第六十六話 「たまには静かな午後を。光の屈折と、淹れたての紅茶が作る平穏な時間」
庭に降らせた人工雪は、半日ほどで完全に溶け、屋敷には穏やかな初夏の陽気が戻っていた。
雪合戦ではしゃぎすぎた疲れと、コタツの魔力(という名の極上の保温効果)によって完全に体力を奪われたのか、今日の屋敷は驚くほど静かだった。
午後の日差しが差し込む、広々としたサンルーム。
俺はロッキングチェアに深く腰掛け、古びた物理学の洋書をパラパラと捲っていた。
「……すぅ、すぅ……」
すぐ隣の長いソファでは、クロエが丸くなって寝息を立てている。
あんなに小悪魔のように俺をからかっていたというのに、今は完全に無防備だ。口元から微かによだれを垂らし、時折「んむ……プリン……」と幸せそうな寝言を漏らしている。
アリアと同じ顔だというのに、中身のせいでまったく別の生き物に見えるから不思議なものだ。
「……ふふっ」
向かいの席から、小さく穏やかな笑い声が聞こえた。
視線を上げると、アリアが魔導書から顔を上げ、眠るクロエを見て微笑んでいた。
いつものピリピリとした殺気や、嫉妬のオーラは微塵もない。彼女もまた、この暖かな午後の空気に毒気(?)を抜かれているようだった。
「静かだな」
俺が小声で呟くと、アリアは静かに頷き、手元のティーカップを傾けた。
「ええ。シャルロット様も、珍しく自室で静かにお昼寝をされているようですし。ミリムも中庭で、エリスと一緒に日向ぼっこをしながらお絵描きをしています」
サンルームには、古い時計の秒針の音と、俺たちが本を捲る衣擦れの音だけが響いている。
俺は本から視線を外し、傍らのサイドテーブルに置かれた『ガラスの文鎮』を見つめた。
窓から差し込んだ一筋の太陽光が、透明なガラスの多面体を通り抜け、屈折している。
波長の違う光がそれぞれの角度で曲がり、サンルームの白い壁に、淡く美しい七色の虹を描き出していた。
「……綺麗な光ですね。魔法陣も描いていないのに」
壁に映った虹色の帯を見て、アリアが目を細める。
「『光の分散』という現象だ。太陽の白い光には、実はすべての色の光が混ざっている。ガラスを通る時、色によって曲がりやすさが違うから、ああやって虹色に分かれて見えるのさ」
俺は彼女にも分かるように、なるべく噛み砕いて説明した。
「……全ての色が、一つに混ざっている……」
アリアは壁の虹を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「なんだか、この屋敷みたいですね」
「この屋敷が?」
「ええ。師匠という『白い光』を中心に……わたくしや、クロエ、王女様にミリム、エリス。みんな全然違う色をしているのに、同じ場所に集まって、こうして穏やかな時間を過ごしている」
アリアはそう言うと、少しだけ照れくさそうに、しかし真っ直ぐに俺の目を見た。
「……騒がしいことも多いですが、わたくしは、この屋敷での日々がとても好きです。師匠」
その言葉には、純粋な敬愛と、微かな甘さが混じっていた。
俺は少しだけ頬が熱くなるのを感じながら、誤魔化すようにガラスの文鎮の位置を少しだけずらした。
壁の虹が、ゆらりと形を変える。
「……まぁ、たまにはこういう静かな日もないとな。俺の胃が持たない」
「ふふっ。そうですね。……これからは、少しだけお手柔らかにお願いしますね、クロエ」
アリアは眠るクロエの銀髪を、姉のように優しく撫でた。
「んぅ……ボウヤ、だめよ……そこは……」
クロエが寝言でとんでもないことを呟き、俺の心臓が物理的に跳ね上がった。
「……」
アリアの手がピタリと止まり、その背中に微かな【絶対零度】の冷気が漂い始める。
「あ、アリア? こいつはただ、夢の中でプリンを食べてるだけで……!」
「分かっていますよ、師匠。今日は……今日だけは、静かな午後を楽しむと決めましたから」
アリアはフッと息を吐き、再び優しい顔に戻って魔導書に目を落とした。
俺は冷や汗を拭い、再び洋書を開いた。
光の屈折が生み出す虹のように、この先も色々と波乱(色の変化)はあるだろう。
だが、この暖かな日差しの中で飲むエリスの淹れた紅茶は、文句なしに最高だった。
こんなスローライフも、悪くない。
俺はそっと息を吐き、静かな午後の時間へと再び身を委ねた。
「こういう静かな回も好き」「アリアのデレが尊い」
と思っていただけたら、
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