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その瓶には、どす黒い、まるでドブのような液体が入っている。
そしてもう片方の手には、いつも書き綴っていた分厚いノート。
「ほらよ」
ベールはそのノートをサキレスの前に放り出す。
おまけに、瓶をサキレスの前へ置くが、蓋まで親切に開けてあった。
サキレスは訝しげに瓶を覗き込み、盛大に眉をひそめる。
当然だ。
見た目はドブ、匂いもまた強烈な匂いを放っているのだから。
それを目の前に出されて平然としていられる人間など、そうはいない。
「……そいつは先日、竜騎士が毒にやられた時に飲ませたものだ。いわゆる、解毒薬だ」
「解毒薬?……これを飲んだのか……」
サキレス様が、珍しく信じられないという顔で愕然としている。
「ああ。まだ改良の余地はあるが、即効で解毒ができる状態だ。そして、この薬には、もう一つの効果が確認された」
「……もう一つの効果?」
「ああ。そいつには『魔物の無効化』……いや、『元の魔物に戻す』と言ったほうがわかりやすいか。……魔物に飲ませると、その効果が確認できた」
「!!魔物の無効化だと……?」
サキレスが思わず腰を浮かせる。
「ああ……ただし、まだ完成度は半分にも届かん。魔物の大きさによっては、ほんの数刻しか効果が持たない」
「……それが本当なら、すごいことだぞ」
「だが見ての通り、この液体を異形種に直接飲ませるのは骨が折れる。そこで……そこの弟子が、原因となっている花そのものに与えて、花自体を無効化すれば、異形種が増えないのではと考えた」
サキレスは驚いたように、隣のヘーゼルを見る。
「花の無効化……?」
「ああ。で、そこの弟子が『実験できる魔の森に入ろう』なんて言い出したからな。もちろん、断った」
「!あ、あれはっ……!」
サキレスの視線に気づいたヘーゼルは慌てて弁解しようとしたが、結局、自分が言ったことだと思い出して口を噤むしかなかった。
「ほう……それは確かに、無謀だな。ベールが止めて正解だ」
サキレスに呆れたような目を向けられ、ヘーゼルは顔を真っ赤にして俯いた。
「で、先ほど話した『赤い花にこの液体を吸わせた結果』が、これだ」
ベールはまたもや書類の陰から花瓶を引っ張り出し、テーブルにカタンと音を立てて置いた。
「!!師匠!こ、これは……!」
今度はヘーゼルが思わず立ち上がり、目を見開いて花を見つめた。
花瓶に挿されたその花は、真っ白な柔らかな花びらと、翡翠色の光が透けるような葉を持つ、美しい一輪の花だった。
「も、もしかしてこれは……」
震える指先で花びらをそっとなぞるヘーゼルに、ベールが言う。
「あの液体を吸わせた『元・赤い花』だ」
「……色が変わって……か、香りは?!」
ヘーゼルはその白い花に顔を近づけ、香りを確かめた。
「……香りが、きつくない……」
「そのようだな。まだ魔物に与えてはいないからハッキリとはわからないが……無効化できている可能性が高い」
「花の無効化に……成功した?」
ヘーゼルは震える声で小さく呟く。
「さらに、この花に赤い染粉を溶かした液体を与えたら……」
ベールは、もう一つの花瓶をトンと置いた。
そこにあったのは、白い花とは対照的な、赤に紫がかった葉を持つ花。
ただし、その香りは白い花と同じく、ほとんど主張しないほど穏やかだった。
「よく見ると違いはわかるが……ぱっと見では元の花と遜色がない色だな……」
サキレスは真剣な表情で、その花をじっと見つめた。
「つまり、この花のように、現在植えられている赤い花を無効化すれば、異形種の発生を抑えられる、ということか……。これは、かなり……」
唸るように呟いたサキレスは、テーブル上の地図を掴み、ベールに押しつけた。
「とりあえず、この地図をお前に渡しておく。騎士団も護衛につけよう。すぐに取りかかれるか?」
「……まずは魔物での実験を済ませてからだ。……まあ、護衛がつくなら早々に取りかかれるだろう」
ベールは押しつけられた地図をちらりと見た。
「よし。いい話を聞いた。……ヘーゼル嬢、馬車で先に屋敷へ戻ってくれないか。私は殿下のところに寄ってから帰るので」
「あ、はい。わかりました……」
ヘーゼルが答えると、サキレスは急ぎ足で研究室を後にした。
残されたヘーゼルは、キラキラと輝く瞳で白と赤の花を見つめる。
すっかりベールの不興を買ってしまったことなど、頭から抜け落ちてしまって……。
「……で、ヘーゼル?……寝ている俺を起こした謝罪はなし、か?」
皮肉めいた笑みを浮かべながら、ベールがこちらをじっと見ている。
「そ、そうでした!師匠、申し訳ありませんでした。いくら強制的にサキレス様に連れてこられたとはいえ……貴重な師匠の睡眠を邪魔してしまったのは確かです……」
ヘーゼルはそう言って、深く頭を下げた。
「……まあ、サキレスに捕まって連れてこられたなら仕方ないか……。お前ももう帰って寝ろ。明日は朝から実験が山ほどあるんだからな。俺も寝る。さっさと部屋から出ていけ」
「っわ、わかりました!明日も早めにこちらに参ります!」
ベールは無言で扉を開け、外へ出るように促す。
扉の前には、メレドーラ家の護衛騎士が立っていた。
ヘーゼルの背を軽く押しながら、ベールは短く告げる。
「ああ……明日な」
そう言って、静かに扉を閉めた。




