第9話:皇帝陛下から「国の一等地をあげる」と言われました。
噴水の「掃除」から数日。
アイゼンガルド帝国の空気は、
驚くほど澄み渡っていた。
精霊龍とかいう大きなトカゲ……じゃなくて、
守護神様が頑張ってくれているおかげで、
街中の空気がマイナスイオンたっぷり、
という感じだ。
「……はぁ。お風呂上がりの牛乳が、染みるぅ」
私は帝宮の庭園にある、
私専用に設えられた離宮の縁側に座り、
足をぶらぶらさせていた。
ここには、「理想の縁側」がある。
私の好みを120%反映されている。
アレックスさんが作ったのだ。
日当たり良好、
目の前には手入れの行き届いた緑、
そしてすぐ隣には、
いつでも入れる貸切露天風呂。
「地下室で魔石の粉にまみれて、
おにぎり食べてたのになぁ……」
そんな平和な時間を過ごしていると、
向こうから金ピカの重厚なマントをなびかせ、
皇帝陛下が、
これまたアレックスさんと一緒に、
ものすごい勢いで歩いてきた。
「ティナ殿! 探したぞ!」
「あ、皇帝陛下。こんにちは。お茶飲みますか?
出がらしですけど」
私がのんびり挨拶すると、
皇帝陛下はガタッと、
膝をつかんばかりの勢いで私の前に立った。
「出がらしなどと言わんでくれ!
龍を呼び戻した貴殿の淹れた茶など、
もはや聖水ではないか!
……いや、そんなことよりだ。
例の件、返事を聞かせてほしい」
「例の件?」
「帝都中央の一等地に建つ、白亜の公爵邸の件だ!
庭園には魔力の湧き出る泉があり、
壁は全て防音、使用人は百人用意した!
さあ、いつ引っ越す?」
私は、ストローで牛乳を飲み干し、
首を横に振った。
「あんな広い家、掃除が大変じゃないですか。
ルンバ……じゃなくて、
自動掃除の魔法を組み込むにしても、
広すぎると魔力の無駄ですよ」
「そ、掃除は使用人がやる!
貴殿は何もしなくていいのだ!」
「何もしないのは、かえって落ち着かないんです。
私は、この縁側で日向ぼっこして、
気が向いた時にちょっと魔導書の整理をする、
今の生活が一番気に入ってますから」
私の答えを聞いて、
皇帝陛下はガックリと肩を落とした。
「……信じられん。
国の予算を半分投じてもいいと言っているのに、
この無欲さ……。アレクシオス、
お前の言った通りだったな」
アレックスさんは、少しだけ誇らしげに、
けれど困ったように笑って私の隣に腰を下ろす。
「兄上。ティナは地位や名誉で動くような、
浅ましい人間ではないのです。
彼女が望むのは、ただの『平穏』。
……私との時間だけだと、思っていましたが」
「ええ、そうですよ! アレックスさんと一緒に、
新しい温泉の効能を調べる時が一番楽しいです」
私がそう言うと、
アレックスさんの耳のあたりが少し赤くなった。
彼は私の手を取り、その指先にそっと唇を寄せた。
「……ティナ。君がそう言ってくれるなら、
私はこの身を賭して、君の縁側を守り抜こう。
……たとえ、西の果てから、
狂った王太子が軍を率いて来ようとも」
「えっ、カイル様が?
なんでまたそんな面倒なことを」
「……何、ただの『迷惑な客』だ。
入国審査で弾いておいたから気にするな。君は、
次のスコーンが焼き上がるまで寝ていればいい」
「そうですか。それなら安心ですね!」
私はアレックスさんの肩に頭を預けた。
彼の鎧から伝わる冷ややかな感覚と、
太陽の暖かさが混ざり合い、
また眠気が襲ってくる。
その頃、アイゼンガルドの国境付近。
かつての栄華を失い、
ボロボロになった騎士服を纏うカイル王太子が、
門衛の前で絶叫していた。
「開けろ! 私は隣国の王太子だぞ!
そこにいる私の婚約者……、
ティファーニアに会わせろ!」
「……隣国の?
悪いが、我が国に届いている『ブラックリスト』
の一番上に、あなたの名前があるんでね。
不審者は即刻、強制送還だ」
「何だと!? 私は彼女を助けに来たんだ!
無能な彼女が、
この国で虐げられているに違いないから……!」
門衛は、カイルの背後にある、
「滅びかけて魔物の煙が上がっている彼の国」
を憐れみの目で見つめ、
それから、
帝都の空を優雅に舞う精霊龍の影を見上げた。
「……虐げられてる、ねぇ。あの方は今、
我が国の『守護女神』として、下手をすれば、
皇帝陛下よりも大切に扱われてるよ。
あんたのところの冷えたスープとは、
格が違うんだ」
「女神……? ティファーニアが……?」
カイルが愕然とする中、
アイゼンガルドの精鋭騎士団が彼を取り囲んだ。
「さあ、お帰りください、お客様。……いや、
もう帰る国も、まもなく無くなるようですが」
カイルは、自分が「無能」と切り捨てた少女が、
世界を救う鍵だったことにようやく気づき、
その場で泣き崩れた。
だが、その涙がティナに届くことはない。
彼女は今、世界で一番ふかふかの枕に顔を埋めて、
幸せな「有給休暇」の夢を見ているのだから。




