第三十話 『出る』屋敷の内見に行ったら、ガチの心霊現象に襲われた」
王都の外れ、鬱蒼とした森の奥深くに、その屋敷は佇んでいた。
ツタに覆われた煉瓦造りの洋館。窓は全て雨戸が閉め切られ、昼間だというのに周囲には霧が立ち込め、鳥の鳴き声ひとつしない。
「……こ、こちらでございます、ヴィクトル様」
案内してくれた不動産屋の男は、門の前でガタガタと震えていた。
顔色は土気色で、脂汗をダラダラと流している。
「築百年の歴史ある物件です。広さは申し分なし。家具付き。お値段は……相場の十分の一、いや、ご希望でしたらタダでも構いません。ただし……」
男はゴクリと喉を鳴らし、掠れた声で言った。
「『決して、鏡を見てはいけません』」
それだけ言い残すと、男は「鍵は開いていますから!」と叫んで、逃げるように森を駆け去ってしまった。
「……失礼な奴だな。客を置いていくとは」
俺は呆れて溜息をついた。
背後には、アリア、ポチ、ミリム、セシリア、そして「魔界の知識が必要かもしれない」と呼び出されたレオンがいる。
「師匠。空気が……重いです。気温は適温のはずなのに、肌が粟立つような寒気を感じます」
アリアが珍しく杖を強く握りしめている。
彼女の氷魔法による冷気とは違う。もっと粘着質で、湿った、不快な寒さだ。
「……ここ、ヤバいよ。魔界の『奈落』と同じ匂いがする」
レオンが真顔で呟いた。普段の生意気さは消え、尻尾を巻いている。
セシリアも十字を切っていた。
「怨念……いえ、もっと古い『呪い』の澱みを感じます。祈りが……届きません」
「入るぞ。外にいても始まらん」
俺は錆びついた門を押し開けた。
ギギギギギ……。
不快な金属音が森に響き渡る。
玄関ホールに足を踏み入れると、バタンッ!! と背後の扉が勝手に閉まった。
完全な闇。
……ではない。
廊下の奥、突き当たりの壁に掛けられた『巨大な姿見(鏡)』だけが、月明かりもないのにボウっと青白く発光していた。
「……鏡を見るなと言われた矢先にこれか」
俺たちがその鏡に近づいた、その時だった。
ピチャッ、ピチャッ、ピチャッ……。
水音がした。
どこから?
足元だ。
いつの間にか、床が「黒い液体」で満たされていた。それは水ではなく、ドロドロとしたヘドロのような、あるいは古びた血液のような液体だった。
「きゃっ! なにこれ、気持ち悪い!」
ミリムが悲鳴を上げ、宙に浮こうとする。
だが。
「……飛べない? 魔力が……練れない!?」
ミリムが愕然とする。
この空間は、こちらの魔力回路を強制的に閉塞させている。魔法が使えない。
「……師匠。私の氷魔法も発動しません。物理法則が歪められています」
アリアの声が震えている。
そして、異変は起こった。
正面の『鏡』。
そこに映っている俺たちの姿が、変だった。
俺たちは棒立ちしているのに、鏡の中の俺たちは――全員、首から上が無かった。
『……みぃつけた……』
耳元で、濡れた女の声がした。
ぞわり、と全身の毛が逆立つ。
声は、前後左右、上下、全方位から聞こえた。いや、脳内に直接響いている。
『……新しい、器……ちょうだい……』
ズズズズズ……。
鏡の中から、何かが這い出てきた。
長い黒髪。白装束。爪の剥がれた血まみれの手。
典型的な悪霊の姿だが、その存在感は桁違いだ。
質量を持った「絶望」そのものが、ズルリとこちらの世界に侵食してくる。
「ヒッ、ヒィィィ! これ『鏡の魔女』だ! 魔界でも禁忌とされてる都市伝説級の怪異だぞ!?」
レオンが腰を抜かした。
「ま、魔法が効かない相手だ! 物理攻撃もすり抜ける! 『認識』した時点で死ぬんだ! 終わったぁぁぁ!」
女の霊が、ゆっくりと顔を上げた。
髪の隙間から覗くその顔には、目も鼻も口もなく、ただ「空洞」だけがあった。
『……オマエ、きれい……』
女の霊が、アリアに狙いを定めた。
スゥゥゥ……と腕が伸びる。
ゴムのように、あり得ない長さまで伸びた腕が、アリアの首に絡みついた。
「ぐっ……!?」
アリアが苦悶の声を上げる。
物理攻撃ではない。魂を直接締め上げられているのだ。
「離れなさい! この……!」
セシリアが聖水を投げつけるが、液体は女の体をすり抜けて床に落ちただけだった。
ポチが噛みつこうとするが、虚空を噛むばかり。
ミリムが爪で引き裂こうとしても、空気を切るだけ。
完全に「詰み」の状況。
絶対的な無力感。
女の霊の「空洞」が歪み、笑ったように見えた。
『……いただき、ます……』
アリアの体が、鏡の中へと引きずり込まれそうになる。
その絶体絶命の瞬間。
「……おい」
俺は、女の霊の「腕」を掴んだ。
バチチチチチッ!!
