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ヘーゼルは、翌日もその翌日も、結局師匠にこき使われ、くたくたになるまで手伝わされていた。


ヘーゼルとベールは、魔物の無力化の薬の仕上げに取りかかっていた。


「やはり、ただ絞っただけの汁では、数刻もすれば元の魔物に戻ってしまうな……。凶暴性も完全には抑えきれない。しかも、魔物が大きくなればなるほど、必要な量も増える……」


そう、最初に師匠が勝手に凶暴な魔物に与えた薬の量では、明らかに足りなかったのだ。

結局、あれからすぐに暴れ出しまった。


この薬の最大の問題は、大きな体の魔物には持続性がないということだ。


暴れる魔物に何度も飲ませているが、大型の個体には効果の持続が短く、長くはもたない。

一方で、あの小さなネズミ型の魔物は、いまだに大人しいままだった。


「せめて、凶暴性が完全に半減するなど、決定的な結果が出ればいいのですが……」


確かに、一時的にでも魔物をおとなしくできれば、その隙をついて討伐することは容易い。

だが、効果の持続時間が個体によってまちまちでは、どれほど安全に近づけるか分からない。

薬が効いていると思って接近した途端、効果が切れて暴れ出す。そんなことになれば、被害が広がるだけだ。


「結局のところ、液体を飲ませるのも一苦労だな。そこにも改良の余地がある……」


「そうですね……勝手に摂取してくれればいいのですが……まあ、そんなこと、無理ですよね……」


「ああ、チビのネズミは進んで飲んだが、体の大きな個体は自ら飲みにはいかなかったからな…………まあ、いい、今日はこの辺にしておこう。お前の宿泊先から、お迎えが来ているぞ」


扉の方を見ると、メレドーラ家の護衛の騎士が立っていた。


「ご苦労様です。今、帰り支度をいたします」


そう言って、ヘーゼルは自分の私物を鞄にしまいはじめた。


ここ最近、メレドーラ公爵から護衛をつけるよう命じられている。

以前、一度攫われたこともあるためだが。

屋敷の中も外も見渡す限り厳重な警備が敷かれており、どうやらそれだけが理由ではないらしい。


公爵家なりの、何か事情があるのだろう。


ヘーゼルは居候のような立場で、本来ならメレドーラ家で大人しくしているべきかもしれなかった。

だが、いまは魔物の弱体化薬の研究を手伝っている身。申し訳ないと思いつつも、調査部への出入りを続けている。


現在は、公爵の厚意に甘えて、行きと帰りの両方に護衛をつけてもらっていた。

せめて手を煩わせぬよう、決まった時間に出て、決まった時間に戻ることを心がけている。


「では、師匠、また明日……必ず食事を摂るようにしてくださいね」


「……ああ……」


支度を終え、そう言って振り向くと、師匠は机に向かい、ノートに何やら書き込んでいた。

おそらく、この返事も半ば上の空だろう。

ヘーゼルはため息をひとつつき、護衛騎士のもとへ歩いていった。


調査部からメレドーラ家までは歩いて帰れる距離だが、いまは馬車に揺られている。


(事情はわからないけれど……サキレス様も帰らない日が続いているようだし。何もなければいいのだけど……)


