82
「こんにちは!カレンさん!」
勢いよく扉を開けて大声で挨拶をした途端、店内の空気が一瞬ざわつく。数人の客がこちらを見て、すぐにまた視線を手元にす。
ヘーゼルは慌ててカレンへ小さく会釈する。
「あら、こんにちは、ヘーゼルさん。いつも元気ね。今、対応中だからちょっと待っててね」
「あ!す、すいません。は、はい、待ちます!」
カウンター越しに、カレンがにこやかに手を止めず客を対応している。そこへ、見知った顔がこちらを見た。
「ヘーゼル?……おや、おぼっちゃまの薬師じゃないか」
「あ、ビギンズさん。こ、こんにちは」
「今日もお坊ちゃまの頼みで、あんたの薬を取りに来たんだけどさ、例のあの液体……なんて言ったかね、あの飲み薬が、たいそう効くっておぼっちゃまが言ってね」
「……そうですか。それはよかったです」
ヘーゼルは胸を撫で下ろす。
ビギンズが、ふとヘーゼルが手元に握りしめている草に気づき指差して尋ねる。
「……それ、あんた手に何を持ってるんだい?」
「え?あ、これは……」
ヘーゼルは手に握っていた薬草を見つめる。
葉は青々とし、さわると独特な匂いがほのかに立つ。だがビギンズはその匂いに懐かしげな顔をする。
「あんたが入ってきた時、懐かしい臭いがしたが……その草か」
「え?……この薬草をご存じなんですか?」
ヘーゼルは目を見開く。
「ああ、祖国だとそこらへんに生えてた草だよ」
ヘーゼルは改めて、自分の手に握りしめている薬草を見下ろした。
カレンがガゼル王国の出身だと知っていたからこそ、何か手がかりが得られるかと訪ねてきたのだが……まさか別の人物から、早々に思わぬ情報がもたらされるとは。
「……祖国?」
「そうさ。ザイール王国だよ」
「ザイール……」
「まあ!ビギンズさん、ザイールのご出身だったのね。私はザイールのお隣、ガゼル王国よ」
「ほう、カレンさんはガゼルだったか。なるほど、道理で……」
ふたりは互いの出身地が隣国だと知ると、途端に話が弾みはじめた。ヘーゼルはそんな様子を見守りながらも、胸の奥に湧き上がる焦りを抑えきれず、ついに口を開いた。
「あ、あの……!」
声をかけると同時に、ふたりがぴたりと同じタイミングで振り返った。
「なんだい?」
「なあに?」
息の合った返事に、ヘーゼルは思わず肩をすくめたが、勇気を振り絞り問いかける。
「ど、どうしてもこの薬草の種を手に入れたいのですが……どうすれば手に入れることができますか?」
「その草の種を?なにかの薬に使うつもりかい?」
「はい……どうしても、必要なのです」
「……薬師のお嬢さんは、それほどまでにこの草の種が欲しいのかい?」
「は、はい。この種は……最近凶暴化している魔物を弱らせる可能性を秘めています。だから、どうしても……!」
「魔物を?……それは、おぼっちゃまもお喜びになるだろうな……」
「はい!竜騎士団には特に必要なものになるはずです!」
「……そうかい……。お嬢さん、私と一緒においで」
「え……あの?」
ビギンズはゆっくりと歩みを進め、カレンの薬局の出口へ向かう。
ヘーゼルは寡黙なその背中に戸惑いつつ、カウンターで不思議そうに首を傾げるカレンを一瞥し、慌てて後を追った。
しばらくして、二人は大きなお屋敷の前に立った。
「ここは……?」
「アイーダ伯爵家だ。……こっちだ」
ビギンズは屋敷の裏手にある小さな通用口へとヘーゼルを導く。
「……ということは、カルビン様のお屋敷なのですね?」
「そうさ。お嬢さんが作る薬に、いつもお坊ちゃまは助けられている。しかもその草が竜騎士団に必要だと言うのなら……助けないわけにはいかないだろう」
屋敷の庭沿いを歩き、角を曲がったその先で視界が一気に開けた。
広々とした農園が広がり、青々とした野菜が整然と並んでいる。
そして端の鶏小屋の横に、見知った薬草が群れをなして茂っていた。
「……これは……!」
ヘーゼルの瞳が見開かれる。
「この草には痛み止めの効果があるんだ。奥様は頭痛持ちでね、これを煎じて飲むとよく効くのさ……」
ビギンズは声を落とし、周囲を気にするように目を走らせた。
その声音には、長年誰にも打ち明けられなかった秘密を告げる重みが宿っている。
