第6話:なぜか国家勲章を授与されることになりました。
アイゼンガルド帝国の朝は、鳥の囀りと、
規則正しく響く騎士たちの訓練の音で始まる。
私は、帝室御用達の「雲の枕」から顔を上げ、
大きく伸びをした。
「……ふわぁ。よく寝た。
残業がないって、最高の美容液ね」
今日はアレックスさんに頼まれ、
帝都の外郭にある古い防壁の視察に行く予定だ。
朝食を済ませてロビーへ向かうと、
そこには約束通りアレックスさんが待っていた。
今日は騎士団を引き連れず、本当に彼一人だけだ。
「おはよう、ティナ。昨夜はよく眠れたか?」
「おはようございます、アレックスさん!
はい、ぐっすり眠れました。……でも、
本当に二人だけでいいんですか?
昨日は、あんなに大勢いたのに」
「ああ。君の許可を得たからな。
今日は私が、君の隣を独占させてもらう」
アレックスさんはさらりと言って、私の手を取り、
馬車へとエスコートしてくれた。
この国の人は本当にエチケットが徹底している。
というか、過保護というか。
でも、嫌な感じは全くしないのが不思議だ。
馬車に揺られること三十分。
帝都の北側を囲む、巨大な石造りの防壁、に到着。
そこには、何十人もの魔導技師たちが、
険しい顔で壁に張り付いている。
「……あ、やっぱり」
私は馬車を降りた瞬間、
防壁から漏れ出ている「音」に眉をひそめた。
キィィィィ……という、耳鳴りのような高周波。
魔力がスムーズに流れていない時に特有の、
不協和音。
「アレックスさん。ここの結界、かなり限界ですね。
魔力の流れが渋滞して、熱を持ってます」
「……技師たちの報告では、老朽化による出力低下、
という話だが」
「出力は十分すぎるくらいですよ。
ただ、設計が古いんです。
一本の太い管に全部を流そうとするから、
曲がり角で魔力がぶつかって、
火花が散ってる状態です。
……ちょっと、触ってもいいですか?」
私は防壁の基部に歩み寄り、
冷たい石の表面に手を当てた。
前世で、古い配線図を整理した時を思い出す。
要らないノードを削除して、データの通り道を、
二本から八本に分散させればいいだけだ。
「……よし、よいしょっと」
私は石壁に刻まれた魔法陣の「つなぎ目」に、
指先で小さな魔力の雫をポトンと落とした。
私がやっているのは、複雑な魔法じゃない。
ただ、魔力という水が流れやすいように、
詰まっているゴミ(古い魔力残渣)を押し流し、
新しいバイパスを引くだけの単純な整理だ。
瞬間、防壁全体が、柔らかな乳白色の光を放つ。
キィィィィという不快な音は消え、代わりに。
深呼吸をしているような、
深く穏やかな振動が伝わってくる。
「……なっ!?
壁の亀裂が、塞がっていく……!?」
遠くで見ていた技師長が、
帽子を落として駆け寄ってきた。
「魔導圧が……計測不能なほど安定している!
供給源を増やしたわけでもないのに、
なぜ出力が三倍に跳ね上がっているんだ!?」
「三倍も出てます? おかしいな、
ロスを減らしただけなんですけど。
……あ、ついでに、余った魔力で壁の表面に、
『自動洗浄』の術式を重ねておきました。
これで鳥のフンとかも勝手に消えますから、
掃除が楽になりますよ」
私はパンパンと手を払って、満足げに微笑んだ。
前の神殿では、こういう「ついで」の作業は、
「余計な魔力を使うな」と怒られてしまったが、
ここでは技師さんたちが涙を流して拝んでいる。
「……ティナ」
アレックスさんが、
信じられないものを見るような目で、
私を見つめていた。
「また、君はとんでもないことをしたな。
この防壁の修復には、帝国の国家予算の一年分、
十年の歳月が必要だと言われていたのだぞ」
「ええっ!? そんなにかかるんですか?
掃除して、流れを整えただけなのに……。
アイゼンガルドの業者さん、
見積もり盛りすぎじゃないですか?」
私が呆れていると、
皇帝陛下がどこからともなく現れた。
正装に身を包み、後ろには大勢の文官を従える。
「ティナ殿! 今、この瞬間をもって、
貴殿に帝国最高名誉勲章『極光の聖十字』を、
授与することを決定した!」
「勲章!? いえ、ただの点検作業です、陛下!」
「点検だと!?
百年越しの難題を数分で解決しておいて何を!
貴殿の功績は、もはや一騎士や、
一役人の枠に収まるものではない。
……帝国の『守護聖女』として、
その名を歴史に刻ませてもらう!」
皇帝陛下は、私の胸元に、
キラキラと輝く大きな勲章を自ら取り付けた。
周囲の騎士や技師たちが、
地鳴りのような歓声を上げる。
「……あ、あの。私、定時に帰って、
お風呂に行きたいだけなんですけど、
この勲章をつけてても大丈夫ですか?」
「もちろんだ! むしろ、その勲章があれば、
帝国中の温泉が貴殿のために、
無料で開放されるだろう!」
「……無料!? それは……それは、
素晴らしい福利厚生ですね!」
私は現金にも、
その一点だけで勲章を受け入れることにした。
アレックスさんは、私の隣で複雑そうな、
けれどどこか誇らしげな顔で笑っていた。
「……ティナ。君を雇ったのは、
私の人生で最高の決断だった。……だが、
君の『普通』がこれほどまでに規格外だと、
私が君を独占するのは、難しくなりそうだな」
「独占? アレックスさんは、
いつも隣にいてくれるじゃないですか。
……あ、もしかして、
他の方も面接に来るから忙しくなる、とか?」
「……いや。面接官は私一人で十分だ。
他の人間には、一歩も近づかせない」
そう言うとアレックスさんは、
私の肩を抱き寄せるようにして歩き出した。
その力強さに、
私は「やっぱり頼りになる上司だなぁ」と、
呑気に勲章を撫でていた。
その頃、国境の向こう側――。
「陛下! 北部の防衛線が突破されました!
魔物の大群が、王都の手前まで……!」
「嘘だ! 結界は!? メアリはどうした!」
「メアリ様は、魔力枯渇により昏睡状態に……。
カイル様、もう、あの女を連れ戻すほか……!」
カイル王太子の目の前で、
かつてはティナが維持していた平和な景色が、
ガラガラと崩れ落ちていた。




