第五十三話 「魔導ネット通販の罠。クーリングオフは使えますか?」
その日の朝、屋敷の玄関は巨大な段ボールの山で塞がれていた。
「……オメガ。これは何の嫌がらせだ?」
『回答します。魔導ネットワーク経由で注文された品物です。宛名はマスターとなっています』
山積みの箱の隙間から、長いレシートが滝のように垂れ下がっている。
俺は震える手でその紙切れを拾い上げ、印字された合計金額を見た。
「……王都に家が三軒建つ額だぞ、これ」
俺の口座は、軍事機密レベルの暗号式で保護されているはずだ。それを突破できる人間など、この世にただ一人しかいない。
「クロエェェェェ!!」
俺の怒号が響き渡ると、リビングの奥から、ポテトチップスを咥えた銀髪のニートがひょっこりと顔を出した。
「うるさいわね、朝から。……あ、荷物届いた? 早いわね、お急ぎ便にして正解だったわ」
「お急ぎ便じゃない! なんだこの購入履歴は! 『古代竜のフカヒレスープ』『全自動肩揉みゴーレム』……お前、俺の口座を勝手に使いやがって!」
「だってボウヤの暗号式、ガバガバなんだもん。あんなの、エレオノーラ(私)の演算能力なら3秒で突破できるわよ。セキュリティの甘さを教えてあげたんだから、むしろ感謝しなさいよね」
悪びれる様子は一切ない。
俺はこめかみの血管が切れる音を聞いた気がした。
「全品返品だ。今すぐ配送業者を呼べ!」
「無理よ。それ全部、裏ルートの非正規ショップで買ったから。返品不可のジャンク品も混ざってるし」
クロエは段ボールの山を漁り、ゴソゴソと何かを取り出した。
「ほら、これとか。……『惚れ薬』。飲むと目の前の相手を強烈に愛してしまうらしいけど、副作用で性格が極端にバグるらしいわ。面白そうでしょ?」
彼女が手にしたのは、毒々しいピンク色の液体が入った小瓶だった。
「そんな危険物を買うな! 没収だ!」
俺が小瓶を奪い取ろうと手を伸ばした、その時だった。
朝の鍛錬を終えたアリアが、タオルで汗を拭きながらリビングに入ってきた。
「ふぅ……マスター、おはようございます。……なんだか騒がしいですね。それに、ひどく喉が渇きました」
アリアはテーブルの上に置かれていたコップを手に取った。
そこには、俺がクロエと揉み合った拍子に、ピンクの小瓶から数滴こぼれ落ちた水が入っていたのだ。
「あっ、おいアリア! それは――」
俺の制止も虚しく、アリアはコップの水を一気に飲み干してしまった。
「ん……? 少し甘い水ですね。マスターが淹れてくれたのですか?」
アリアが首を傾げる。
数秒の沈黙。
……何も起きない?
「……ふふっ。なんだ、詐欺商品だったのね」
クロエが鼻で笑った。
だが、次の瞬間。
アリアの持っていたガラスのコップが、パキィィィン! と音を立てて凍りつき、粉々に砕け散った。
「……マスター」
アリアが、ゆっくりと顔を上げる。
普段の理知的で冷たい青い瞳が、今は熱に浮かされたようにトロンと潤んでいた。
そして、その頬は異常なほど赤く染まっている。
「あ、ああああ……マスター……っ! 私の、大好きな、ご主人様……っ!」
「アリア?」
「好き。好きです。愛しています。どうしてこんなに愛おしいのでしょう。貴方の細胞の一つ一つまで解析して、私の脳内に保存しておきたいくらい好きです……っ!」
ヤバい。
クールビューティーな俺の弟子が、完全にタガが外れた「激重デレデレモード」に移行している。
「おいクロエ、これどうやって治すんだ!」
「わ、私に聞かないでよ! 説明書には『効果が切れるまで24時間放置してください』って書いてあるわ!」
24時間!?
そんなに放置したら、俺の身(貞操的な意味で)が持たない!
「ああっ、マスターが逃げようとしている……! ダメです、私から離れないでください! 【絶対氷壁】!」
ドゴォォォォン!!
屋敷のリビングが、一瞬にして分厚い氷のドームに覆われた。
出口が完全に塞がれる。
「ヴィクトル!? 何事ですの!?」
「師匠! お部屋が寒い!」
騒ぎを聞きつけたシャルロットとミリムが駆けつけてきたが、氷の壁に阻まれて中に入れない。
「ふふふ……これで邪魔者はいません。マスター、私たち、永遠に一つになりましょう? まずは物理的に融合するための術式を――」
アリアが熱い吐息を漏らしながら、俺に覆い被さってくる。
冷却魔法の使い手であるはずの彼女の体が、今は恐ろしいほど熱い。
「落ち着けアリア! それは薬のせいだ! お前の本心じゃない!」
「本心です! 薬はただ、私の無意識下にあった『マスターへの独占欲』のリミッターを外しただけ……! ああ、マスターの匂い……!」
彼女が俺の首筋に顔を埋め、すーはーと深呼吸を始める。
このままでは、押し倒されて「物理的融合(意味深)」をされてしまう。
俺は脳内の演算リソースをフル稼働させた。
惚れ薬の成分。それは血中の魔力濃度とホルモンバランスを強制的に弄る化学物質だ。
ならば、外部から魔力波長をぶつけて、その成分を中和・分解すればいい!
「悪いな、少し乱暴にいくぞ!」
俺はアリアの両肩を掴み、彼女の額に自分の額をコツンと合わせた。
「えっ……? マスターからの、キス……!?」
「違う、治療だ!」
俺はアリアの体内に直接魔力を流し込み、薬の成分をピンポイントで破壊する「逆位相の波長」を叩き込んだ。
パァァァァン!
小さな破裂音と共に、アリアの体からピンク色の蒸気が抜け出していく。
「……はぅっ!」
アリアがビクンと体を震わせ、そのまま俺の腕の中でパタリと気を失った。
……数時間後。
氷が解けたリビングで、正気を取り戻したアリアは、顔から火が出るほど真っ赤になって膝を抱えていた。
「……殺してください。今すぐ、私を消滅させてください……」
「気にするな。事故だ」
「記憶が……鮮明に残っているんです……! 私、マスターに発情して、あんなはレンチな……! うぅぅ……!」
アリアの精神的ダメージは計り知れないようだった。
そして、この大惨事の元凶であるクロエは――。
「ひぃぃぃ! ごめんなさい、お掃除はやめてぇぇ!」
「いいえ。屋敷を凍らせて汚した罪は万死に値します。本日は、屋根裏部屋のカビ取り(防毒マスクなし)の刑です」
最強のメイド・エリスに首根っこを掴まれ、ズルズルと廊下を引きずられていった。
……クーリングオフはできなかったが、十分な代償は支払わせたので良しとしよう。
俺は空っぽになった口座の残高を見つめながら、深いため息をついた。
「アリア可愛い!」「クロエの自業自得w」
と思っていただけたら、
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