第三十四話 「王女様が『庶民の生活』を体験したら、ただのサバイバルだった」
翌朝。
王女シャルロットの絶叫で、屋敷の一日が始まった。
「な、ななな、何ですのこれわぁぁぁ!?」
ダイニングルーム。
シャルロットは、目の前の光景に立ち尽くしていた。
食卓には、エリスが作った豪華な朝食が並んでいる。それはいい。
問題は、その食べ方だ。
「この肉は私のよ! 泥棒猫!」
「早い者勝ちだもんねー! あーん!」
「ワンッ!(隙あり!)」
ミリムとアリアがフォークとナイフ(と魔法)を使ってソーセージを奪い合い、その隙をついてポチが皿ごと吸い込んでいた。
優雅な王宮の朝食とは程遠い、弱肉強食の戦場。
「野蛮! あまりにも野蛮ですわ! 食事とは、音楽を聴きながら静かに楽しむものです!」
シャルロットが扇子で顔を隠して抗議する。
「ここは俺の家だ。食いたいやつが食う。それだけだ」
俺は新聞を読みながらコーヒーを啜った。
平和ではないが、慣れればこれが日常だ。
「信じられません……! 私は部屋で一人でいただきます!」
「あ、シャルロット様。当家では『食事は全員で』というルールがありまして……それに、自分の分を確保しないと無くなりますよ?」
エリスが申し訳なさそうに言った瞬間、最後のパンケーキがミリムの口に消えた。
「ああっ!? 私の分が!」
「ふふん、油断大敵よ新入り」
「……甘いですね。王女とはいえ、ここではただの同居人Aです」
ミリムとアリアが勝利のドヤ顔を見せる。
シャルロットは震えながら、空の皿を前に涙目になった。
「くっ……! 覚えてらっしゃい! 明日は私の『王家流・食卓作法』を見せつけてやるわ!」
◇
朝食(争奪戦)の後。
シャルロットは優雅にソファに座り、紅茶を飲もうとしていた。
「おい、シャルロット」
「なによ? 今、心の平穏を取り戻しているところなんだけど」
「何くつろいでるんだ。掃除の時間だぞ」
俺はモップを彼女に投げ渡した。
「は?」
シャルロットは、まるでエイリアンを見るような目でモップを見た。
「掃除? 私が? この国の第一王女が?」
「この家には『働かざる者食うべからず』という絶対のルールがある。家賃を払わないなら体で払え」
「か、体で……!? こ、この変態! 何をさせる気よ!」
「労働だ。お前の担当は風呂掃除と、ポチの散歩だ」
俺は淡々と告げた。
エリス一人に任せるのは負担が大きいし、居候が増えた以上、分担は当然だ。
「ふ、ふざけないで! 私は魔法使いよ? 雑用なんて……」
「魔法使いだからやるんだ。魔法の応用練習になる」
「ぐぬぬ……! いいわよ! やってやろうじゃない! 私の魔法にかかれば、お風呂掃除なんて一瞬よ!」
シャルロットはモップを投げ捨て、風呂場へと向かった。
数分後。
ドォォォォォン!!
