ららら~らららららーら♪)
太陽にほえるな。
前から思ってたけど、お前、多分父親とか祖父とかの趣味にかなりつきあってるだろ。
「……朝比奈。手が止まってるぞ」
「あ、え、そうね! 業務連絡ですものね、効率的でいいと思うわ! ええ、とっても!」
必死で「聖女」の仮面を取り繕いながら、震える手でスマホをかざす朝比奈。
無事にIDを交換し終えると、彼女の脳内では名探偵な国民的アニメの次回予告BGMが流れ出した。
「……じゃあ、後で店をピックアップして送る。……じゃあな」
これ以上この爆音の中にいたら、俺の脳が焼き切れる。
例によって俺はさっさと逃げた。




