第四十一話 「『私には、その価値がないと言いたいですの?』シャルロットの家出」
アリアとの「接続」が発覚した翌日。
屋敷の空気は、表面上は穏やかを取り戻していたが、水面下ではドロドロとした感情が渦巻いていた。
特に、シャルロットの様子がおかしい。
彼女はいつものように喚くことも、アリアに突っかかることもなく、ただ無言で紅茶を啜っていた。その瞳は、凍てついたように冷ややかだった。
「……シャルロット。話がある」
昼下がり。俺は彼女を書斎に呼び出した。
これ以上、不機嫌なオーラを撒き散らされてはたまらない。
「なんですの? アリアとの『愛の巣』での情事を、私に自慢したいのですか?」
シャルロットは椅子に座ろうともせず、立ったまま俺を睨みつけた。
棘がある。だが、その声は微かに震えていた。
「違う。……お前が望んでいた『魔力回路の書き換え』についてだ」
俺が切り出すと、シャルロットの顔がパッと明るくなった。
「! や、やっとその気になりましたの!? そうですわよね、王女である私を差し置いて、あんな氷女だけ特別扱いなんて――」
「結論から言うと、お前には施術しない」
俺は淡々と告げた。
「――は?」
シャルロットの笑顔が凍りついた。
「なぜ……ですの?」
「リスクが高すぎる。アリアの魔力は単一属性(氷)で構造が単純だったから、俺の演算コードを割り込ませる隙間があった。だが、お前の『王家流複合魔術』は複雑すぎる。俺の魔力を無理やり流し込めば、お前の才能そのものが壊れる可能性がある」
それは事実だった。
アリアは「出力過多のエンジン」だったから制御系を書き換えた。
だがシャルロットは「精密時計」だ。俺の規格外の魔力で叩けば、彼女の繊細な良さが失われてしまう。
「だから、お前はそのままでいい。今のままでも十分に強い」
俺は彼女のためを思って言ったつもりだった。
だが、その言葉はシャルロットにとって、最も残酷な拒絶として響いたようだった。
「……嘘つき」
彼女が小さな声で呟いた。
「え?」
「嘘つきですわ!!」
バンッ!!
シャルロットがデスクを両手で叩いた。その目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「リスクなんて言い訳です! 貴方は……貴方は、私が『邪魔』なんですのよね!?」
「なに?」
「アリアは特別。貴方と同じ世界を見ている。でも私は……ただの騒がしいお姫様。守られるだけの足手まとい! だから、貴方の領域には入れてくれないんですわ!」
「シャルロット、落ち着け。俺はそんなつもりで――」
「触らないで!」
俺が伸ばした手を、彼女はパシッと払い除けた。
その拒絶は、俺の予想を超えていた。
「もういいです……。私が惨めになるだけですもの」
シャルロットは涙を拭い、背を向けた。
「実家に帰らせていただきます。……今まで、お世話になりました」
「おい、待て!」
バタンッ!!
重い扉が閉ざされた。
◇
数時間後。
シャルロットは本当に荷物をまとめ、屋敷を出て行こうとしていた。
彼女の従者や護衛もいない。たった一人で、小さなトランクを引きずりながら、正門へと歩いている。
空はどんよりと曇り、冷たい雨が降り始めていた。
「……本気かよ」
俺はため息をつき、転移した。
ザァァァァ……。
雨に濡れる街道。
シャルロットの前に、俺は立ちはだかった。
「退いてくださいまし」
傘も差さずに歩く彼女は、ずぶ濡れだった。自慢の金髪が頬に張り付き、化粧も落ちている。だが、その瞳だけは強情に燃えていた。
「退かん。……こんな雨の中、どこへ行く気だ」
「王都へ帰ります。……ここには、私の居場所なんてありませんから」
「あるだろう。お前の部屋も、席も」
「物理的な場所の話ではありません!」
シャルロットが叫んだ。雨音にかき消されないよう、悲痛な声を張り上げる。
「心の話です! ……私は、貴方の一番になりたかった。貴方の隣で、貴方を支えるパートナーになりたかった! でも、貴方はアリアを選んだ。彼女の魂には触れたのに、私には『そのままでいい』と線を引いた!」
彼女はその場に崩れ落ちそうになりながら、俺を睨んだ。
「『そのままでいい』なんて言葉、優しさじゃありません。それは……『お前には期待していない』と同じですわ!」
胸が痛んだ。
俺の配慮不足だ。
俺は、彼女を「壊したくない」と大切にするあまり、彼女の「強くなりたい」「繋がりたい」という渇望を無視していたのだ。
