第5話:なぜか騎士団が総出で護衛についてきました。
アイゼンガルド帝国の城での生活は、
驚くほど快適だった。
カーテンから差し込む柔らかな光で目覚め。
用意された温かい白身魚のソテーと、
焼きたてのパンを食べる。
食べ終わる頃には、
アレックスさんが部屋にやってきて、
「今日の体調はどうだ?」と聞いてくれるのだ。
「最高です! 昨日は、八時間も寝ちゃいました」
「そうか。……それは重畳だ」
アレックスさんは、なぜか私が寝たというだけで、
この世の奇跡を目撃したような顔で頷く。
今日の私の仕事は、
城の図書室にある古い魔導書の整理だ。
前の国では「聖女は魔導書に触れてはならない」、
謎のルールがあったけれど、ここでは
「好きなだけ読んでいいし、
気になるところがあったら書き換えてくれ」
と言われている。
私は適当にページをめくり、
効率の悪い魔法陣の記述を見つけては、
隅っこに「こうすれば魔力消費が半分になります」
と注釈を入れていった。
そうして、あっという間に。
約束の退勤時間である午後五時になった。
「よし、おしまい! 今日はこれで帰りますね」
「……もう行くのか?」
図書室の入り口で、
アレックスさんが名残惜しそうに立っていた。
「はい。定時ですから。今日は教えてもらった、
街外れの『琥珀の湯』に行こうと思います。
夕焼けが綺麗に見えると聞いたので」
「一人でか?」
「ええ、もちろんですよ。
一人でボーッとお湯に浸かるのが、
一番の贅沢なんです」
私が笑顔で手を振ると、
アレックスさんは何やら考え込み、
スッと背後の影に合図を送った。
宿を出て、街の活気ある通りを抜けていく。
アイゼンガルドの街並みは、
私のいた国よりもずっと合理的で、
それでいて、道ゆく人たちの表情が明るい。
「……ん?」
ふと、背後に気配を感じて振り返った。
そこには、
全身を黒い重装備の甲冑で固めた騎士たちが、
整然と並んで歩いていた。
その数、ざっと三十人。
(……すごい。パレードか何かかな?)
私は気にせず、琥珀の湯へと続く坂道を登る。
ガチャ、ガチャ、と金属が擦れる音が、
私の歩調に合わせて響く。
私が立ち止まれば音が止まり、
私が歩き出せばまた音がする。
「……あの、すみません」
たまらず、一番前にいた騎士に話しかけた。
羽飾りのついた、立派な兜を被った騎士。
「どうかされましたか、ティナ殿!」
騎士は、まるで雷に打たれたような勢いで、
直立不動になる。
叫ぶように答えるので、面食らってしまった。
「いえ、あの……皆さんは、
これから演習か何かですか?」
「いえ! 我ら帝国第一騎士団は、現在、
最重要重要警護対象の移動に伴い、
周辺の『塵』を排除する任にあります!」
「へぇー、大変ですね。お疲れ様です。
……それで、その重要なんとかさんはどこに?」
「ここにいらっしゃいます!」
その騎士が手を挙げると、
騎士団全員が、ババッ!と片膝をついた。
私は自分の鼻先を指差した。
「私、ですか?」
「はい! アレックス殿下より、
『彼女が湯冷めするような風を吹かせるな』
『彼女の歩く道に小石一つ落とすな』
『万が一にも不届き者が近づけば、
その場で一族郎党根絶やしにせよ』
との厳命を授かっております!」
「……ええっと」
思わず引き攣った笑いが漏れた。
前の国では、魔物がうろつく国境まで歩いても、
「聖女なんだから加護があるだろ」
と放置されたのに。
この国の過保護っぷりは、
ちょっと常識の範囲を超えている気がする。
根絶やしって。
「あの、ただお風呂に行くだけなんですが……」
「承知しております!
琥珀の湯周辺はすでに、
我が騎士団が包囲・制圧を完了し、
貸切状態にしてございます!」
「えっ、他のお客さんは……」
「全て別の高級旅館へ、
帝国負担でご案内いたしました!
ご安心ください!」
……全然安心できない。
申し訳なさと困惑で頭を抱えたくなるが、
彼らの目はあまりにも真剣だった。
まるで、私を守れなければ国が滅びる、
とでも言いたげな悲壮感すら漂っている。
「……分かりました。じゃあ、皆さんも……あ、
皆さんは外で待っててくださいね?」
「ハッ! 湯気に紛れて刺客が忍び寄らぬよう、
浴場外周に十重二十重の結界を張り、
不眠不休で警護いたします!」
私は、三十人の鉄壁の護衛を引き連れ、
夕焼けに染まる琥珀の湯へと入った。
脱衣所まで着いてくる騎士たちを一喝し、
私はようやく一人でお湯に浸かる。
「……ふぅ。……なんだか、
前よりも騒がしくなっちゃった気がするなぁ」
お湯に肩まで浸かり。
オレンジ色に染まる街を見下ろす……。
そうしている間にも、
お湯の霊力はぐんぐんと高まり、
私の周囲で黄金の渦を巻いている。
一方で、壁一枚隔てた外側では、
騎士団長が震えながら部下に命じていた。
「……見ろ。ティナ殿が入浴されただけで、
周囲の枯れ木に花が咲き始めたぞ。
……これが、聖女の『休息』か。
絶対に、絶対に邪魔をさせるな!」
その夜。
宿に戻ると、
アレックスさんが私の部屋の前で待っていた。
「ティナ。琥珀の湯はどうだった」
「ええ……。景色は綺麗でしたけど、
外がすごく賑やかで……。アレックスさん、
あの騎士たちは、ちょっとやりすぎでは?」
私は少しだけ頬を膨らませて訴えた。
けれど、アレックスさんは私の前に膝をつき、
私の手をそっと取った。
「すまない。……だが、君が消えてしまうのではと、
私は夜も眠れないのだ」
「えっ、私が? どこにも行きませんよ。
ここはご飯も美味しいし、枕もふかふかだし」
「……君を失うことは、この世の光を失うと同義。
前の国が君をどう扱ったかは知らないが、
私にとって、君の価値は……」
アレックスさんは、言葉を飲み込む。
彼の瞳には、守護者としての義務感以上の、
もっと熱く、
重い何かが宿っているように見えた。
「……明日からは騎士の数を半分にしよう。
その代わり、私が直接君の隣にいてもいいか?」
「えっ、アレックスさんが? ……まあ、
アレックスさんなら、静かそうですし、
いいですよ!」
「……そうか。感謝する」
アレックスさんは、私の手の甲に、
誓いを立てるような深いキスを落とした。
「この国の面接官は、随分と距離が近いなぁ」
と暢気に考えつつ。
明日の朝ごはんのメニューに、
私は思いを馳せていたのだった。
その頃、国境の向こう側――。
「聖女メアリの神聖力が枯渇しました!
結界が、結界がもう持ちません!」
「そんな……!
ティファーニアを連れ戻すと言っただろう!
どこまで行ったんだ!」
「それが……アイゼンガルドに入った報告以来、
足取りが……。まるで国家機密のように、
情報の壁に阻まれております!」
カイル王太子の絶望は、
急速に色濃くなっていく、
魔物の影に飲み込まれようとしていた。