風呂場から爆発音がした。
「キャァァァァ! 水が! 止まらないぃぃぃ!」
駆けつけると、風呂場は洪水状態だった。
シャルロットが【水流】で汚れを落とそうとして、水圧調整をミスり、蛇口ごと壁を破壊したらしい。
「あわわわ……ど、どうしよう……」
ずぶ濡れのシャルロットが呆然としている。
水は脱衣所まで溢れ出していた。
「……やれやれ。水圧制御もできないのか」
俺はため息をつき、指を鳴らした。
――【流体制御:逆再生】
――【エントロピー減少:破損箇所修復】
シュルルル……。
溢れた水が生き物のように浴槽に戻り、壊れた壁と蛇口が「カチッ」と元通りになった。
ついでに、カビ一つないピカピカの状態に洗浄完了。
「え……? い、一瞬で……?」
「魔法はイメージじゃない。物理演算だ。次からはちゃんと計算式を組んでから撃て」
俺が言うと、シャルロットは悔しそうに唇を噛んだ。
「……わ、私だって本気を出せばこれくらい……!」
「はいはい。次はポチの散歩だ。行ってこい」
◇
そして、最大の試練が訪れた。
ポチの散歩だ。
「なによ、ただの犬の散歩じゃない。これくらい余裕よ」
シャルロットはリード(特注のミスリルチェーン)を持ち、自信満々に屋敷を出た。
「ポチ、行くわよ! 王女である私に引かれる光栄を噛み締めなさい!」
「ワンッ(狩りの時間だ!)」
ポチが走り出した。
その瞬間、シャルロットの体が宙に浮いた。
「えっ? きゃぁぁぁぁぁぁ!?」
ポチの加速は、時速100キロを超えていた。
シャルロットはリードを握ったまま、鯉のぼりのように空中にたなびきながら引きずられていく。
「ちょ、止まって! 死ぬ! 死んじゃうわよぉぉ!」
ポチが向かったのは、屋敷の裏手にある『魔の森』。
そこは、Aランク魔獣が闊歩する危険地帯だ。
ズドォォォォン!
ポチが森に突入し、大木をなぎ倒しながら進む。
シャルロットは木の枝や葉っぱまみれになりながら、必死にリードにしがみついていた。
「ハァ……ハァ……な、なんなのこの犬……バケモノじゃない……!」
その時。
目の前に巨大な影が現れた。
身長5メートルはある『森の主』だ。
「グオォォォォッ!!」
キング・ベアが咆哮し、鋭い爪を振り上げる。
シャルロットが腰を抜かす。
「ひっ……! く、熊……!?」
王宮育ちの彼女にとって、野生の魔獣など図鑑の中の存在だ。
恐怖で魔法の詠唱すら出てこない。
「終わった……私、こんなところで……」
ベアの爪が振り下ろされる――その瞬間。
「ワンッ(邪魔だ)」
バクッ。
ポチが、一口でベアの頭を噛み砕いた。
いや、正確には「スナック感覚」で捕食した。
「ムシャムシャ……ペロリ」
ポチは満足そうに口の周りを舐め、さらに奥へと進もうとする。
「ワン!(次いこう!)」
「……」
シャルロットの思考が停止した。
犬の散歩とは、飼い主が犬を運動させるものではないのか?
ここでは、犬が食物連鎖の頂点を確認するための巡回らしい。
「……もう嫌ぁぁぁ! お父様ぁぁぁ! お城に帰りたいぃぃぃ!」
◇
夕方。
ボロボロになったシャルロットが、ゾンビのような足取りで帰還した。
ドレスは破れ、髪には小枝が刺さり、顔は泥だらけだ。
「あ、おかえりなさいませ」
エリスが温かいタオルを渡す。
「……うぅ……ひどい目に遭ったわ……」
シャルロットはタオルで顔を拭き、へたり込んだ。
だが、不思議と「辞める」とは言わなかった。
「……でも、あの熊、一撃だったわね……」
彼女の脳裏に、ポチの圧倒的な強さと、それを平然と飼い慣らす俺の姿が焼き付いていた。
悔しいが、認めざるを得ない。
この屋敷の住人は、規格外だ。
「ご飯できてますよ。今日は『森のくまさんシチュー』です」
エリスが鍋を持ってくる。
ポチが狩ったベアの肉だ。
「……いただきます」
シャルロットはスプーンを手に取った。
一口食べる。
濃厚な旨味が口いっぱいに広がり、疲れた体に染み渡る。
「……っ!」
彼女の目から、ポロリと涙がこぼれた。
「……美味しい……悔しいけど、美味しいわ……!」
シャルロットは一心不乱にシチューを食べた。マナーも忘れて。
「ふん。庶民の味も悪くないでしょう?」
アリアがニヤリと笑う。
「明日はもっと激しい訓練になるわよ!」
ミリムが笑う。
「……望むところよ! この私が音を上げると思って!?」
シャルロットは涙目ながらも、強気に言い返した。
どうやら、王女様の「庶民生活」は、まだ始まったばかりのようだ。




