第五十六話 「庭が荒らされたので、マントル手前まで穴を掘って極上の温泉を湧かせた」
野次馬と筋肉ダルマ(騎士団長)が去った翌日。
俺はリビングの窓から、無惨な姿になった庭を見下ろして深いため息をついていた。
「……見事な更地だな」
『報告します、マスター。芝生の損傷率98%、不法投棄されたゴミ(主にたこ焼きの舟)多数。さらにレオンハルト個人の踏み込みによって、庭の中央に深さ2メートルのクレーターが形成されています』
オメガの無機質な声が、俺の隠居生活の悲惨な現状を裏付けている。
エリスとセシリアがせっせとゴミ拾いをしてくれているが、へこんだ地面はどうしようもない。
「はぁ……。まあ、いい。どうせ穴が空いているなら、いっそもっと深く掘るか」
「深く掘る? ヴィクトル、まさか庭に落とし穴でも作って、次の侵入者を埋めるつもりですの?」
シャルロットが物騒なことを言いながら扇子を揺らした。
「違う。……隠居生活といえば『温泉』だろう。ちょうどいい機会だ、この庭を極上の大露天風呂に改装する」
「お、温泉……! それは、素晴らしい提案です、師匠!」
アリアが食い気味に身を乗り出してきた。普段は冷静な彼女だが、無類の綺麗好き(そして密かな風呂好き)である。
「よし、少し下がるんだ」
俺は庭の中央、レオンハルトが開けたクレーターの前に立った。
温泉を湧かせる。言葉にするのは簡単だが、通常の魔法使いなら『水魔法』と『火魔法』を組み合わせた疑似的なお湯を作るのが関の山だ。
だが、俺が求めるのは大地のミネラルをたっぷり含んだ「天然温泉」である。
「地下の帯水層から地熱で温められた熱水を汲み上げる。……流体力学と熱力学の出番だ」
俺は右手を地面に向け、地殻を貫く極細の「空間切断」を放った。
狙うは地下2000メートル。
そこにある高圧の熱水溜まりを解放し、地上へ一気に押し上げる。
ここで重要なのは、熱水が地表へ上がる際の「圧力差」だ。流体のエネルギー保存則であるベルヌーイの定理を応用する。
「地下の高圧()と地表の大気圧()の差分を計算し、水柱の速度()を調整……っと。あまり勢いよく出すと屋敷が吹き飛ぶからな」
俺が数式を組み上げ、指先でパチンと弾いた瞬間。
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
地鳴りと共に、クレーターの中心から天高く、白濁した熱湯が間欠泉のように噴き上がった。
ほんのりと漂う、硫黄の心地よい香り。
「わぁぁっ! お湯だ! あったかいお水が出たー!」
ミリムがピョンピョンと飛び跳ねて喜ぶ。
「……完璧な温度(42度)、完璧な泉質だ。エリス!」
「はい、ご主人様。手配は済んでおります」
最強のメイド・エリスが指を鳴らすと、あらかじめ待機させていた土木ゴーレムたちが一斉に動き出した。
彼らは瞬く間に庭を掘り返し、美しい岩組みを配置し、男湯と女湯を隔てる立派な「竹垣」を立てていく。
わずか一時間後。
俺の荒れ果てた庭は、高級旅館も顔負けの『超絶景・大露天風呂』へと変貌を遂げたのだった。
「……ふぅ。最高だ」
俺は湯船に肩まで浸かり、極楽気分を味わっていた。
青空の下、大地のエネルギーをたっぷり吸い込んだ湯が、疲れた筋肉と精神をじんわりと解きほぐしていく。
竹垣を隔てた隣(女湯)からは、黄色い声が聞こえてくる。
『きゃっ、ミリム! お湯を飛ばさないでくださいまし!』
『えへへー、シャルロットも潜ろうよ!』
『……ふふっ、師匠の作ってくださったお風呂、最高です。お湯に溶け込んだ魔力波長が、まるで師匠に抱かれているようで……はぁっ……』
……アリアの感想だけ少し変態チックだが、まあ聞こえなかったことにしよう。
『ちょっとアリア、アンタ鼻血出てるわよ。のぼせたの?』
『……クロエ。貴女こそ、浮き輪に乗ってダラダラしてないで、ちゃんと肩まで浸かりなさい』
ニートのクロエまで、ちゃっかり風呂を楽しんでいるらしい。
平和だ。
厄介な騎士もいない、野次馬もいない。ただ湯の音だけが響く至福の時間。
俺は目を閉じ、湯船の縁に頭を預けた。
――バシャァァァァン!!!
「……ん?」
突然、俺の目の前の湯面が大きく盛り上がった。
見れば、男湯と女湯を隔てている「水中」の仕切り岩の下から、小さな影が魚のように潜水してこちら側へ侵入してきているではないか。
「ぷはぁっ!! おっきいお魚、いなかったー!」
水しぶきを上げて顔を出したのは、一糸纏わぬ姿のミリム(竜娘)だった。
「おいバカ! お前、そっちは男湯――」
俺が慌てて立ち上がりかけた、その時。
ミリムが勢いよく飛び出してきた反動で、男湯と女湯を隔てていた立派な「竹垣」の土台が崩れた。
ミシミシッ……。
バッシャァァァァァン!!
無情にも、竹垣は崩壊して湯船の中に倒れ込んだ。
……そして、視界を遮るものが全て消え去った。
「…………あ」
「…………え?」
竹垣の向こう側。
そこには、豊かなプロポーションを隠す暇もなく呆然とするシャルロット。
そして、タオル一枚を手にしたまま、顔を真っ赤にして固まっているアリアの姿があった。
浮き輪に乗っていたクロエだけが、「あーあ、見えちゃった」とニヤニヤしている。
「……違う。これは物理的な事故で――」
俺が弁解しようとした瞬間。
「し、師匠の……えっちぃぃぃぃぃぃ!!!」
「ヴィ、ヴィクトルの変態! 破廉恥ですわーーーッ!!」
アリアの【絶対零度】と、シャルロットの【極光】が、一切の手加減なしで俺に向けて放たれた。
「理不尽だろおおおおおっ!?」
極上の温泉は一瞬にして氷河と化し、俺の平和な休息は、文字通り「凍りつく」ことになったのだった。
「温泉回キター!」「理不尽なヴィクトル不憫w」
と思っていただけたら、
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