アリアには「共犯者」としての道を示したのに、シャルロットには「客」としての扱いしかしなかった。
「……悪かった」
俺は雨の中、彼女に歩み寄った。
魔法で雨を弾くこともせず、俺もまたずぶ濡れになりながら。
「私の……何が悪かったんですの……?」
シャルロットがしゃくり上げる。
「努力もしました。貴方に認めてほしくて、家事も覚えた。嫌いなピーマンも食べた。……なのに、どうしてアリアなんですか……っ」
「シャルロット。勘違いするな」
俺は彼女の前に膝をつき、その冷たい手を取った。
「俺がアリアを書き換えたのは、あいつが『未完成』だったからだ。放っておけば壊れる危うさがあった。だから俺のシステムで補強したに過ぎない」
俺は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「だが、お前は違う。お前は『完成』されている」
「……え?」
「お前の魔法は美しい。王家の誇りも、その強情な性格も、努力する姿も。……俺の無機質なコードで上書きして消してしまうには、あまりにも惜しいんだ」
俺は彼女の手を、自分の胸に当てた。
「アリアは俺の『システムの一部』になった。だが、俺がお前に求めているのは、そんな従属的な関係じゃない」
「じゃあ……なんなんですの……?」
「対等な『個』だ。……俺は、俺の色に染まっていない、鮮やかなお前が好きなんだよ」
それは、初めて口にする本音だったかもしれない。
俺の周りは、俺の力に屈服するか、依存するか、恐れる者ばかりだ。
だがシャルロットだけは、最初から俺に正面からぶつかってきた。その輝きを、俺の手で濁らせたくなかった。
「……ヴィクトル……」
シャルロットの瞳が揺れる。
雨粒か涙か、分からなくなった雫が彼女の頬を伝う。
「でも……寂しいですわ。繋がりが……欲しいんです」
「ああ。だから、別の方法を用意した」
俺はポケットから、一つのペンダントを取り出した。
それは魔道具ではない。俺がこの世界に来て初めて、手作業で彫金した、不格好だが温かみのある銀のネックレスだった。
「回路の書き換えはしない。その代わり、これをやる」
「これは……?」
「俺の魔力を封じた『鍵』だ。これを持っていれば、俺の書斎へいつでもアクセスできる。俺の知識、俺の過去、俺の思考……全てをお前に共有する権限だ」
肉体の改造ではなく、精神的な共有。
それは「支配」ではなく「信頼」の証。
「アリアには俺の『力』を預けた。……お前には、俺の『心』の一部を預ける」
俺は彼女の首に、ネックレスをかけた。
銀の鎖が、彼女の白い肌に吸い付くように馴染む。
「……『心』……」
シャルロットがペンダントを強く握りしめた。
その顔に、ゆっくりと赤みが戻ってくる。
「……ずるいですわ」
彼女は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、笑った。
「こんなの……書き換えられるより、ずっと重いじゃありませんか」
「嫌か?」
「……いいえ。嬉しいです。誰よりも……嬉しい」
シャルロットは飛びつくように俺に抱きついた。
雨の中で、冷たいはずの彼女の体は熱かった。
「帰りましょう、ヴィクトル。……私の家に」
「ああ。風邪を引くぞ」
俺はようやく魔法を使い、二人を包む温かい風の結界を展開した。
雨雲が割れ、夕日が差し込む。
帰り道。
シャルロットは俺の腕にしっかりと抱きつき、ペンダントを愛おしそうに撫でていた。
「……でも、アリアには内緒ですわよ? これは私だけの特権ですから」
「分かってる」
「あと……帰ったら、お風呂。……一緒に入って温めてくださいますわよね?」
「……それは」
「身体が冷え切ってしまいましたの。責任、取ってくださいまし?」
彼女は悪戯っぽく、しかし甘えるように上目遣いで俺を見た。
その表情には、もう迷いはない。
「一番」になれなかった劣等感ではなく、「唯一」になれた自信が満ち溢れていた。
……やれやれ。
魔力回路の書き換えよりも、精神的な繋がり(と、これからのお風呂)の方が、よほどタチが悪そうだ。
だが、腕にかかる彼女の重さは、決して悪くはなかった。
「シャルロット可愛い」「ペンダントの重みが良い」
と思っていただけたら、
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