頼むから、黙って座っててくれ
久しぶりの投稿です。もう完結まで書いていて、これから毎日投稿しますので、良ければ読んでやってください。
他人の心が読めたら、なんて妄想は誰しも一度はするだろう。
もしそれが実現したら「人間の醜い悪意に絶望する」のがフィクションのお約束だ 。
実際、俺にも覚えはある。
だが今にして思えば、隠されている悪意なんてものは、隠そうとする分だけ案外静かだし、慣れるものだ 。
俺の耳――正確には脳――には、時折他人の心の「ノイズ」が混じる 。
四六時中聞こえるわけではないが、相手の感情が昂ったり思考が激しく回転している時、その「心の声」は物理的な騒音となって俺の脳髄を揺らす 。
「……はぁ」
ため息をつきながら、俺は新学期の教室で自分の席に腰かけた 。
窓際、後ろから二番目。席順としては悪くない 。
問題は、その「隣」だ。
今、俺の愛する『平穏』を根底から破壊してくるのは、悪意ではなく――特大の「好意」だった 。
「お、おはよう。佐鳥くん」
凛とした、涼やかな声 。
朝比奈七瀬。銀髪に陶磁器のような白い肌を持つ彼女は、学園で「聖女」と崇められる高嶺の花だ 。
彼女が登校しただけでクラスのざわめきが消え、男子全員の視線が磁石のように吸い寄せられる 。
隙のない、まさに完璧な聖女様だ 。
――そう、外見だけなら。
(ぎゃああああああああああああ! 近い近い近い! 佐鳥くんとの距離、推定60センチ! 鼓動が聞こえる距離です! 警戒レベル5!)
……うるせえ 。
彼女が席についた瞬間、俺の脳内に直接、大音量が鳴り響いた 。
(議長! 今佐鳥くんと目が合いました! 不自然じゃなかったですか!? 今の挨拶、昨晩練習した角度30度の「微笑み」を放ちましたが、結果は!)
(ダメだ。わずかに硬さがあった! あと緊張のあまりちょっと嚙んでいた! 失策だったやもしれん……!)
(佐鳥くん、なんか顔しかめてますよぉ? 感じ悪い……って思われたんじゃないですか……? ど、どうしよう……)
(緊急会議! 緊急会議ーッ! 直ちに「プランB:消しゴムを落として拾ってもらう」への移行を提案します!)
驚くべきことに、この一連のやりとりは、隣で澄ましている朝比奈七瀬一人の脳内で行われている 。
それも、スーパーコンピュータ並みの速度で 。
俺の脳裏には、二頭身になったミニサイズの七瀬たちが、脳内国会議事堂でテーブルを叩いて議論している映像がありありと浮かんでいた 。
……頼むから、黙って座っててくれ 。
彼女は「完璧」であるために、脳内で凄まじい高速演算を繰り返している「努力の化け物」だ 。
その努力は認めるし、尊敬もする。
だが、うるさすぎる 。
しかも、理由はわからないが――彼女は俺のことを『好き』なのだ 。
(警報! 警報! 全部隊に緊急警報発令!)
(ない! ありません! 教科書を忘れた……昨晩、佐鳥くんへの挨拶の練習に熱中するあまり、机に置きっぱなしにしている模様です! メーデー!)
隣の聖女様は、顔色ひとつ変えずに澄ましている 。
だが、その脳内はパニック映画の司令室さながらの阿鼻叫喚だ 。
(司令官! 対策を具申します! 隣の佐鳥くんに見せてもらう案はどうですか!?)
(バカ言うな! ドジな女と思われるのが恥ずかしいだろうが!)
(いや……作戦概要を確認。「あれ? 教科書ないなぁ」と困ったフリをして助けを求める。その際、机をくっつけて物理的距離をゼロにする……)
(肩と肩が触れ合う確率は一二〇%! 上目遣いコンボが決まれば、佐鳥くんとゼクシィを一緒に読む姿が見えます!)
ゼクシィはやめろ 。
極端なんだよ、思考回路が 。
このままだと授業中ずっと、パニック映画の爆音を聞かされることになる 。
(いきますよ……話しかけますよ……! 3、2、1……!)
「あの、佐鳥くん……」
朝比奈がおずおずと、上目遣いで俺を見た 。
逆光に透ける銀髪が天使の輪のように輝き、確かに破壊力は抜群だ 。
だが、俺には通じない 。
彼女の脳内スクリーンでは、紅白ハチマキのミニ七瀬たちが「机の結合準備よし! 衝撃に備えよ!」とシュプレヒコールを上げているのだから 。
「……なに?」
「あ、あの……だからね……その……」
その割に、言葉が続かない 。
教科書を見せてくれと言う勇気を出すための「脳内会議」が終わっていないらしい 。
その間も、俺の脳内は騒音で満たされている。……頭が痛い 。
「……はーっ……」
仕方ない、今日もやるか 。
これは人助けではない。騒音対策だ 。
俺は無言で教科書を掴むと、彼女の机にスライドさせた 。
その際、意図せず指先が触れ合う 。
「ひゃうっ!」
(接触! 接触しました! 電流が走りました!)
「やるよ。俺、寝るから要らない」
「あ、あの、でも……」
「おやすみ」
俺はそれだけ言って、腕を枕に顔を伏せた 。
これでいい。彼女のパニックは収束し、俺には平穏が訪れる 。
かに思われたが。
(きゃあああああああああああっ!!)
(か、神! 隣の席に神が座っていました! 見て今のスマートな動き!)
(『寝るからいい』って、私に気を使わせないための嘘まで! 不器用な優しさ尊い! 無理!)
(好感度がストップ高です! 議長! 心拍数が異常上昇! 耳まで赤くなっています!)
「ふふっ」
隣から漏れた小さな声と共に、ようやく脳内は静かになった 。
無音ではない。耳に心地よい、ヒーリングミュージックのような幸せなメロディが流れてくる 。
感情が思考を超越したときにだけ訪れる、この「平穏状態」に導くことこそが、俺のミッションだ 。
さて、心置きなく寝るとしよう 。
薄目で見た朝比奈は、桜色に染まった頬で、愛しそうに教科書を開いていた 。
「……すき」
唇の動きで、彼女がそう言ったのがわかる 。
……ほんの少しだけ、俺ですらドキッとしてしまうが。
俺は寝不足なのだ。だから寝る 。
これは、一見ラブコメに見えるかもしれない、俺の騒音対策の物語だ 。




