第8話:街の噴水を掃除したら、古代の守護神が目覚めました。
「わあ……アレックスさん、見てください!
噴水の水が、ちょろちょろとしか出てませんよ。
これじゃあ、せっかくの広場が台無しです」
快晴の午後。
私はアレックスさんと一緒に、
帝都の中央広場へとやってきた。
ここは市民の憩いの場のはずだけれど、
中心にある巨大な石造りの噴水は、
まるで枯れかけた井戸のように元気がなかった。
「ああ。この『双龍の噴水』は帝国の象徴だが、
数世紀前から水圧が落ち、今ではこの有様だ。
魔導技師たちも、
構造が複雑すぎて手が出せないと言っていた」
「構造が複雑?」
私は噴水の縁に腰を下ろし、水の中に手を浸す。
冷たい水が指先を通り抜ける。
けれど、その奥に流れる魔力の振動は、
まるで血管が詰まった患者のように、
苦しげにドクドクと脈打っていた。
(……あー、やっぱり。
ここ、前世で言うところの、
『キャッシュの溜まりすぎ』だわ)
「よし、ちょっと失礼しますね。よいしょっと」
私は人差し指の先から、
ほんの少しだけ魔力を流し込んだ。
魔法を唱えるまでもない。
流路にこびりついた古い魔力の残渣を、
高圧洗浄機で一気に押し流すイメージで、
魔力の塊を「トン」と突いただけだ。
パァン!
と、水底で何かが弾けるような音が響いた。
直後、地面が微かに揺れ、
噴水の中心部から巨大な水柱が空高く噴き上がる。
「うわぁ! 想像以上に勢いが出ちゃいました!」
「……ティナ! 下がれ!」
アレックスが私の肩を抱いて引き寄せる。
けれど、噴き出したのはただの水ではなかった。
水柱は空中で形を変え……、
透き通った二頭の龍の姿へと形作られていく。
「……何代ぶりか。
この『詰まり』を解消した無欲な魂よ」
ゴォォォォ、
と地響きのような声が広場に響き渡った。
水から生まれた二頭の龍が、空を旋回しながら、
私とアレックスを見下ろしている。
「……精霊龍。建国神話に語られる、
帝国の守護神か」
アレックスが珍しく驚愕に目を見開いている。
周囲の市民たちは、腰を抜かしたり、
祈りを捧げたりと大騒ぎだ。
「守護神? ……あ、すみません、
お昼寝の邪魔しちゃいましたか?
排水溝を、ちょっと掃除しただけなんですけど」
私は、空に浮かぶ大きな龍に会釈した。
龍の一頭が、私の目の前まで降りてきて、
その長い髭を私の頬に擦り寄せた。
「……掃除、か。人の身で、
我が核に溜まった数百年分の負念を、
『掃除』と言ってのけるか。
愉快な娘だ。礼として、この地の水と大気を、
永遠に清浄に保つことを約束しよう」
2頭の龍は輝く水の粒子を振りまきながら、
再び噴水の中へと吸い込まれていった。
後に残ったのは、
以前の百倍はあろうかという勢いで、
清らかな水を噴き上げ続ける美しい大噴水――。
「……おい、ティナ」
アレックスが、額を押さえて私を見た。
「はい? あ、水圧、ちょっと強すぎましたかね?
あとでバルブを調整しておきますけど」
「……違う。君が今やったのは、
伝説の守護神を再起動させ、
帝国全土に永久的な『浄化の加護』を付与した、
ということだ。……これでもう、
我が国で疫病や飢饉が起こる可能性は消えた」
「ええっ、そんなおまけが付いてたんですか?
私はただ、噴水の水がピシャッと出たほうが、
見ていて気持ちいいなと思っただけで……」
「……その無欲さが、
あの方々には気に入られたのだろうな」
アレックスは、深くため息をついた後、
私の手をぎゅっと握りしめた。
「ティナ、今すぐ城へ戻ろう。
……これだけの奇跡を見せられては、
今夜あたり、隣の国だけでなく、
他国からも君を襲う賊が押し寄せるだろう」
「えーっ、そんな大げさな!
掃除しただけですよ、掃除!」
私は笑って受け流したものの、
アレックスの目は本気だった。
彼はそのまま私を担ぎ上げて馬車に乗せ、
「全軍に告ぐ!
帝都の警戒レベルを最大に引き上げろ!」と、
恐ろしい形相で命令を下していた。
その頃、国境の向こう側。
「陛下!
結界が……結界の最後の一枚が割れました!
魔物の軍勢が城門を!」
カイル王太子は、薄暗い執務室で、
かつてティナがいた空席を見つめていた。
そこには、彼女が去る前に残した、
丁寧な手書きの、
『業務引き継ぎ書(基本のき)』が置かれる。
「……読めない。なぜ、あいつの文字が……。
一文字も理解できないんだ!」
それは、ティナが善意で残した、
「超効率化マクロ」の説明書だったが、
権力にあぐらをかいていたカイルたちには、
もはや呪文か古代文字にしか見えなかった。
「ティファーニア……! 戻ってこい、頼む!
どんな願いでも叶えてやる!
だから、この現状をどうにかしてくれ……!」
彼の叫びに応えるのは、
城門を食い破る魔物の咆哮だけだった。
彼がゴミとして捨て、
粉々に粉砕し続けた書類の山は、
もはや二度と、救いの手となることはなかった。




