第七十八話 「『マクスウェルの悪魔』による熱量選別トラップ。一番弟子と恩師が道を切り開き、俺は竜娘と取り残された」
王城の地下水路、第4区画。
かつて王都の生活排水を流していたはずのその場所は、元の面影を完全に失っていた。
石造りの壁は無機質な黒鋼のパネルで覆い尽くされ、天井からは不気味な赤紫色の魔力光を放つパイプが、血管のようにびっしりと張り巡らされている。
「……随分と大掛かりなリフォームをしてくれたものだ。湿気とカビの臭いよりはマシだが、機械油の臭いで頭が痛くなりそうだな」
俺は杖を軽く肩に叩きつけながら、警戒を怠らずに無機質な回廊を進んだ。
「がおー! ししょー、ここ、なんだかピカピカしてて目がチカチカする!」
ミリムが落ち着かない様子で、俺のコートの裾をぎゅっと掴んでくる。
「ええ。それに、空間に満ちている魔力の質が異常です。まるで、巨大な生き物の胃袋の中を歩かされているような……」
アリアが氷の杖を構え、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
クロエもまた、普段の余裕のある笑みを消し、周囲の空間の『因果の歪み』を慎重に読み取っている。
その時だった。
――ピィィィィンッ!!
突如、回廊の奥から不可視の高周波音が鳴り響き、俺たちの足元の床が青白く発光した。
「チッ、罠か!」
俺が叫ぶと同時、前後の通路を塞ぐように、分厚い超合金の隔壁が凄まじい速度で落下してきた。
それだけではない。左右の壁が開き、そこから巨大な「二つの扉」が現れたのだ。片方は赤く、もう片方は青く発光している。
『――侵入者を検知。魔力エントロピーの選別を開始します』
天井のスピーカーから、機械的な合成音声が響いた。
次の瞬間、俺たちの身体が不可視の力場によって空中にフワリと浮き上がった。重力が完全に制御されている。
「なっ……身体が、勝手に引っ張られるわね」
クロエが舌打ちをする。
「これは……『マクスウェルの悪魔』か!」
俺は空中で姿勢を保ちながら、罠の正体を看破した。
「まくすうぇる……?」
アリアが空中で体勢を立て直しながら問う。
「熱力学の思考実験だ。分子の動き(運動エネルギー)を観察し、速い分子だけを右の部屋へ、遅い分子だけを左の部屋へ集めることができる『悪魔』がいれば、エネルギーを使わずに温度差を作り出し、エントロピーを減少させることができるというパラドックスだ」
気体分子の平均運動エネルギー()は絶対温度()に比例する。
「このトラップは、その法則をマクロな物体……つまり『俺たち自身の保有魔力と危険度(エネルギー量)』に当てはめて選別しようとしているんだ! 高エネルギーの者を隔離空間へ、低エネルギーの者を別の処理層へと強制転送する気だ!」
見れば、莫大な魔力(事象改変能力)を内包するクロエと、規格外の魔力出力を持つアリアの身体が、赤い発光扉(高エネルギー隔離層)へと強く吸い寄せられ始めていた。
逆に、魔力そのものよりも「物理法則の演算」に特化している俺と、魔力を肉体に完全に隠蔽している物理特化のミリムは、青い発光扉(低エネルギー処理層)へと引っ張られている。
「師匠! このままでは分断されます!」
「ししょー! 離れたくないーっ!」
ミリムが空中でジタバタと手足を動かすが、不可視の力場は強固だ。
「ええい、なら全員まとめて物理的にぶち破るまでだ! ――【流体演算――」
俺が杖を構え、力場を破壊する魔法を編み上げようとした、その刹那。
「ダメよ、ボウヤ。この力場、空間そのものの因果を強固に結びつけてる。今下手に破壊すれば、ボウヤとこの子が次元の狭間に放り出されるわ」
赤い扉に吸い込まれかけているクロエが、俺に向かって妖艶に微笑んだ。
「クロエ!?」
「師匠。ここは、わたくしたちにお任せください」
アリアが、眼鏡をクイッと押し上げ、静かに、しかし絶対的な自信に満ちた笑みを浮かべた。
「敵の狙いは『脅威度の高い高エネルギー体』の隔離。ならば、わたくしたちがその罠を正面から食い破り、内側からこの迷宮のシステムを凍てつかせて差し上げます」
「そういうこと。私たちは最高のエサ(熱量)として、向こうの部屋で派手に暴れてくるわ。……ボウヤは、その子と先に行って頂戴」
二人は空中で互いに目を合わせると、同時に自身の魔力リミッターを完全に解除した。
ゴオォォォォォォッ!!
