第六十二話 「暗殺者が忍び込んできたので、片栗粉の沼と最強のメイドでおもてなしした」
カジノの胴元を破産させてから数日後の、真夜中。
俺の屋敷は、音もなく忍び寄る黒い影たちに包囲されていた。
「……いいか、標的は銀髪の青年だ。カジノのオーナーからの直々の依頼、しくじるなよ」
黒装束に身を包んだ、裏社会でも名の知れた暗殺ギルドの精鋭たち。
彼らは音を殺して屋敷の塀を越え、中庭へと着地した。
目指すは、無防備に眠っているであろう標的(俺)の寝室だ。
「行くぞ。風のように駆け抜けろ」
リーダーの男が合図を出し、暗殺者たちが一斉に中庭の芝生を猛ダッシュで駆け抜けようとした――その瞬間。
ガチィィィィン!!
「……っ!? な、なんだこれは!?」
暗殺者たちの足が、芝生の上でピタリと止まった。
いや、芝生ではない。彼らが踏み込んだ地面は、いつの間にか『白いドロドロの液体』の沼にすり替わっていたのだ。
そして、その液体は、彼らが力強く踏み込んだ瞬間、コンクリートのような硬さに変貌し、彼らの両足を完全にロックしてしまった。
「……うるさいな。夜中の三時に人の家の庭を走るな」
俺はあくびをしながら、パジャマ姿でテラスに姿を現した。
隣には、同じくパジャマ姿(俺のシャツを勝手に着ている)のクロエが、目を擦りながら立っている。
「ふわぁ……。なによボウヤ、お客さん? ずいぶん泥臭い連中ね」
「貴様……! この罠はなんだ! 魔法陣もないのに、地面が急に岩のように硬く……!」
暗殺者が足を引き抜こうと必死にもがくが、力を入れれば入れるほど、白い沼はガチガチに固まっていく。
「魔法じゃない。ただの『片栗粉』だ」
「か、かたくりこ……!?」
俺はため息をつき、文系の人間(暗殺者)にも分かるように、極めて噛み砕いて説明してやった。
「水に片栗粉をたっぷり溶かした液体さ。こいつは、ゆっくり触るとドロドロの液体のままだが、強い衝撃を与えると、一瞬だけカチカチの固体になる性質がある」
いわゆる『ダイラタンシー現象』(非ニュートン流体)というやつだ。
子供の理科の実験でもよくやる簡単なトラップだが、速度と衝撃を重視する暗殺者の足止めには、これ以上なく効果的だった。
「もがけばもがくほど、衝撃で固まって抜けなくなるぞ。……ゆっくり足を引けば抜けるんだが、お前らみたいなせっかちな連中には無理だろうな」
「おのれぇぇ! 小賢しい真似を!」
リーダーの男だけは罠の端にいたため、難を逃れていた。
彼は懐から毒塗りの短剣を抜き放ち、一気にテラスの俺へ向かって跳躍した。
「もらったァァァ!」
――バシィィィィン!!
だが、男の顔面にクリティカルヒットしたのは、俺の魔法ではなく、濡れた『モップ』だった。
「……ごふぁっ!?」
空中でモップで顔面を払われたリーダーは、無様にテラスの床に転がった。
「……夜分遅くに申し訳ありません。ですが、土足でテラスに上がるのはおやめください。先ほどワックスをかけたばかりですので」
暗闇の中から、純白のエプロンドレスを翻し、最強のメイド・エリスが静かに姿を現した。
その手には、戦闘用の武器ではなく、ただの掃除用具(モップとスプレー洗剤)が握られている。
「な、なんだこのメイドは……!? 気配が全くなかったぞ!?」
リーダーが震え上がる。
「気配など、ただの『空気の汚れ』です。私が全て拭き取りましたから」
エリスはにっこりと微笑むと、シュッシュッとスプレーを空中に撒いた。
それは、セシリアの聖水とエリスの洗剤を混ぜ合わせた『特製・対隠密用クリーナー』。
スプレーの霧が触れた瞬間、リーダーが纏っていた『認識阻害』の魔法が、ただのシミ汚れのようにジュワリと溶けて消滅した。
「ば、馬鹿な! 俺の国宝級の暗殺具が、ただの洗剤で……!?」
「はい。綺麗になりましたね。……では、ゴミ出し(物理)の時間です」
エリスがモップを構え直した瞬間。
「……そこまでです」
カキィィィィン!
暗殺者の首筋に、絶対零度の冷気を纏った氷の刃が突きつけられた。
いつの間にか背後に回り込んでいた、アリアだ。
彼女の瞳は、俺の睡眠を邪魔された怒りで、氷点下二十度を下回っていた。
「……師匠の安眠を妨害する者は、この私が氷漬けにして砕きます。一瞬で終わらせますから、安心してください」
「ひ、ひぃぃぃぃ!! 降参! 降参しますぅぅぅ!!」
片栗粉に沈んだ部下たちと、氷の死神と掃除の鬼に囲まれた暗殺者のリーダーは、涙と鼻水を流して地面に土下座した。
◇
翌朝。
気持ちのいい朝日が差し込む中、俺たちは優雅に中庭のテラスで朝食のパンをかじっていた。
「んん〜、よく寝ましたわ! やはりこの屋敷のベッドは最高ですの!」
シャルロットが、昨夜の騒動など一切知らずにのびのびと背伸びをする。
「お肉! 今日はお肉食べる!」
ミリムが朝から元気いっぱいに尻尾を振っている。
そして、その平和な風景の奥では――。
「ほら、そこの雑草! 根っこからしっかり抜かないとダメじゃない!」
「は、はいぃぃ! クロエお嬢様ぁぁ!」
昨夜の暗殺者たちが、首に『逃走防止の氷の首輪(アリア特製)』をつけられながら、ジャージ姿で庭の草むしりや畑の耕作をさせられていた。
クロエが日傘をさしながら、彼らをこき使って遊んでいる。
「……これで、少しはカジノの胴元も懲りるだろうな」
「ええ。彼らには、あと十年ほどこの屋敷の『無給の庭師』として働いてもらいますから」
アリアが紅茶を淹れながら、さらりと恐ろしいことを言った。
俺の隠居生活の周囲には、なぜかこうして変な連中ばかりが集まってくる。
数式を使わなくても、これだけは確かな『真理』のようだった。俺は深くため息をつき、温かい紅茶を飲み干した。
「片栗粉トラップww」「暗殺者がただの庭師に……」
と思っていただけたら、
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