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師匠の研究室をノックすると、すぐに「入れ」と短い返事があった。


「師匠、入りますね。見つかりましたよ!……」


勢いよく扉を開けたヘーゼルは、意外な人物と目を合わせることになった。

そこに座っていたのは師匠ではなく、ゆったりとソファに腰かけたザイル王太子殿下だった。


「!!ザ、ザイル王太子殿下!」


思わず悲鳴のような声を上げ、慌ててスカートの裾をつまみ深く膝を折る。


「ヘーゼル・ガゼットが王太子殿下にご挨拶いたします!」


「こんばんは、ヘーゼル嬢。……そんなに構えなくていいよ」


ザイルは軽やかな笑みを浮かべて片手を軽く上げた。


「……それよりも……何を見つけてきたのかな?」


「あ、あの……植物の種です……」


「植物の種?」


ちょうど脇からベールが声を挟む。


「殿下、その種はヘーゼルが研究のために集めていたものです」


「ほう。今度はどんな研究を?……」


「え?……そ、それは……」と言葉に詰まるヘーゼル。


ベールはため息をひとつ吐いて、すかさず話を引き取った。


「解毒薬の研究ですよ。……我々薬師は、日々研究に追われておりますので……」


「……なるほど」


ザイル殿下は深くは追及せず、椅子にもたれかかった。


「いや、なに……、ヘーゼル嬢はあの画期的な魔物避けを生み出した人物だろう?つい、期待をしてしまって、質問しただけだ。気にしないでくれ」


気さくな微笑みを向けられ、ヘーゼルは胸をなで下ろす。


(よ、よかった……怪しまれなくて……!)


「……それはそうと……ヘーゼル嬢?花祭りにアクオスと行くと聞いたが」


「はい。行きます」


「そうか。実は、私も行くのだが……」


「え?ご一緒にですか!?」


ヘーゼルの思わぬ勘違いに、ベールの眉がぴくりと動く。

一方のザイルは小さく吹き出してから首を振った。


「いや、別で参加する」


「そうですか……」


(まあ、そうよね?王太子殿下が私たちと一緒に行くわけがないわよね?……)


「……そこでひとつ、お願いがある」


「お願い……ですか?……」


「ああ。花祭りの会場で私を見かけたら、すぐにその場を立ち去ってほしい」


「お声をかけずに、ということですか?」


「そうだ。お忍びで参加するつもりでね。……相手の女性が人慣れしていないのだ。だから私も、彼女と静かに過ごしたいと思っていてね」


「まあっ!もちろんです!決して王太子殿下の恋路を邪魔はいたしません!」


両手を胸の前で握り、目をきらきらと輝かせて宣言するヘーゼル。(殿下の恋路をお守りしますとも!)と張り切る。


だが、ベールはヘーゼルの横顔をちらりと見てから、鋭い視線をザイル殿下へ向ける。


王太子の表情は終始穏やかだった。

だが、ほんのわずかに口角が吊り上がる。

その笑みは、ヘーゼルが想像する「恋に浮かれる青年」のものというよりは、盤上に駒を並べる策士の余裕に近かった。


「アクオスにもそう伝えておいてくれ……。では、頼んだぞ」


そう言い残し、殿下はゆったりと立ち上がり背を向ける。

足音が遠ざかっていく間も、ベールの視線は彼の後ろ姿を刺すように追っていた。


「ヘーゼル、花祭りに行くのか?」


「え?はい。アクオス様からお誘いいただいたので……」


「行かない方が良い」


「……もう行くと返事をしてしまっています。なぜそんなことを言うのですか?」


「……はっきりとはわからないが……あの殿下の目が……」


ベールはいぶかしげな顔をしている。

ヘーゼルはそこで、はっと気がつく。


(師匠はもしかしたら、仲の悪いアクオス様と自分の弟子が出かけるのが嫌なのかもしれない!)


「……もう!師匠、いい加減アクオス様と仲良くなってください。駄々っ子みたいですよ」


「っな!違うぞ!そんなことでは…………」


「ふふ、アクオス様が苦手なら、もう大人なんですから、頑張って克服してください」


「……苦手ではない」


「またまたー、そうやって師匠はいつも……」


ヘーゼルが可笑しそうに笑うと、ベールは短く息を吐き、いつもより低い声音で呟いた。


「……誰だって、自分のものが横から取られたら嫌だろ?ただ、それだけだ」


「アクオス様に何か取られたのですか?」


「ああ……取られそうになっている」


「まあ……では、返して欲しいと仰ってみたらよいのではありませんか?」


「……そう言っていいのか?」


ベールがぽつりとつぶやき、ゆっくりと歩み寄る。

ヘーゼルは思わず一歩下がるが、背中はすぐに壁にぶつかってしまった。

逃げ場を失った瞬間、ベールがふっと笑みを浮かべ、両手を壁につく。


「し、師匠……?」


近い。

吐息が触れるほどの距離。


ヘーゼルは戸惑いに目を泳がせるが、正面にいる師匠の顔から目を逸らせなかった。


いつも前髪に隠れてよく見えなかった瞳が、下から覗き込む形で今は、はっきりと映る。


その瞳は深いアメジストの輝きで、今にも吸い込まれそうなほど深い紫色。


思わず胸がどくんと跳ねた。

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