アリアの絶対零度の魔力と、クロエの真紅の魔力が爆発的に膨れ上がる。
そのあまりに巨大なエネルギー(熱量)を検知したシステムが悲鳴を上げ、隔離の力場が完全に二人へと集中した。
「お前ら……!」
「ミリム、師匠の背中を頼みましたよ!」
「キキッ、ボウヤの唇は、後でたっぷり味わってあげるから待ってなさい!」
二人は俺に向かってウィンクを残し、そのまま自ら赤い扉の中へと飛び込んでいった。
直後、ガコンッ! という重い金属音と共に赤い扉が完全に封鎖され、空間から二人の気配が消失した。
「……馬鹿野郎どもが。俺の弟子と恩師を舐めるなよ」
二人が力場を引き受けてくれたおかげで、拘束が緩んだ俺とミリムは、そのまま青い扉の奥――無機質なダストシュートのような斜面へと滑り落ちた。
◇
「いてて……」
金属の斜面を滑り降り、薄暗い部屋の床に尻餅をついた。
「ししょー! だいじょうぶ!?」
ミリムが上から降ってきて、見事な猫着地を決めてから俺に抱きついてくる。
「ああ、平気だ。……アリアとクロエなら、どんな罠に放り込まれようが数分でぶち破ってくるだろう。心配はいらん」
俺は立ち上がり、コートの埃を払った。
あの二人がやられるビジョンは一切浮かばない。むしろ、あいつらを隔離しようとしたトラップルームの方が、今頃物理的・因果的にメチャクチャに破壊されているはずだ。
俺は周囲を見渡した。
青い扉(低エネルギー処理層)の先にあるこの部屋は、先ほどの通路よりもさらに殺風景な、巨大なコロシアムのような円形の空間だった。
「さて……『低エネルギー(雑魚)』と判定された俺たちを、どうやって処理するつもりだ?」
俺が杖を構えた瞬間、部屋の暗がりから、ギィィ、ガシャン、と重たい金属音が鳴り響き始めた。
「がおー……ししょー、なんかデカいのがいっぱい出てきたぞ?」
ミリムが野生の勘で牙を剥き出しにし、臨戦態勢をとる。
暗闇から姿を現したのは、先ほどの工場にいた量産型ゴーレムとは比較にならないほど巨大で、重厚な装甲に覆われた『多脚型殲滅機械』の群れだった。
その数、およそ二十。すべての銃口とブレードが、真っ直ぐに俺たち二人をロックオンしている。
「……なるほど。魔法の出力が低い(と誤認した)相手には、圧倒的な物理質量で押し潰す設計か」
俺は不敵に笑い、首の骨をポキリと鳴らした。
「ミリム。あの鉄くずどもを解体するぞ。物理法則の授業の時間だ」
「わぁい! ミリム、いっぱい壊す!」
愛弟子と狂気の恩師を欠いた、理系魔法使いと竜娘の二人舞台。
地下迷宮の防衛システムを「物理的」にスクラップにする蹂躙劇が、幕を開けた。
「アリアとクロエがイケメンすぎる!」「ヴィクトルとミリムのコンビ新鮮!」
と思っていただけたら、
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