俺の手と、霊体の腕が接触した瞬間、激しいスパークが発生した。
本来触れられないはずの霊体が、俺の掌の中で「実体」として固定される。
『……ア?』
女の霊が動きを止めた。
空洞の顔が、俺の方を向く。
「人の弟子に気安く触るな。教育に悪い」
俺は静かに言った。
恐怖はない。あるのは、ただの不快感だけだ。
「この屋敷の『管理者権限』を主張しているようだが……生憎、俺はもっと上位の権限を持っている」
俺は空いた手で、空中に複雑な数式を描いた。
――【空間解析:閉鎖次元・位相ズレ検出】
――【強制介入:座標固定】
――【対象プロパティ変更:『幽霊』→『オブジェクト』】
「貴様は『現象』ではない。ただの『エラーデータ』だ」
ギチチチチチ……!
俺が握りしめた腕が、悲鳴を上げた。
女の霊が暴れる。だが、俺の手は万力のように外れない。
「魔法が使えない? 当然だ。ここは鏡の中の『虚数空間』とリンクしているからな。だが、空間ごと掌握してしまえば関係ない」
俺は足を踏み鳴らした。
――【領域展開:ヴィクトル・システム】
――【上書き保存:正常空間】
パリンッ!!
世界が割れる音がした。
周囲の闇が、霧が、そして不気味なヘドロが、ガラス細工のように砕け散った。
後に残ったのは、埃っぽいだけの古びた洋館のホール。
そして俺の手の中には、白装束の女が「首根っこ」を掴まれてぶら下がっていた。
もはや不気味なオーラはない。ただの、顔色の悪い女性(幽霊)だ。
「あ……あ……?」
女の霊から、本来の声が漏れる。
顔の空洞が消え、普通の(しかし怯えきった)顔が現れた。
「さて。不法占拠者のお嬢さん」
俺は彼女を床に立たせた。
彼女は腰を抜かし、ガタガタと震えながら後ずさりする。さっきまでの威厳はゼロだ。
「家賃を払えとは言わん。だが、ここは俺たちの新居だ。選択肢をやろう」
俺は指を二本立てた。
「1.俺に『完全消去』されて、二度と存在できなくなる」
「2.この屋敷の『管理人』兼『メイド』として、死ぬほど(死んでるが)働く」
俺はニッコリと笑った。
背後では、九死に一生を得たアリアが、怒りの形相で氷の剣を生成していた。
ポチは「ワンッ(食っていい?)」と涎を垂らしている。
レオンは「ヴィ、ヴィクトル……お前、バケモノか……?」と引いている。
「ひっ……!」
女の霊は、涙目で俺たちを交互に見比べた後。
スライディング土下座をした。
『は、働かせていただきますぅぅぅ! 掃除洗濯、呪いの代行まで何でもしますからぁぁぁ!』
◇
数時間後。
屋敷の窓が全て開け放たれ、爽やかな風が吹き込んでいた。
「ここのシミ、まだ取れてないわよ!」
『は、はいぃ! すぐに落としますぅ!』
ミリムが指差す先で、白装束の幽霊(名前はサダコに決定)が、雑巾掛けをしていた。
彼女は鏡を通って瞬時に移動できるため、掃除の効率が異常に良い。
「師匠。この屋敷、意外と悪くありませんね。あの幽霊、冷房代わりにもなりますし」
アリアが満足そうに頷く。
サダコの周囲は常に冷気が漂っているため、夏場は快適そうだ。
「ワンッ(広い!)」
ポチは広い廊下を走り回っている。
「……信じられん。あの『鏡の魔女』を家政婦にするなんて……」
レオンだけが、まだ現実を受け入れられずにいた。
こうして、俺たちは無事に(?)広大な新居を手に入れた。
家賃はタダ。オマケに便利な幽霊メイド付き。
最高の物件じゃないか。
「さて、今日は引っ越し祝いだな」
俺が言うと、サダコが台所から顔を出した。
『あ、あの……夕食の材料、冷蔵庫に入れておきました……呪いは抜いてあります……』
……まあ、少し顔色は悪いが、悪い奴じゃなさそうだ。
「ガチホラー、からの物理的解決」
鏡の魔女サダコさんが仲間に加わりました(強制)。
彼女は今後、屋敷のセキュリティシステム兼、便利屋として活躍します。
ヴィクトルにかかれば、心霊現象もただの「システムエラー」です。
「最初はマジで怖かった」「サダコさん可哀想w」
と思っていただけたら、
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