第4話:初日から皇帝陛下に拝謁しました。
「……あの、アレックスさん。
この馬車、中が広すぎて落ち着かないんですけど」
昨日、温泉の壁越しに再就職を約束した、
アレックスさん。
彼は、約束通り迎えに来てくれた。
けれど、用意されたのは馬車というより。
ちょっとした、移動式の家みたいな代物だ。
ふかふかのソファに、
銀のトレイに乗った湯気の立つお茶。
窓の外には、黒い甲冑を着た騎士たち。
並んで馬を走らせている。
なぜだろう。
「気にするな。我が国では、
優秀な人材を運ぶ際はこれが『標準』だ」
向かい側に座るアレックスさんは、
相変わらず隙のない佇まいだった。
昨日は分からなかったけれど、驚くほどの美形だ。
氷のような鋭い瞳をしているけれど、
私を見る目はどこか……そう、
前世で徹夜明けの私に、
栄養ドリンクを差し出してくれた上司のような、
切実な慈愛に満ちている気がする。
「標準、ですか。
アイゼンガルドって、福利厚生がすごいんですね」
「……福利厚生? ああ、そうだな。期待していい。
我が国は、貴殿のような『価値ある者』を、
使い潰すような真似はしない」
「それは心強いです!
前の職場なんて、結界の修繕費をケチって、
私の魔力で補填させてたくらいですから。
……あ、もう着いたんですか?」
馬車が止まった先に見えたのは。
雲を突くような尖塔がそびえ立つ、
巨大な白亜の城だった。
石造りの壁には緻密な魔法文字が刻まれており、
ところどころ色がくすんでいる。
「うわぁ……。
このお城、魔法回路のバイパスが詰まってますね。
これじゃあ、冬場の暖房効率が悪いのでは?」
つい、職業病が出てしまった。
神殿では、こういう「詰まり」を一本ずつ、
手作業で解くのが、私の日課だったのだ。
「……わかるのか?」
「ええ。ほら、あそこの第三回廊のあたり。
魔力が淀んで茶色くなってますよ。
指先でちょっと突けば直りそうですけど」
「……後で試してもらう。
まずは、我が国の代表に挨拶を」
アレックスさんに促され、
私は豪華な絨毯の上を歩いた。
辿り着いたのは、天井の高い謁見の間。
そこには、金髪をなびかせた威圧感の塊が、
頬杖をついて座っていた。
「アレックス。それが、
お前が『これ以上ない至宝』と報告した女か」
「兄上。言葉に気を付けていただきたい。
彼女は、私の命の恩人であり、
我が国の救世主になり得る方だ」
「救世主?」
皇帝と呼ばれた男性が、鋭い視線を私に向ける。
私は、失礼のないように深々と頭を下げた。
「ティナと申します。
今日からこちらでお世話になります。
……あの、救世主なんて大層なものではなく。
事務員として雇っていただきましたので」
「事務? アレックス、この女は何を言っている」
「……彼女は、自身を低く見積もる癖があるようだ。
兄上、この城の『冷え』をどうにかしたいと。
やらせてみては?」
皇帝陛下は鼻で笑った。
「この城の魔力炉は、初代皇帝が据えたものだ。
百年以上、誰にも調整などできなかった代物だぞ。
……女、やれるものなら、やってみろ。
もし暖かくなったら、望むだけの褒美をやろう」
「褒美……!
じゃあ、お昼寝用のふかふかな枕をください!」
私は即答した。
皇帝陛下は一瞬呆気にとられたような顔をしたが、
すぐに「勝手にしろ」と手を振った。
私はアレックスさんに案内され、
玉座の裏手にある魔力炉の制御盤の前に立った。
そこには、巨大な水晶が鈍く光っている。
「うわ……。やっぱり。これ、
設定が『強』のまま固定されていますよ。
出力だけ上げて排熱処理を忘れてるから、
管が詰まって逆流しかけてます。
……よい、しょ」
私は人差し指に少しだけ魔力を込めて、
水晶の表面にある「魔力の淀み」を、
指先でピンッとはじいた。
前世で、
フリーズしたPCのタスクマネージャーを開き、
暴走しているソフトを強制終了させる感覚だ。
パリン、と軽い音がして。
水晶が黄金色に輝き出した。
ゴォォォォォ……。
城の奥底から、低い振動音が響く。
数秒後。
「……っ!? なんだ、この暖かさは……!」
「陛下! 城中の魔力灯が、
見たこともない明るさで点灯しました!」
兵士たちが騒ぎ出す。
じわじわと足元から上がってくる温風に満足し、
私はパンパンと手を払った。
「はい、おしまい。
これでフィルターの目詰まりは取れました。
あとは、魔力が自動で循環するよう、
ループを組み替えておいたので、
もう薪をくべなくても冬を越せると思います」
「……ループを、組み替えただと?」
アレックスさんの声が、少し震えている。
「ええ。流しっぱなしじゃもったいないですから。
使わなかった分を貯蔵庫に戻して、
また翌朝に再利用する設定にしました。
これ、基本ですよね?」
私は当然のことを言ったつもりだったけれど、
周囲の静寂がやけに長い。
皇帝陛下は、玉座から身を乗り出していた。
信じられないものを見るような目で、
私を見ている。
「……お前。今、何をした?」
「え? 掃除と、設定変更ですけど。……あの、
もしかして、勝手なことしちゃダメでした?
前の職場では、
『勝手に最適化するな、聖女らしく祈っていろ』
って、怒られたことがあったので……」
不安になって顔を覗き込む。
皇帝陛下は、椅子を鳴らして立ち上がる。
「怒る……? 誰が、この神業を怒るというのだ!
アレックス!
すぐにこの女……ティナ殿と終身雇用契約を!
予算は、国家予算の三割まで自由に使っていい!」
「三割……!?」
私は耳を疑った。
文房具代とか、お菓子代に三割も使っていいの?
この国、ホワイトどころか、
福利厚生の概念が壊れているのでは。
「ティナ。……まずは、枕だったな。帝室御用達の、
雲のような寝心地の品を百個用意させよう」
「百個!? いえ、一つでいいです……!」
アレックスさんは、私の手をそっと握った。
その掌は、熱を帯びている。
昨日まで、毒に侵されていたとは思えない。
「……ティナ。君を、絶対に前の国には返さない。
ここで好きなだけ休み、笑っていてくれ」
「は、はい。よろしくお願いします……?」
私はよく分からないまま頷いた。
とりあえず。
今日からは冷めたスープを飲まずに済みそうだ。
定時に帰れそうだし。
再就職、大成功かもしれない!
その頃、国境の向こう側では――。
「結界が……結界が完全に崩壊しました!
王都に魔物がなだれ込んできます!」
「ティファーニアはどこだ!
早く、早く呼び戻せと言っているだろう!!」
カイル王太子の絶叫が、誰にも届かぬまま、
虚しく響いていた。




