第七十二話 「自己相似性の術式痕跡と、森の奥に潜む狂気の影」
魔物の群れが完全に沈黙した後、村には重苦しい静寂が降りていた。
燃えかけた家屋の火はアリアの氷魔法で迅速に鎮火され、怪我を負った自警団の村人たちは、エリスの神業的な治癒魔法によって次々と一命を取り留めていた。
「……死者ゼロ。村の防壁と家屋の損壊は三割といったところか。お前たちの到着が早くて助かった」
村長から報告を受け、俺は一つ息を吐いた。
辺境の村とはいえ、領主として最低限の責任は果たせた形だ。だが、根本的な問題は何も解決していない。
「師匠。回収できた『結晶』の破片です。超音波でほとんど粉のようになっていますが、原形を留めているものをいくつか見つけました」
アリアが、ハンカチに包んだ赤紫色の結晶片を俺の前に差し出した。
俺はそれをつまみ上げ、太陽の光に透かしてじっと観察する。
「……ただの魔力付与じゃない。結晶の内部に、恐ろしく緻密な術式が多重に刻み込まれている」
「ボウヤの言う通りね。私の目で因果の糸を遡ってみたけど、これを作った連中は相当『狂ってる』わ」
クロエが腕を組み、不快そうに眉をひそめた。
「狂っている、とは?」
アリアが尋ねる。
「術式の構造よ。通常、ゴーレムや使い魔を操作する術式は、核から全身へ命令を送るトップダウン方式をとるわ。でも、こいつは違う」
俺はクロエの言葉を引き継ぎ、結晶片の断面を指差した。
「フラクタル構造(自己相似性)だ」
「ふらくたる……?」
アリアが首を傾げる。
「全体と部分が、同じ形をしている構造のことだ。雪の結晶や、シダの葉っぱを想像してくれ。拡大しても拡大しても、同じ模様が繰り返されているだろう?」
文系の彼女にも伝わるように、俺は身近な例を挙げた。
「この赤紫の結晶は、マクロの視点で見ても、ミクロの分子レベルで見ても、全く同じ『殺戮の命令式』が刻まれている。だから、俺の超音波で結晶が砕け散るギリギリの瞬間まで、こいつらは村を襲うのをやめなかったんだ」
一部が壊れても、残った小さな破片が同じ命令を発し続ける。
生物の痛覚や恐怖を完全に麻痺させ、死の直前まで最大出力で戦わせるための、悪魔のような最適化。
「……なんて冒涜的な。生命をただの歯車としか見ていない術式ですね」
アリアの瞳に、静かな怒りの炎が灯った。
「ああ。しかも、これだけ精密なフラクタル術式を量産できるとなると、個人の魔術師の犯行じゃない。大規模な設備を持った『組織』だ。……例えば、王国の裏で暗躍する非合法の魔術結社とかな」
俺がそう推測を口にした、その時だった。
「ヴィクトルゥゥゥーーーッ!!」
上空から、聞き慣れた甲高い声が降ってきた。
見上げると、光の魔力で強引に空を飛んできたシャルロットが、コントロールを失ってこちらへ落下してくるところだった。
「わ、わたくしも、共に戦いますわーッ! きゃあああっ!?」
ドサァッ!!
見事な放物線を描き、王女殿下は村の広場の中央、先ほどまで魔物がいた(現在はエリスによって綺麗に片付けられた)場所に顔面から突っ込んだ。
「……お前、屋敷で待機していろと言っただろうが」
俺はため息をつきながら、地面に刺さったシャルロットを引き抜いた。
「ぷはっ! だ、だって……わたくしだけ置いてけぼりなんて、不敬ですわ! それに、ヴィクトルに何かあったら……!」
泥だらけの顔で、シャルロットが涙目で抗議してくる。
その言葉の端に滲む不器用な心配に、俺の毒気も少しだけ抜かれた。
「心配ない。戦闘はもう終わった。……だが、これからが本番だ」
俺は西の森――魔物たちが湧き出してきた深く暗い樹海へと視線を向けた。
「敵の狙いが何であれ、俺の領地にこんな汚物を撒き散らした落とし前はつけさせる。あの森の奥に、奴らを転送してきた拠点、あるいは発信源があるはずだ」
「行くのね、ボウヤ」
クロエが口元に妖しい笑みを浮かべる。
「師匠。わたくしが先陣を切ります。これ以上の領地の被害は、一番弟子として断じて容認できません」
アリアが杖を握り直す。
「エリス、レオンハルト。お前たちは村の防衛と、シャルロットの護衛に残れ。ミリムは俺たちについてこい。物理的な壁を壊すのに、お前の腕力が必要になるかもしれない」
「がおー! まかせて!」
ミリムが元気よく拳を振り上げる。
「えっ!? ま、待ちなさい! わたくしも行くと言っていますのよ!?」
シャルロットが喚くが、レオンハルトの筋肉の壁にガッチリとホールドされて物理的に身動きが取れなくなっていた。
「頼んだぞ。……行くぞ、お前ら」
俺、アリア、クロエ、そしてミリムの四人は、深い森の暗がりへと足を踏み入れた。
木々の間を抜ける風は冷たく、生命の気配が異常なほど希薄だった。
鳥の鳴き声も、虫の羽音もしない。ただ、微かな赤紫色の魔力残滓が、ヘンゼルとグレーテルのパン屑のように、森の最深部へと俺たちを導いていた。
平穏なスローライフを取り戻すための、物理魔法使いの反撃が、今始まる。
「フラクタル術式、設定がエグい」「王女様は癒やし枠」
と思っていただけたら、
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