街の灯が窓を流れていく。

ヘーゼルは揺れる景色を眺めながら、静かにそう願った。


「おかえりなさい!助教授!!」


邸の扉が開いた瞬間、珍しく出迎えてくれたのはナーラスだった。


「……ただいま戻りました。ナーラス様?何かございましたか?」


「はい!商品が出来上がりました!助教授に見ていただきたくて。母上とお祖母様もいらっしゃいますから、食事の前にぜひ!」


「まあ!もう完成したのですか?さすがメレドーラ家の皆様だわ。ぜひ、拝見させてください!」


ヘーゼルは、驚きとともに胸を高鳴らせながら、ナーラスの後を追った。

わずかな間に商品化までこぎつけるとは。

その迅速さは、さすが名門メレドーラ家である。


案内されたのは、以前ナーラスに調合を教えた部屋だった。

扉を開けると、部屋の中央に据えられた大きなテーブルの前で、ラグーナ様とシャナ様が立ったまま談笑していた。


「おかえりなさい、ヘーゼルさん」


咲き誇る大輪の花のような笑顔で迎えてくれたのは、シャナ様。


「疲れていないかしら?」


柔らかく声をかけてくれたのは、ラグーナ様だった。


「ただいま戻りました。はい、おかげさまで、疲れておりません」


ヘーゼルがそう言って微笑むと、シャナは優雅な仕草で彼女のもとへ歩み寄ってきた。


「ヘーゼルさん、化粧品が出来上がったわ。見てください」


シャナは嬉しそうに声を弾ませ、ヘーゼルの手を取ってテーブルのそばへと導いた。


「まあ……!」


テーブルの上には、カラフルで美しい形のガラス瓶がずらりと並んでいた。

その隣には、同じ色合いの小さな器が並んでいる。二つはペアになるようにデザインされており、器の方には明るい色の木の蓋がついていた。


「香りごとに色が違うのよ。ピンクは花の香り、緑はハーブ、黄色はフルーツ。

そして……」


シャナはにっこりと笑って、青い瓶を手に取った。


「私のお気に入りはこの『星空』の香りなの」


「星空……?」


「ええ。ナーラスが夜空をイメージして調香したものなのよ。澄んでいて、どこか涼しげな香りがするの。嗅いでみて」


渡された瓶の蓋をそっと開け、ヘーゼルはスンッと香りを吸い込んだ。

瞬間、胸の奥に静かな夜気が広がり、遠い月明かりを思わせる。


「ああ……素晴らしいですね、ナーラス様。香りをイメージで表現するなんて、考えたこともありませんでした」


しかも、どんなに鼻を澄ませても薬草の匂いがしない。

どうやってあの独特の香りを調香で消したのか、まるで魔法のようだ。


(これは、きっとご婦人たちに人気が出る……間違いなく)


そう思いながら、もう一度そっと瓶を傾けて香りを確かめた。


「ありがとうございます、助教授」


ナーラスの目がきらきらと輝く。


「香りだけでなく、クリームにも保護作用のある薬草を増やしてみました。より長持ちするように、少し工夫したんです」


『塗ってみて!』と言いたげな目に促され、ヘーゼルは器の中の薄緑色のクリームを指に取り、手の甲に伸ばした。


(あら、軽いわ。よく伸びるし、ふんわり漂う香りが本当に素敵……)


するすると肌になじみ、気のせいか、手の甲の色が少し明るくなったような気がした。


「とても……洗練されたクリームです。これならご令嬢もご婦人もこぞって買われますね。ナーラス様、本当に素晴らしいです」


ヘーゼルの賛辞に、ナーラスは嬉しそうに頬を染めた。


「ああ、あとこれは……」


ナーラスは鮮やかな赤い瓶を差し出した。


「これは僕からのお礼です。助教授をイメージして作った、一本限定の『ヘーゼル』の香りです」


誇らしげに胸を張る少年を前に、ヘーゼルは思わず息を呑んだ。


「ナーラス様……」


感動を込めて瓶の蓋を開け、そっと鼻先に近づける。

ふわりと漂うその香りは、複雑で奥行きがあった。

甘く柔らかなバニラの中に、柑橘と若葉の爽やかさが潜み……。

それでいて、どこか芯の通った強さを感じさせる。


女性らしい優しさと、静かな意志。

そのどちらもを感じさせる、印象的な香りだった。


「こ、この香りが……私をイメージしてくださった香りなんですか?なんて優しく、そして清々しい香り……。先ほどの『星空』の香りも素晴らしかったですが、これは……私だけの香り……」


胸の奥がじんわりと熱くなり、ヘーゼルは言葉を詰まらせた。


「はい。あえて薬草の香りは少し残したんです。薬草は助教授には切っても切れないものですからね!」


ナーラスは誇らしげに胸を張る。


「それから、明るいイメージのある柑橘を少し……あとは……アクオス叔父さんに聞いて、ベースの甘い香りを決めました!」


「アクオス様に?」


「はい。母上がそうしろって言うので」


ナーラスがシャナを見る。

見られたシャナは一瞬あたふたと慌てたように見えたが、すぐににこりと笑顔を取り戻した。


「ナ、ナーラス……ええと……ほら、ヘーゼルさんは今度お祭りに行くでしょう?だから、アクオスに『ヘーゼルさんに合う香り』と、一応確認してもらったのよ……」


「まあ……そうなんですね。皆さま、本当にありがとうございます。こんなに素敵な香りをいただけるなんて、とても嬉しいです」


「それから、もうひとつ見ていただきたいものがあるんです!」


ナーラスが弾んだ声を上げた。


「お店のオープン記念に、来店された方へ配ろうと思っている花です」


「まあ!すごい……なんて美しい薔薇!こんなの初めて見ました!」


ナーラスが差し出した花を受け取ると、ヘーゼルは思わず息を呑んだ。


その薔薇の花びらは、まるでガラスの器のように透明感があり、虹のように色が移ろっている。

一本の薔薇の中に、いくつもの色が散りばめられていた。

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