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「師匠〜!竜騎士団の方が魔物を連れてきてくださったので、種を置いてきました。五番と書かれた札のかかった檻のそばで育てています」
調査部の師匠の部屋に入ると、相変わらず足の踏み場もない。
山のように積まれた本と紙束、薬草の瓶が無秩序に散乱し、どこが床なのか分からない。
「……どのくらいで芽が出そうだ?」
姿は見えない。
本の積まれた奥の方から、くぐもった声だけが響く。
「感情が豊かなほど、植物に与える栄養は大きいのなら……わりとすぐかと……」
そう答えた瞬間、本の山の隙間から、にょきりと手が突き出された。
差し出されたのは、正体不明のドブみたいな色の液体が入ったコップ。
床すれすれから手が出てきたので、師匠は寝転んでいるか、床に直接座っているのだろう。
「このぐらいの……匂いなら飲めそうか?」
唐突に飛び出した言葉に、ヘーゼルはぎょっと目を見開いた。
(え?それを嗅げと?)
大いに躊躇はしたが、ヘーゼルも研究者の端くれだ、差し出されたままのコップに恐々と近付くと、スンっと鼻を動かす。
「……私は絶対に飲みませんが……昨日よりはマシな匂いです。ですが……色がさらに悪くなりましたね」
濁った液体は、まるで排水溝の中身をすくい上げたような色をしている。
嫌な光沢が表面に浮いていて、思わず顔をしかめた。
「俺はさっきから、ポレンタの毒を飲んで、この草の汁を飲んでの繰り返しだがな……まあ、最初よりは飲めるようになったぞ……魔物にも飲ませるが、解毒としての効能も最上位だ。どちらの使用用途にも使えるようにしないとならん……」
「……ポレンタ!?」
ヘーゼルは思わず声が裏返った。
ポレンタの毒は、一滴で全身が麻痺し、二滴で命を落とす猛毒だ。
師匠のその薬草の効能の話よりも、ヘーゼルはポレンタの毒を飲んだ話に引っかかった。
「師匠!?な、なんでそんなものを……!」
慌てて本をかき分け、奥へと進む。ようやく見つけたベールは、床に寝転がっていた。
乱れた髪の隙間から覗く紫の瞳は充血し、焦点が合っていない。
腕や足は赤く腫れ、ところどころ皮膚が爛れていた。
明らかに毒の症状が出ている。
「し、師匠!!大丈夫ですか!?なんで、ご自身で研究なんて!?目、見えますか!?」
「……大丈夫だ。触るな……」
力なく言い放つ声に、ヘーゼルの胸が締めつけられる。
「どうして……どうして、こんな無茶を……!」
こみ上げる怒りと恐怖に、視界が滲んだ。
慌ててポットを探し、水を飲ませようとするが、ベールは咳き込みながらも手で制した。
「ゴホッ……ヘーゼル、大丈夫だ。あと数分で解毒する……ギャーギャー騒がず、そこの椅子に座ってろ」
信じられない。
こんな状態で「大丈夫」だと言える神経が。
だがしばらくすると、ベールの言葉通り、赤く爛れていた皮膚が少しずつ落ち着き、やがて彼はむくりと起き上がった。
「……うん。やはり他の薬と合わせると、少し解毒の作用が落ちるな……」
そう呟きながら、机の端に置いてあった紙に何かを書きつけ、ぶつぶつと独り言を始める。
その姿を見た瞬間、ヘーゼルの中で感情が弾けた。
「師匠……」
低く、震える声で呼ぶ。
その声音には、これまでの彼女にはなかった鋭さが宿っていた。
ペンを走らせていたベールは手を止め、不思議そうに顔を上げる。
「どうした?ヘーゼル?何か気になった結果でもあったか?」
「師匠は……どうして、そんなに自分に無頓着なんですか?」
言葉は震え、しかし瞳は真っ直ぐに彼を射抜く。
相当怒っているようだ。
「え?……」
「も、もし、その解毒薬の効果が低かったら……どうされるおつもりだったのですか……!」
込み上げる怒りに声が詰まり、涙が溢れそうになる。
「ヘーゼル……?」
ベールの声音が、少しだけ戸惑っている。
部屋に充満する薬草と毒草の入り混じった匂いに、ヘーゼルは思わず顔をしかめた。
鼻腔を刺す刺激臭の中で、師匠が平然としているのが信じられない。
「確かに、私たち研究者は、自分を実験台にすることもあります。でも、それは命に関わらない範囲でのことです。誰も、師匠のように危険を冒したりはしません!……この研究が素晴らしいことは、私もわかっています。でも、命を賭けるほどのことなんですか?少しはご自身のことも考えてください!」
怒りと涙が入り混じり、一気にまくし立てるヘーゼルにベールはふっと口角を上げた。
「わ、笑い事じゃありません!本当に危ないことをしているんですから!」
「……わかってる。悪かった……でもな、時間がないんだ。それまでに間に合わせなければ、この薬は意味をなさなくなるかもしれない」
「そうだとしても、人体で実験するなんて間違っています!」
「……そうだな。だが今回は約束できん。俺にはこれしか手段がないんだ」
「ダメです!こんなことを続けたら、本当に命を落とします……そんなの、絶対ダメです!」
「今回は……人の命がかかっている。俺の大切な……友人の命がな」
ベールの視線が自然とヘーゼルに向かう。
「ご友人……の命?」
「そうだ。とても大切な人だ。だから約束はできないが……なるべく早く完成させる。多少は許して欲しい」
ベールにしては珍しい物言いにヘーゼルは、はっと息を飲む。
そして、じっとベールを見つめる。
「い、いくらご友人のためでも……そんなやり方で救っても……きっとご友人だって喜びません……!」
今日のヘーゼルは、いつになく強く食い下がった。
よほど、ベールが毒を飲む姿が許せなかったのだろう。
そのヘーゼルの様子に、ベールはふっと息を吐く。
「……まあ、そうかもしれんな……」
「じゃあ、毒を飲むのはやめてください!それに、竜騎士団の方がもう魔物を連れてきてくださいますから!」
「……わかった。毒を飲むのはやめる。だから落ち着け……」
興奮と怒り、心配と困惑。
心の中がぐちゃぐちゃになり、ヘーゼルの目からぽろぽろと涙があふれる。
ベールはそんな彼女の頭を軽くぽんぽんと叩き、積まれた本の隙間からハンカチのような布を取り出して差し出した。
だがそれを見たヘーゼルは、ゆっくり首を横に振る。
「いえ……自分のを使います」
鞄から自分のハンカチを取り出し、涙を拭う。
その様子を見て、ベールは口元を歪める。
「……お前、失礼だな。使ってないから綺麗だぞ?」
そう言って手元のハンカチを眺めるが、ヘーゼルはいっそう顔をしかめた。
「結構です。師匠の部屋の……そんなところにあったもの、何が付いているかわかりませんから」
「……」
ベールは苦笑し、ハンカチをポイと机の上に放り投げた。
「……では、薬草がどれだけ芽吹いたか、見に行ってみるか……お前も行くかヘーゼル?」
ヘーゼルは鼻をぐずぐずと鳴らしながら、こくんと頷いた。