「痛み止め……?解毒薬ではなく……?」
「解毒?……いいや、痛み止めだ。……こいつはここでは異国の草だ。この国では馴染みのない薬草だから、あらぬ疑いをかけられても困る。だから誰にも言わず、こうして裏でこっそり育てているのさ」
言葉の端々には、使用人としての慎重さと、奥方を思う忠誠心がにじんでいた。
「……でも、どうやって……この薬草は独特な育て方でしか育たない草なので……」
と、ヘーゼルが小さく口を挟む。
ビギンズは頷き、口元に苦笑を浮かべる。
「ああ、こいつは騒々しいところでしか育たない草だからね。そこの鳥小屋に闘鶏用の鳥がいるんだ。いつも騒がしい鳥さ。お陰でこの草がよく育つんだ……」
鳥小屋の中で、『ドスン!』と壁に何かがぶつかる音が響き、羽ばたきと甲高い鳴き声が入り混じって響き渡った。
「ビギンズさん、この……痛み止めは、どのように作られるのですか?……」
恐る恐る問いかけるヘーゼルの声には、知識を渇望する薬師としての熱意と、相手の秘密に踏み込むことへの遠慮が入り混じっていた。
「痛み止めの作り方かい?……」
ビギンズは少し考えるように眉を寄せ、それから落ち着いた口調で続けた。
「この草の茎の部分を乾燥させて細かくたたくと繊維から粉が出てくる。それを飲んでもらうんだよ」
「搾った汁は……?」
思わず身を乗り出すように問うヘーゼル。
「いいや?……この草の汁は、臭くて苦くて飲めたもんじゃないよ」
ビギンズは即座に首を横に振る。
「そもそも汁を飲もうとする奴なんていやしないよ」
「……汁は、飲まないのですね……」
飲んだベールを頭に思い浮かべながら、ヘーゼルは何かを確かめるように呟いた。
「ああ、ザイールでは茎を乾燥させて使うんだ。この草に他の用途はないよ」
「……なるほど……汁は飲んだことがないという事ですね……」
その再度の確認に、ビギンズは怪訝そうに片眉を上げた。
「やけに汁にこだわるね?」
ヒギンズは笑いながら首をかしげる。
「少なくとも私は、こんな臭い汁を飲んだ人間を知らないよ。……それで、お嬢さんは種が欲しかったんだね……」
(師匠……この薬草の使用用途が違ったことがわかりましたよ……)
「え、ええ、はい……」
不意を突かれ、師匠の破天荒を思いヘーゼルは少し頬を赤らめて返事をする。
「そこの手前の草を見てごらん。小さな実がなっているのが見えるかい?」
ビギンズは手慣れた様子で指を伸ばし、葉の奥を示した。
「……ええ、はい、ぷっくり膨れているところですね?」
「それを二つに割ると種がたくさん出てくるよ。自分で好きなだけ持っておいき」
促されるまま、ヘーゼルは慎重に指先に力を込めてその実を割った。
『ぷちん』という感触とともに、細かい種がぱらぱらと飛び散る。
「……!」
手の平を広げて確認すると、一粒の実から五十を優に超える小さな種が零れ落ちていた。漆黒に輝くその姿は、土に還ればやがて薬草という命を芽吹かせる希望の結晶であり、宝石にも匹敵する価値を秘めていた。
「……ありがとうございます。いただきます!」
ヘーゼルは夢中になって種を拾い集め、持参した袋に大切そうに入れた。
「ビギンズさん、本当に貴重な種をありがとうございました。早々に帰って、この種で皆さんの手助けになるようなものを作れればと思います!」
ヘーゼルの瞳には決意の光が宿っていた。
「……何だかわからないけど、その草が役に立つのならよかったよ」
ビギンズは静かに微笑み、遠い記憶をなぞるように言葉を継ぐ。
「初めは、たまたま私の荷物に数粒、種が紛れ込んでいてね。祖国が懐かしくて植えたのだが……奥様に役立って、しかもどうやらお坊ちゃんにも役立つようだ……不思議なこともあるもんだ。また足りなくなったら採りにおいで」
「はい!ありがとうございます!」
深々と頭を下げると、ヘーゼルは心臓の鼓動を抑えきれぬまま駆け出した。袋の中で小さな種がかすかに揺れ、彼女の歩みに合わせて未来を告げるように音を立てる。
師匠の研究室へ、一刻も早く届け、形にしなければならない。
ヘーゼルは、流行る気持ちを抑えながらベールの元へ急いだ。




